第百十四話 追跡者たち
朝焼けにけぶる街を、アベルたちは走っていた。
その先頭を元気よく走っていくのは、ベルだった。
帝室の姫にもかかわらず、ベルは、かなり体力がある。
いつ、なんどき、どんな冒険に巻き込まれるかわからない以上、日ごろからきっちりと体を鍛えているのだ。馬にも乗れるし、いささか(……いささか?)適当ながら、ダンスの練習だって積んでいる。
しっかりと帝国の叡智ミーアの後を継ぐべく、どのような場所でも探検できるよう、ストイックに己を高めるベルである。
そうして、いくつかの角を曲がったところで、不意に、ベルは立ち止まる。そして……。
「えーと、ところで、どこに行けばいいんでしょうか?」
わからないで、走り出したのか!? などとツッコミを入れ……たりはしないアベルである。
薄々とだが、ベルの性格を把握しつつあるアベルお祖父ちゃんは、孫娘の発言を華麗にスルーしつつ……。
「本来ならば、彼らに追いつければベストだったが、それは難しそうだね。道が曲がりくねって複雑だし、なんの手掛かりもなく見つけるのは至難の業だろう。敵も当然、追手の存在を警戒しているだろうし」
そうして、アベルはハンネスのほうに目を向けた。
「ハンネス殿、あなたは、この国の地理にも詳しいはず。どこか、彼らが根城に使いそうな場所に心当たりはありますか?」
「いや。だが、姉上……の子パトリシア嬢のこと……なにかしら、こちらにメッセージを残していそうなものだが……」
ハンネスの顔には焦りの色が見えた。辺りを落ち着きなく見回して、それから、地面に手をつき、すぐに立ち上がり……、うろうろ。それから、ふと、ベルに目を留める。
「ああ……そうだ」
小さく頷いて、ハンネスはベルに歩み寄る。
へ? などと首を傾げるベルの前にしゃがみ込むと、
「失礼しますよ、お嬢さん」
そのまま、肩に担ぎ上げた! こう、荷物を肩に担ぐ要領で、ちょっぴり雑めに……。
「うひゃあっ?」
突然、抱え上げられて、ベルがヘンテコな悲鳴(ミーア譲りの)を上げる。足をパタパタさせつつ、
「なっ、なな、なにするんですかぁ?」
抗議の声を上げる。
いきなりのことに、アベルもびっくりして、思わず固まる。そんな中、ハンネスはいたって冷静に壁のほうに近づき、
「ベル嬢、そこから何か見えないか? 君が誘拐される立場だったとして、どういうところに印を残す?」
「はぇ……? あ、ああ、ええと……」
彼の意図を理解したのか、ベルはそのままの姿勢で周りを見回しながら……。
「地面に目印を落としていくのは難しそう……。落とすものを取り出そうにも、この体勢だとバレそうだし……。できるのは最低限。でも、曲がる時に、そっちの壁の近くに寄るとしたら……分かれ道で、自分が連れられて行くほうの壁に……あっ! あれ!」
ブツブツと何事かつぶやいていたベルが、突如、声を上げ、壁の一点を指さす。
そこには、子どものいたずら書きのような、白い線が描かれていた。
「……子どもの落書き……にしては、面白みに欠ける。ということは、これが目印ということか」
「最低限、どちらの道に曲がったのかわかるように書きつけたのだろう……。さすがは姉上……の娘だ」
パティの機転に誇らしげな顔をするハンネスと、自らの観察眼に誇らしげな顔をするベル……。
ちょっぴり似たところのある二人に思わず苦笑してから、アベルは改めて印を見つめる。
「しかし……油断をしていると見失ってしまいそうだな。慎重に進むとしよう」
そうして、彼らは再び歩き出した。目印を見失わないように慎重に、慎重に。
分かれ道の度に現れる目印だったが、それは時に薄くかすれ、見つけるのはなかなかに大変だった。
焦りは禁物……それはわかってはいても、蛇の手の中に人質がいる気持ちの悪さを、すぐにでも解消したくて、気は急くばかり。
途中、何度か印が見つからず、道を間違えつつも、なんとか彼らが辿り着いた場所、それは、道幅の太い大通りだった。
「どうやら……ここで馬車に乗せられたようですね……」
地面に膝をついていたハンネスが、なにかを拾い上げる。それは、落書きに使われる蝋石の欠片だった。
「馬車か……」
ここから先は、どうやって追いかければいいものやら……と、途方に暮れつつ、アベルは辺りに視線を巡らせる。
「この大通りがどこに通じているのか……。せめて、どちらに行ったのかだけでもわかればいいんだが……」
「そうですね。誰か、見ていた人がいるかもしれません。聞いてみましょうか」
ベルの提案に従い、目撃者を探す。結果、馬車の向かって行った方向までは分かったが、さすがに、どこに行ったかまではわからなかった。
「当然か……。だが、ここでのんびりしているわけにもいかない。ともかく、ボクたちも、馬車が行ったほうに……んっ?」
その時だった。アベルの視界の端に、キラキラと、光が瞬くのが見えて……。
「ハンネス殿……あなたは、パティ嬢のことをよく知っているようだが……。彼女は、捕まった状態でも、なお、こちらに合図を送りつづけるだろうか?」
「無論のこと……。姉上は、不屈の人。狡猾なる敵に囲まれても、なお一人で戦い続け、できうる限りの最善を尽くした人……そして、その姉上の娘たるパトリシア嬢もまた、その気質を受け継いでいるはず」
言いながら、ハンネスも気付いたのだろう。アベルが見つめる先……。不自然な瞬き。
それは、灯台の頂上から放たれた光だった。




