第百十三話 着々と、ヒタヒタと……
シオン、キースウッドらの手によって、騒乱者たちは迅速に取り押さえられた。
幸いにして、その数は少なかった。
――彼らが、直接的、間接的に白鴉の教導を受けた者たちか……。
シオンの目には、彼らもまた、被害者に映った。
ガヌドスの民に虐げられ、王政府に虐げられ、白鴉には利用され、混沌の蛇に使い潰されようとした者たちに見えた。
「シオン王子殿下は……サンクランドは、これで良いとお考えか? ガヌドスの民が、なんの報いも受けずとも良いと……? これが正義と言えるのか?」
憎々しげな目を向けてくる男。それを聞きながら、シオンはエシャールに声をかける。
「エシャール、よく見ておくんだ。我がサンクランドが起こしかけた悲劇を。一つの過ち、民を虐げる悪があったとして……その解決を誤れば、より多くの悲惨が引き起こされるということを」
問題を放置することは、正しいこととは言えない。されど、その解決に常に剣が使われるべきだ、とは思わない。その解決をするのが、常にサンクランドでなければならない、とは、今はもう思わないのと同様に。
「我々は、サンクランドを利するためにいるのではない。民が幸せに生きられるよう、最善を行うべきだ。悪を討つことは時に必要な手段ではあっても、それ自体が正義ではないし、まして、唯一の正義でもない」
シオンは、ミーアが権威を持つ者の務めを怠ったとは思わない。特定の人々が一つの島に閉じこめられて、労働を強制されることは、やはり悪であり、それを是正することは、正義だからだ。
だが、ミーアはその正義が、できるだけ多くの人を幸せにするよう……あるいは、新たな不幸が生み出されぬよう、最善の道を探り、実行した。
そこに、白鴉との違いがあったのだろう。
「答えろ? シオン・ソール・サンクランド。ガヌドスの民は、なんの報いも受けない。それが正しいことか?」
シオンは男のそばに歩み寄って答える。
「そうは言わない。ガヌドス港湾国によって、“ある人々を虐げる”という悪が行われているのならば、それは正されなければならないし、行いの報いは与えられるべきだろう。が、その報いが刃によってのみ為されるべきとは思わない。ガヌドスの民は、償うべきだろうが、それは血を流すという形でなくとも良いはずだ」
それはかつてエシャールに、ミーアが示してくれたように。
あるいは、シオン自身にミーアが示してくれたように。
ガヌドスの民は、ヴァイサリアンの受け入れで、多くの労力を強いられることだろう。セントノエル・ミーア学園の共同研究所の設立と運営で、多くの汗が流されることだろう。
彼らの報いの形が、それで良いとは、断言できない。けれど、少なくとも、剣による復讐の応酬が続いていくよりは、よほどマシだとシオンは思う。
と、その時だった。別の場所で、一人の男が声を上げた。
「ふざけるな。未来、と言ったな、ミーア姫。ならば、ここで、死んだ子どもたちはどうなるというのだ!?」
皇女専属近衛隊に守られて、いったんその場所を離れようとしていたミーアの耳にも、その言葉は届いていた。
「答えろ! この過酷な島で死んでいった子どもたち、未来の担い手を失った親たちの悲しみは、どうやって癒すというのだ?」
その言葉に、ミーアは思わず息を呑む。
そうなのだ、ミーアの言葉には一つの弱点があったのだ。
それは、過去ではなく未来に重きを置いたものであるということ。その復讐が、過去、すなわち“ヴァイサリアンの祖先に由来するもの”でなければ、成立しないものであるということだ。
祖先の復讐のゆえに、子孫の幸福を犠牲にするのか? という理屈は、子孫を害された復讐を為さんとする者には通用しない。
それゆえに、もしもガヌドスの民が、ヴァイサリアンの子どもたちを殺すようなことをしていた場合、ヴァイサリアンの民は止まらない。
ミーアの言葉は、子を殺された親たちには、決して届かないものだからだ。
だが……。
「いや……違うぞ。お前は、勘違いしている」
「なにっ?」
いきり立つ男に、ほかの者が言う。
「王政府からのお達しだろう。子どもたちには、しっかりと食事を食べさせている……子は労働力。船の細かい部分を作り込むためにも、あるいは、次世代の働き手としても、粗末に扱わぬようにと言われて、だから、餓死するような子どもは、いなかったではないか」
そう言われ、最初の男が困惑した様子で黙り込んだ。
「いや……だが……そう、だったか?」
答えを求めるようにして見つめたその先、大人たちの様子を見つめる子どもたちの姿があった。粗末な身なりの子どもたちであったが……ミーアの目には、その体のほうはいたって健康そうに見えた。特に痩せ細ったりはしていなかったし、むしろ、ヤナたちのほうが、出会ったばかりの頃は痩せていたような気がする。
隔離された島に一つの部族を閉じこめていたために、逆に結束と助け合いが生じていたのだ。
「そうか……。それで、俺たちを使い潰す道具のようにしか思っていないと……憤ったのだったか……。いや、だが、確かに……ううむ」
納得のいかないという顔をする男を見て、ミーアはふと気付く。
――これは……ただの記憶違いかしら? それとも、もしかすると、パティが何かした……ということかしら?
過去の変化、それによる記憶の揺らぎ……混乱。その現象にはミーアも覚えがあった。
――帝国皇妃ともなれば、ガヌドス王族にもいろいろと口出しできる立場でしょうし、ガヌドス国王が蛇とも関係があったとするなら、その方面からも、パティは影響を与えられたはず。あり得ないことではありませんけど……。
そこで、ふと、ミーアは海のほうに目をやった。
――そういえば、パティたちのほうは大丈夫かしら……? ディオンさんに行ってもらいましたから、武力の面では問題ないと思いますけど、問題は、無事に探し出せるかどうかですわね……うーむ。
その時だった。ルードヴィッヒが難しい顔で、話しかけてきた。
「ミーアさま、男たちから蛇の居場所を聞き出すことができました」
「おお、早いですわね。さすが、ルードヴィッヒですわ。それで、いったいどこに……?」
「灯台です」
「……はぇ?」
その単語を聞いた瞬間、ミーアはイヤぁなことを思い出す。
――黄金のミーア灯台……でしたかしら? ルードヴィッヒの日記帳に書いてあった、トンデモない建物の名は……。しかし、灯台……嫌な符合ですわね。
そうして、ミーアは考える。
灯台を、どこかに一から建てることと……もともとあった灯台が壊れてしまったから建て直すこと、そして、その時に建て直す灯台の形を、ちょっぴり変わったものにすること……どちらが容易だろうか?
壊れちゃったし、新しい灯台は、ナニカ、記念になるような形にしたらいいよね? みたいなノリにならない保証は、どこにもなくって……。いやむしろ……。
――あの議会の方たちやオウラニアさんのことを考えると……やらかしそうな気がしますわ!
ミーアはハッと顔を上げる。
――間に合うかはわかりませんけれど、ともかく、灯台が壊されるようなことがあってはなりませんわ。オウラニアさんとパティはもちろんのこと、中の設備なども何もかも、無事に救い出さなければ!
……残念ながら、ミーアのその願いは届かなかった。