第九十話 ミーア、怒られる!
ベルマン子爵領の一件から戻ってしばらく、ミーアはダラダラしていた。
学校がないのと、せっかく休みで帰ってきているのだからのんびり過ごしなさい、という皇帝の配慮によって、公務から解放されたミーアは、まさに休みを満喫していた。
ベッドの上でグデーっと手足を投げ出して、グータラ日々を過ごす。しかも、ドレスも着ずに肌着のみというあられもない姿である。
自室だからと言って、完全にだらけている……、だらけ切っている!
そこに帝国の叡智と呼ばれる凛々しさは、どこにも見当たらなかった。
「……そう言えば、最近、アベル王子からお手紙ありませんわね」
はぁ、と切なげなため息を吐く。
実は、それもミーアがいまいちやる気が出ない理由の一つだった。ほぼ十日置きにやり取りがあったアベル王子からの手紙が、届いていないのだ。
ちなみに、ティアムーン帝国とレムノ王国とは大体、早馬を飛ばして五日はかかる距離なので、これはかなり頻繁な文通と言えた。
時にアンヌの妹であるエリスにも知恵を借りつつ、前の時間軸では一生かけても書けないぐらいの手紙を、すでにミーアは書いていた。
と言っても、三通ぐらいだが……。
前世のミーアの筆不精がしのばれる話ではある。
それはともかく、そんなアベルではあったのだが、すでにミーアが手紙を出してから十五日が経とうとしていた。
夏休みも終わりに近づき、またすぐに学校で会えるとは言え、少しだけ寂しいミーアである。
だからと言って、ベッドで寝て過ごしていいというものでもないが……。
「ミーアさま、お手紙が……」
そんなミーアだったから、アンヌが部屋に入ってきた時、文字通り飛び上がって喜んだ。
「まぁ、やっとですの。どうしたのかと心配しておりましたが……、てっきり、街道で山崩れでもあって、通れなくなっているのではないかと思いましたが、このぐらいの遅れでしたら、許してあげますわ」
「あ、あの、ミーアさま、それが……実はアベル王子からのお手紙ではありません」
「…………へ?」
にっこにこのミーアに、アンヌはちょっとだけ申し訳ない気持ちになりながら、
「実は、ルドルフォン辺土伯令嬢からのお手紙なんですけど……」
ベッドの上で前のめりになっていたミーアは、すすす、っと音もなく後退するとベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。
「あー、ティオーナさん、ですのね」
はふぅっとテンションだだ下がりなため息を零し、
「開けて、読んでちょうだい」
グデーっとやる気のない調子で言った。
言うまでもなく、ティオーナ・ルドルフォンは前時間軸の仇だ。積極的に復讐しようとも思わないが、さりとて楽しく文通する相手でもない。
これがクロエあたりであれば、お友達との文通ということで、少しは楽しい気持ちにもなるのだが……。
――ですが、ルドルフォン辺土伯の貯蔵する小麦は魅力的。
それゆえ、無下にも扱えない。
仕方なく、渋々ながらもミーアは手紙を読んでやろうという気になっていた……のだけれど、
「ミーアさま!」
思いのほか鋭いアンヌの声で、ミーアは少しだけ驚いた。
「なっ、なんですの? アンヌ、そんな怖い顔して……」
「アベル王子からのお手紙がなくて寂しいのはわかります。けれど、こんな姿を見たら、アベル王子が、どうお思いになるか」
「そんな固いこと言わなくても、部屋の中ですし……」
ぐずぐずと言い訳するミーアに、アンヌはきっぱりと言う。
「誰が見ているかわかったものではありません。ミーアさま、使用人たちの口は、とても軽いのでございます」
それでミーアは思い出す。前の時間軸でのこと……。
皇女付きの使用人たちが、こぞってあることないこと訴えたこと。
自分の失敗は瞬く間に使用人たちの間に知れ渡っていたし、確かに彼らの口はとても軽かった。
そんな彼らが、もし仮にアベル王子の使者に自身の醜態をチクったりしたら……。
想像して、ミーアは一瞬にして青くなった。
「あっ、アンヌ……、アンヌぅ……」
早くも泣きべそなミーアに、アンヌは頼もしく頷いた。
「大丈夫です、ミーアさま。ミーアさまのお世話はすべて私がやるようにしておりますし、この部屋の中のことも、知っているのは私だけですから。でも、ミーアさま、いつどこで誰が見ているのかわからないのですから……」
「わかりましたわ、シャンといたしますわ」
いつどこでアベル王子に見られても、恥ずかしくないように! ミーアは心を入れ替えた。
……とても単純である。
そんな素直な主が、アンヌには少しだけ誇らしかった。
「出過ぎたことを言ってしまい、申し訳ありません」
「いえ、むしろあなたにはいつも助けられてばかりですわ、アンヌ」
本来であれば、このような差し出口は、処罰されてもおかしくはない。けれど、どれだけ気が抜けていても、やはりミーアはミーア、尊敬する自らの主君なのだと、アンヌは嬉しくなった。
改めて、ドレスを身にまとったミーアは、ティオーナからの手紙に目を通した。
「ふむ、ティオーナさんの、弟君、ですの……」
その文面を見て、ミーアの脳裏によみがえる記憶があった。