第百十話 解放を告げる者
自己紹介の後、ミーアはスカートの裾をちょこん、と持ち上げる。
完璧な礼を見せた後、ミーアは顔を上げる。
集まってくる視線を意識しつつ、ミーアはサッと手を横に出して……。
「それと、こちらには、サンクランドのシオン王子殿下もいらっしゃいますわ。ねぇ、シオン、あなたからも、なにかございますかしら?」
今のミーアに抜け目はない。
ヴァイサリアンを先導したのが、サンクランドの諜報機関だと事前に聞いていたため、しっかりとサンクランド側の権威も味方に付いていることをアピールしておく。
「ないことはないが、まずは、君に任せよう」
「それでは、僭越ながら、わたくしのほうから……」
一度、喉を鳴らしてから、ミーアは言った。
「今日は、ヴァイサリアンのみなさんに、良き報せを持ってきましたの。喜ばしき解放の報せを。結論から言うと、あなたたちは、この島から出られますわ」
そうして、ミーアは本日の議会での話を繰り返す。
ヴァイサリアンのこれからについて。ガヌドスのこれからについて。
味方になってくれる聖女ラフィーナの偉大さと権威の大きさ、また、すべてがガヌドス王女オウラニアの手によってなされること……。
もう怖がる必要はないのだということ……などなど!
できるだけ自分の功績やら責任やらの部分を小さめにしつつ、切々と、ペラペラと語り倒した。
そうして、言うべきことを指折り数えた後、さて……言うべきことはすべて言ったかしら……? などと、念のためルードヴィッヒのほうを窺ってから、ミーアは高らかに宣言する。
「それゆえに、あなた方が剣を取る必要はない。戦により、血を流すことはない」
「かくて、ガヌドスの平和は保たれる、と……。そういうことか……?」
どこかから声が聞こえる。その声にミーアは深々と頷き、
「そのとおりですわ。それも言葉だけの、上っ面だけの平和ではない。ヴァイサリアンへの抑圧なき、公正な平和ですわ!」
勝利を確信しつつ、ミーアは声のほうに目を向ける。が……。
「だが……復讐はどうなる……?」
どこか重たい一言に、ミーアは海から断頭台が上陸してきたのを感じる。
「ヴァイサリアンの、我々の……親たち、祖父母たち、先祖たち……その者たちから託された無念は、怒りは、どうなるというのだ?」
その声に同調するように、次々に声が上がる。
「我らにとって今日は、まことにめでたき日なのだ。わかるか? ミーア姫殿下。我らが大願は、今日、成就せん。我らを虐げし、ガヌドス港湾国の民に鉄槌を下す機会がようやく訪れたのだ」
「そうだ。我らは今日この日を待っていた。待望の日だ。祖先より託された憎悪を晴らすのは、今日なのだ」
次々に上がる声、声、声。あふれる声の大波を前に、ミーアは……思わず考え込んでしまう。
「先祖の恨み……」
口の中でつぶやいて、その言葉をじっくり吟味する。
「先祖の……恨み?」
相手の気持ちを理解するためには、自分のことに置き換えて考えるのが大事である。その基本に則り、ミーアはじっくり考える。
では、ミーアにとっての先祖とは誰か……?
それは、そう。他でもない。あの厄介者かつ面倒ものの……。
――初代皇帝の、恨み……?
そこに、想いが至った時、ミーアはそっと口を開いた。
「あなたたちが敬愛されるご先祖は、そのようなことを決して望んではおりませんわ。血で血を洗う復讐のために、あなたたち、子孫の命を浪費させようなどと……そんなことを、考えているわけがありませんわ」
「口から出まかせを言うな」
どこかから、ミーアを糾弾する声が響く。
「なぜ、お前にわかる? 我らの祖先のことが、親や、祖父母の気持ちが……、帝国人のお前などにわかるはずがないではないか!」
攻撃的な色の滲み出た言葉に、ミーアを守る皇女専属近衛隊の者たちの顔に緊張が走る。が、ミーアは涼しい顔でそれを聞き流し……。
「いいえ、これは口から出まかせではなく、厳然たる事実ですわ」
ぴしゃりと言い切る。
「なぜなら、あなたたちの先祖が、本当に、あなたたちが敬愛するような人たちであったのなら……あなたたちに、復讐を望まないでしょうから」
ミーアは初代皇帝を尊敬しない。敬愛もしない。なぜなら、それに値しない人物であると考えるからだ。自分に幸をもたらさぬ者を、自分たちに害しか残さない者を『ただ、自分の祖先である』という理由だけで尊敬するのは理不尽である、と……。
初代皇帝の企みによって首を刎ねられたミーアは思うからだ。
そして……。
「もしも、本気で『自分の復讐』のために『自分の納得いかないという感情』のために子や孫、それに連なる人たちを犠牲にするというのであれば、そうするのが当然である、とそう考えるのであれば……」
ミーアは顔も知らぬ初代皇帝に向かい、高らかに告げる。
「そんなやつは……くそったれですわ!」
大国の姫には似つかわしくない、ちょっぴりはしたない言葉に、ヴァイサリアンの民たちが静まり返る。ミーアのそばにいた人たちの中にも、驚きに目を見開く者たちがいた。
ミーア、ちょっぴり反省しつつ咳払い。それから、改めて断じる。
自らの先祖、帝国を立てた偉大な男……初代皇帝に向けて、ミーアは言ってやる。
「そんなやつは、敬愛に値する祖先などでは決してありませんわ。自身の怒りを晴らさせるため、無念を晴らさせるために、子孫の人生を浪費させようとするなど……そんなやつはろくでなしですわ!」
もはや届くことのない、けれど、どうしても言ってやりたいことを高らかに声にして……。それから、改めてヴァイサリアンの民たちに目を向ける。
「あなたたちの先祖は、そのようなことを望みはしませんわ。なぜなら、彼らは、あなたたちが自らの命を省みずに復讐しようと心に誓うような……敬愛に値するような人たちであったのでしょうから……」
胸の前、ぐっと拳を握りしめ、力を込めて。
「仮に死の瞬間に、その心が憎悪に埋め尽くされたとしても、きっといつまでもそのことに囚われたりはしないでしょう。むしろ、最後に、あなたたちに残した言葉を悔いるでしょう。あなたたちが敬愛する人たちとは、そういう方たちではありませんの?」
ミーアの問いに、ヴァイサリアンの者たちは声を失う。それに重ねるように、ミーアは続ける。
「それでもなお、納得がいかないのは、自分たちを虐げた者たちが、のうのうと生きているからかしら? 悪いことをした人間が、何の罰も受けずにいるからかしら?」
その言葉に、何人かが顔を上げた。まさに、我が意を得たり、という顔をする人たちに、ミーアは静かに首を振る。
「けれど、それについては、明確に否、と言うことができますわ。なぜなら人は……自らが蒔いた種を、自らの手で刈り取るものですから」
静かな、断固たる口調で、ミーアが言った。
「誰の手を借りずとも、それはなされるものですわ。それなのに、あなたがたは彼らの口に、無理やり復讐の果実をねじ込もうとしている。未だ実らぬ復讐の果実を、強引にもいでしまおうとしている。されど……それは、あなたたち自身が復讐の種をこの地に蒔くことに他なりませんわ」
自らの手で果実をもいで、その種を自らの手で畑に蒔く。そうして実った復讐の実を次に刈り取るのは誰か?
「あなたたちは、その実を必ず自分で刈り取ることになる。復讐の果実を自分で収穫し、口にする。あなたたちは自らの蒔いた種によって必ず復讐を受ける。そしてそれは復讐の種として、あなたたちの子どもたちに残されるでしょう。あなたたちの子や、孫は、あなたたちへの想いのゆえに、破滅の種を蒔き、その実を自ら刈り取ることになる」
ミーアは知る。それこそが、おそらくは蛇の狙い。
あるいは、あのくそったれな初代皇帝の呪い。少なくともそれに近いものであると。
だからこそ、ミーアは意地でもそれを止めなければならない。
ヴァイサリアンの民たちを、過去から連綿と続く呪いから、解放してやらなければならない。
「それが、あなたたちの望みですの? 長き時を、この島で耐え忍んだのは、そのためだった、とでも言うつもりですの?」
静かに息を吸い、言葉を整えてから、ミーアは言う。
「今一度、わたくしは言いますわ。あなたたちは選ぶことができると……」
それからミーアは近くに立つ、ヤナとキリルに目をやって……。
「この、子どもたちの未来を、血で血を洗う、憎しみと復讐とで染めあげるのか? あるいは……」
ミーアは、ヤナの頭を軽く撫で、それからその前髪を軽く持ち上げてから……。
「この子たちが、この一族の証を、気兼ねなく堂々と、日の下に晒すことができる、そんな未来か……。その選択は今、あなたたちに委ねられていますわ。すべては、あなたたち次第ですわ!」
そこまで言って……ふとミーアは気付く。ヤナが恥ずかしげに、もじもじと動いていて。
「あの、ミーアさま……恥ずかしいです」
どうやら、おでこを見られたのが、ちょっぴり恥ずかしかったらしい。
ミーアは小さく笑って、もう一度、ヤナの頭を撫でるのだった。