第百七話 キースウッド、生き生きと種(ヤバイ)を蒔く!
さて、ようやくミーアが揺れにも慣れてきた頃、エメラルドスター号は隔離島のそばまで来ていた。
もともと島との距離は、そこまで遠くはなかったのだ。それは、腕の良い船乗りであれば、ちょっとした小舟でも行って帰って来られる距離。それならば、なぜ、ヴァイサリアンの人々は大人しく島に引きこもっているのか……。
一つには世代交代が成されたため、かつて船上で暮らしていた頃の技術が、ほとんど失われてしまっていたから。
そして、もう一つの理由こそが、島の周りを囲む、複雑な岩礁にあった。
島に近づけば近づくほど、水の流れは複雑になり、そのうえ波も高いから転覆の恐れもある。少しでも油断すれば、暗礁にだって乗り上げる。ゆえに、この海を知る船乗りであれば、好んで近づこうとしない場所が、この島だった。
「正直、私も気乗りはしないのですが、今回は挑戦してみましょう。大丈夫、案内人もいますし、このエメラルドスター号ならば行けます。物資を運ぶ輸送船でも行けるわけですし……」
そう豪語したのは、エメラルドスター号の船長だった。
ガヌドス出身の彼をして、島に近づくのは容易なことではないらしい。
船室から、固唾を飲んで行く先を見守っていたミーアであったが……船の揺れと打ち付ける波に怯んで、早々に室内に視線を移してしまった。ミーアの小心には、少々、耐え難い光景であったので。
「これは……心配しても詮無きことですわ。エメラルダさんがあの船長を信じると言うのであれば、わたくしも信じるのみ……」
今まで幾多も命の危険を、忠ある人と、忠ある(かはやや微妙な)馬と成り行きとに委ねて、すべて乗り切ってきたミーアである。
他人の手に責任と運命を委ねることなど、造作もないことなのだ。
そうして、ふと、ミーアは子どもたちのほうに目を向ける。ヤナとキリルは、ミーアと同じく、ちょっぴり不安そうな顔をしていた。
……ちなみに、もう一人の子ども……、すなわち、エメラルダについてきたエシャール王子は、ワクワクを抑えきれない様子だった。兄シオンの手伝いをしつつ、このようなちょっとした冒険に参加できるのが、嬉しくてたまらないようだった。
そんなイケメン兄弟の交流を見守るエメラルダも、実に満足そうな顔をしている。満ち足り切った顔をしている!
……まぁ、幸せそうで何よりである。
「二人とも、大丈夫ですの?」
ミーアは、子どもたちに声をかけた。顔を上げたヤナは、キリルの頭を撫でながら、気丈にも頷いてくれた。
「ふぅむ、しかし、二人を危険な場所に連れてきてしまったのは、少々、気が咎めますわね。申し訳ないことをしましたわ」
実のところ、この二人を連れてきたのは、完全な演出だった。
今回の件において、帝国の姫、ミーアは完全な部外者である。
だからこそ、安全圏にいられるし、逆に、第三者だからこそ届く言葉というのもあるかもしれないが……よそ者は黙っていろ! と言われてしまう可能性も大いにある。
そんな時、彼らと同じヴァイサリアンの子どもを自分が保護していると言えばどうか?
少なくともミーアは無関係の第三者ではなくなる。どちらかと言えば、自分たちに味方してくれる、他国の姫君ということになるだろう。
そうなれば、話を聞いてもらえる可能性だって高くなるはず。
――それに、もしもなにかがあったら、二人にかばってもらえばいいですし……。
安全策は二重、三重にかける。それこそが、ミーアの生存戦略である。
近衛たちに守ってもらう前に、そもそもヴァイサリアンと敵対しないように策を講じる。その策のキーパーソンがこの二人なのだ。
「あたしたちは、ミーアさまに救われましたから、そのお礼がしたい。それに、ミーアさまやパティ、オウラニア姫殿下が頑張っているのに、あたしたちがなにもしないなんてこと、あり得ません」
姉の言葉に、キリルも迷いなく頷く。
澄んだ瞳で自分を見つめてくる子どもたち。そんな彼らを、自分の都合で連れてきてしまったことにミーア、ちょっぴーり罪悪感を刺激される。が……。
「ミーアさま、ここには、覚悟のできていない者など一人もおりませんのよ?」
話を聞いていたのか、エメラルダが、なぜだか、偉そうなドヤ顔で言う。
「みな、ミーアさまに協力したい、ミーアさまの為そうとしていることのお手伝いがしたいって、思っているんですもの」
その言葉に、子どもたちも、シオン、エシャールの両王子も、ルードヴィッヒにアンヌまで、力強い頷きで答えてくれた。
「そう……それならば、まぁ、よろしいのですけど……」
「みなさん、もうそろそろ、島に到着するみたいですよ。そろそろ、上陸の準備をしたほうがいいでしょう」
そこで、タイミングよくキースウッドが船室に入ってきた。
心なしか、キースウッドは実に、生き生きした顔をしていた。なぜだろう、割と危機的状況にも関わらず、実にいい表情をしている。
それを見て、ミーアは思わず首を傾げるも……。
――ふぅむ、キースウッドさん、さては、海が好きなんですのね?
すぐに察する。なるほど、彼は女性にモテそうだし、海とかで遊ぶのが好きなのだろうなぁ、と……。
――あ、そうですわ。キースウッドさん、お料理が得意ですし、海が好きならば、海のお料理にも詳しいのではないかしら? 今度、いくつか教えていただくというのも良いかもしれませんわね。
などと、新たな危機の種が、ミーアの胸の内で芽生えつつあったわけだが……。
生き生きと、つやつやした顔をするキースウッドは、そんなこと、知る由もないのであった。
まぁ、それはともかく。およそ半刻後、ミーアたちは、ヴァイサリアンの隔離島へと上陸を果たすことになるのだった。