第百四話 湧き上がる不安
ミーアたちを乗せた馬車は、一路、港へ向かって道を急いだ。
揺れる車中にて、正面に座ったエメラルダが眉間に皺を寄せて身を乗り出した。
「しかし、ミーアさま、ヴァイサリアンを止めるといっても、どうするおつもりなんですの?」
さも不安そうな彼女に、ミーアは得意げに笑みを浮かべる。
「まぁ、それについては大丈夫なのではないかしら?」
自信満々に言ってのけるミーアである。
実のところ、ミーアは、その問題に関してはさほど心配してはいなかった。なにしろ、ヴァイサリアンが蜂起する理由はすでにないのだ。
彼らが、自分たちの置かれた境遇に対する怒りから、あるいは、それを改善するために、蜂起しようというのであれば、すでに、彼らにはそれをする理由はないのだ。
まさに、そのためにこそミーアは元老議会に出て、発言したわけで……。
――どのような形でかはわかりませんけれど、改善はなされるはずですわ。ヴァイサリアン族側とも、すり合わせが必要でしょうけれど……状況は確実に変わるはず。
なにせ、ここで適当なことをやっては、ラフィーナが黙っていないのだ。
ミーアは改めて、自らの背後で涼やかな笑みを浮かべる、聖女ラフィーナの姿を思う。
――ラフィーナさま、今回はたくさん、お力を借りてしまいましたし……。誕生祭でお会いした時にはたっぷり、お土産をもってお礼をしなければなりませんわね。オウラニアさんや、他の方にも何か良いものがないか聞いておかなければなりませんわね。せっかくですから、ここでしか食べられないような変わったものを……。
などと、考えが横道に逸れそうな思考を、かろうじて修正して。
「要は、ガヌドス港湾国が変わろうとしているということ、ヴァイサリアンの置かれている状況が改善されることになったことを教えてあげればいいのですわ」
ルードヴィッヒは言っていた。
帝国からは、騒乱を煽る役割の白鴉並びに風鴉が退去し、騒乱の動機となる不満はミーアが一掃してしまった。だから、騒乱は起こらない、と。
ガヌドスですべきことも基本的には同じなのだ。騒乱の動機となる不満が解消されたとヴァイサリアン族に伝え、そのうえで、煽る役割をしている連中を一掃する。
――わたくしの役目は、元老議会に出席した者として、それを彼らに伝えることですわ。ふふふ、議会はもちろん、レムノ王国の兵士たちの前でも、演説をしたわたくしですし、楽勝ですわね。
なぁんて、かるーく考えていたミーアであるのだが……しかし……。ご承知のように、ミーアが自信満々の時というのは、どちらかというとヤバイ時のほうが多いわけで……。
そのヤバイ状況は、港に着いて早々に訪れた。
「ああ、ミーア。来たのか」
ミーアたちを出迎えたのはシオンだった。その後ろにはキースウッドも控えている。
「ご機嫌よう、シオン。それにキースウッドさんも。今日はよろしくお願いしますわね」
小さくスカートの裾を持ち上げてから、ミーアは彼らの後ろに浮かぶ船を見上げた。
「ふむ、エメラルドスター号で向かうんですのね」
あの夏の日以来、ひさしぶりに見るエメラルドスター号は、以前と同じように美しい姿を誇っていた。
「はい、この船はとてもいい船ですからな。これ以上の船はなかなか用意できませんよ」
ミーアの言葉に、自信満々に頷いたのは、エメラルドスター号の船長だった。イケメン好きのエメラルダが選んだだけはあって、ちょっぴりダンディな、なんとも言えぬ色気を持つ男である。
「無事に、みなさまを島まで送り届けられるのは、この船以外にないと自負しております」
その言葉からは、自らの船と船員に対する自信が窺えた。
その態度に心強さを覚えるミーアであったが、そのすぐそばに立つ男に首を傾げた。
髭面のその男は、エメラルダの好みとはかなり遠い、粗野な見た目をしていたからだ。
「それで、ええと、そちらの方は……」
「地元の漁師ですわ。島の近くの海域に詳しいらしいですわ」
エメラルダの言葉に、髭面の男はニカッと笑みを浮かべる。
「あの辺りは岩礁が複雑だからな。地元のもんの案内がないと難しいのさ。もっとも、それでも辿り着けるか否かは、運しだいってとこがあるが……」
「…………はぇ?」
ミーア、きょっとーんと首を傾げつつ、エメラルドスター号の船長に目を向ける。っと、
「こいつは、なかなか腕が鳴る仕事ですな」
力強い笑みを浮かべている。
「…………はぇ?」
完全なる誤算であった。
ミーアは忘れていたのだ。ヴァイサリアンの隔離島が、入るのも出るのも難しい環境にあるということを。だからこそ、ヴァイサリアンの民は、そこから逃げ出さなかったのだし、蜂起の日も、今夜でなければならなかったわけで……。
「エシャール殿下と私とで探し当てましたのよ? あの島に渡ることができる、腕の良い漁師を」
自信満々に胸を張るエメラルダだったが……ミーアの不安は消えることはなかった。むしろ、大きくなっていた。
――だ、大丈夫かしら? これ、沈んだりは……。
「まぁ、失敗して座礁したら、隔離島まで泳ぐことになるでしょうけど……ミーアさま、きちんと泳ぎの練習続けておりますの?」
そんな風に念押しされ、ミーアはさらに不安を覚えるのだった。