第百三話 信を置くに足る者たち
「むぅ……。では、オウラニアさんは、本当に蛇に連れ去られたと……。しかも、パティまで一緒とは……。それをアベルとベル、それにハンネス大叔父さまが追っている……?」
ミーア、思わず唸り声を上げる。
「カオスですわ……」
蛇の目論見通りかはわからないが、事態はかなり錯綜していた。
あまりの情報量に目をグルグルさせつつも、ミーアは思う。
――もしかして、これってかなりまずい状況なのでは……。
パティが自分から言うとは思えないが、彼女こそがミーアの最大の弱点である。
もし、パティが死んでしまうようなことがあれば、ミーアもミーアの父親も、この世界から消えることになる。
蛇にとっては、大変望ましい状況であるし、人質とするにも、非常に良い人物ではあるのだが……。
「というか、どうしてパティまで……? あの子はオウラニア姫殿下に縁もゆかりもないはずですわ」
しきりに首を傾げるミーアに、ヤナは先日、誘拐されかけた折のパティの振る舞いを話した。
「……ああ、なるほど。そのようなことが……くぅっ。それは確かに蛇が興味を抱きそうな状況ですわ!」
ちぃっと舌打ちしつつ、ミーアは立ち上がる。
「ともかく、ここで大人しくなどしていられませんわ。急ぎ、追いかけねば……」
ミーアの務め、それは、敵の最大戦力のもとに味方の最強戦力を送り込むこと。すなわち……。
「ディオンさんには、共に来ていただき……」
などと言いかけた時だった。
「ミーアさま、ミーアさまはいらっしゃいますのっ!?」
威勢の良い声とともに、入ってきたのはエメラルダ・エトワ・グリーンムーンだった。
「あら、エメラルダさん……。どうしましたの? そんなに慌てて……」
「どうかなさいましたの、ではありませんわ! ガヌドス港湾国の危機ですわ!」
「ガヌドス港湾国の危機って……」
そりゃあ、オウラニアとパティが誘拐されて危機は危機だろうが……、と思うミーアだったが、エメラルダから事情を聞いて、思わずクラァッとする。
「私とエシャール王子は、お義兄さま……」
「お義兄さま……?」
「ああ、シオン王子ですわ。それとキースウッドさんも一緒に、蛇、並びにサンクランド諜報部の残党を追っていましたの」
――はて、サンクランド諜報部……? そんなのもいたんですの?
初耳の情報に目を白黒させるミーア。一方で、
「なるほど。我が国にも諜報網を作っていたサンクランドですから、ガヌドスのほうまで手を伸ばしているということは十分にあり得ることですね」
ルードヴィッヒは、深々と頷きつつ、深刻な顔をする。
「ティアムーン帝国に関しては、風鴉、白鴉を撤退させると同時に、ミーアさまが国内状況を改善なさいました。彼らが付け入る隙を根こそぎ潰し、彼らに協力しそうな不満分子の懐柔に成功しています。けれど……ガヌドスからは、ただ、風鴉が撤退したのみだった、と」
現地の不満分子を焚きつけ、勢力として訓練し、協力組織とする。それこそが白鴉の目的だった。そして、諜報部隊が本国へ帰還したところで、不満分子は残り続ける。なぜなら、彼らの不満は解消されていないからだ。
「そして、白鴉のジェムに代わってそこに働きかけたのが……新たな蛇だった、と言うことでしょうか……」
シュトリナの言葉に、ルードヴィッヒは頷いた。
「ガヌドス港湾国はそもそもが、ティアムーン帝国を飢饉に陥れるための仕掛けの一部を担う国。いろいろと蛇が突きやすそうな状況が残っていたのでしょう……」
「話を戻しますわ。それで、私たちはその残党を追っていたのですけれど、蛇にそそのかされた彼らは、この国の政府を転覆させるため、今夜、襲撃を計画しているとのことですわ」
物騒な言葉だったが、ミーアには心当たりがあった。
――ヴァイサリアン族の蜂起、国王陛下の暗殺に端を発する騒乱。その中で、オウラニアさんも処刑されるんだったかしら……。
「潮の満ち引きの関係で、今夜が決行の日となったようですけど……」
そう言って、エメラルダは眉間にしわを寄せる。
「ミーア姫殿下、提案がございます」
不意に、ルードヴィッヒが手を挙げた。
「オウラニア姫殿下を誘拐した蛇の対処を、ディオン殿に任せるというのはいかがでしょうか? そして、ミーアさまは、ヴァイサリアンの民を諫めるため、隔離島に行かれるのはいかがでしょうか」
「む、ぅ……」
彼の言葉に、ミーアは思わず唸る。腕組みして、しばし黙考……先ほど食べたプティングを消費し、脳をガンガン動かす。
そうして……確かにルードヴィッヒの言うとおり、戦力を分散させるよりほかはなさそうだ、と確信する! ルードヴィッヒの言葉に間違いなどあるはずがないと再確認したのだ。
――本来であれば、わたくしの護衛をディオンさんにお願いしたいところですけれど、パティの身になにかあれば、どちらにしろ、わたくしの存在が消されてしまうわけですし……。それに、アベルのことも気になりますわ。無理して怪我でもしたら……。ベルもついて行っているみたいですし、足を引っ張ってないか心配ですわ。
ゆえに、ディオンにそちらに行ってもらうのは確実として、問題はミーアが隔離島に行くべきかどうかである。
確かに、ヴァイサリアン族のことは気になる。それに、激発しそうな彼らを武力によって押さえ込むというのは、後の世に禍根を残しそうでもある。彼らを止めるには、言葉による説得が必要なわけで……。
さらに、基本的にミーアは部外者である。ヴァイサリアン族から直接的に危害を加えられる理由はないはず……。比較的安全な立場ではあるはずで。
そして、なにより……。
ミーアはルードヴィッヒやアンヌ、エメラルダ、エシャール、さらには、ヤナ、キリルからの期待の視線を感じる。ふつふつと感じる! ミーアがこんな状況を放置して、一人で安全圏でのんびーりしていることなどあり得ないといわんばかりの、彼らの様子である。
――これ、わたくし、断れないいつものパターンなんじゃ……。
でもなぁ、ディオンが一緒じゃないとなぁ……などと思いかけたミーアであったが、そこで、はたと気付かされる。
自らに向けられた熱い視線は、ルードヴィッヒたちからだけではなかった。
少し離れた場所に立つ皇女専属近衛隊の兵たちもまた、ミーアの命令を今か今かと待っていたのだ。
その真剣そのものの顔を見て、ミーアは、自らの目が曇っていたことに気付く。
――ああ、そうでしたわ。わたくしは、なにを勘違いしていたのかしら……。わたくしは、最強の剣の鋭さにばかり目を奪われて……大切な味方のことを忘れておりましたわ。
前時間軸の頃より、ミーアを守りたてまつりし盾。
忠義の兵士、近衛兵。
真に信を置くべき者たち……。
そのことを忘れていたとミーアは深く反省する。
ゆっくりとした足取りで、ミーアは皇女専属近衛隊の者たちに近づく。
そこに集まっていたのは十名の兵士だった。先頭に立つ見覚えのある男に、ミーアは朗らかな笑みを浮かべる。
「ご機嫌よう、オイゲンさん、お久しぶりですわね」
「はっ! おひさしゅうございます。姫殿下。この度の任務も全力を尽くします」
生真面目な返事に満足げな笑みを浮かべつつ、ミーアは、オイゲンの後ろに立つ女性騎士に目を留めた。
「あら……? 皇女専属近衛隊に女性の方もいらっしゃいますのね……。いえ、もしかすると、レッドムーン公の私兵団から編入された方かしら?」
「はっ! セリスと申します。姫殿下」
「ああ、貴女が。ふふ、ルヴィさんから聞いておりますわ。お働きに期待しておりますわよ」
かつて一切、力を貸してくれなかったレッドムーン公。その兵士が、今は味方になってくれている。そのことがなんとも心強かった。
さらに、ミーアは、その隣の青年のほうに目を向ける。と……。
「お初にお目にかかります、エルンストと申します。ミーア姫殿下」
その名には、聞き覚えがあった。
前の時間軸……命を投げうって補給物資を守ろうとした忠義の兵の名前、それが確か……。
「エルンスト……そう。あなたが……」
ミーアは少しだけ遠い目をした。多くの貴族が倒れ、国民からは石を投げられた、あの地獄のような革命期。それでも、ミーアに味方をしてくれた人たちはいたのだ。
それを決して忘れてはいけないと心に刻みながら、ミーアは言った。
「あなたの忠義のことは、しっかりと聞いておりますわ。今日はよろしくお願いいたしますわね」
柔らかな笑みを浮かべた。
――そうでしたわ。わたくしを守る力は、なにもディオンさんだけではありませんわ。皇女専属近衛隊のみながいるのですから……恐れるにたりませんわ。
そっと目を閉じて、ミーアは言った。
「ルードヴィッヒの献策を是としますわ。ディオンさん、オウラニア姫殿下、並びにパティを蛇の手から無事に救い出していただきたいですわ」
「念のために聞きますが、いつもどおり死者を出さずに、ですか?」
「あなたならば、それができると信じておりますわ」
ニッコリ笑みを浮かべつつ、ミーアは近衛兵たちに言う。
「そして、皇女専属近衛隊のみなさま、わたくしは、これより、ヴァイサリアンの隔離島に行きますわ。道中の護衛、よろしくお願いいたしますわね」
ミーアの言葉に、近衛たちが、おう! と気を吐く。
こうしてミーアは、エメラルダの用意した馬車に乗って、隔離島へと向かうことになったのだった。




