第百二話 ベル、お祖父ちゃんに見とれる!
それは、元老議会が開かれる前夜の出来事だった。
子どもたちが寝静まった、深夜の教会。
礼拝堂には、ハンネスとヨルゴス、オウラニアとアベル、さらに眠たげに目元をこするベルまでもが集まっていた。
「明日、開かれることが決まった元老議会にミーア姫殿下が参加されるらしいですよ」
その情報を持ってきたのは、ハンネスだった。長くガヌドスに潜伏していたハンネスは、議会にもそれなりに顔が利くらしい。
「元老議会……」
アベルは思わず腕組みして唸る。
「ミーアはそこに出てなにを話すつもりなんだろう……?」
っと、ベルのほうに目を向ければ、ベルは……うつらうつら、と船を漕いでいたっ! どうやら、彼女から有益な意見は得られなさそうだった。
苦笑いを浮かべるアベルであったが……不意に、その脳内を深刻な疑問が過ぎる。
――待てよ……。彼女は、ミーアの孫娘のはず。あの、帝国の叡智の血を継いでいるのに、このちょっぴり怠けがちなところは……。
もしや、自分の血が悪影響を及ぼしたのでは……? などと不安になってくるアベルである。そんな気持ちをかき消すように首を振り、彼はつぶやいた。
「問題はオウラニア姫殿下を伴って、元老議会に参上したほうがいいのかどうか……かな。蛇が狙ってきている以上、いつまでもここに隠れているのも……」
っと、その時だった! 突如、パリンッと硬質な音が室内に響いた。
「今のはっ……?」
視線を向けた先、ステンドグラスが粉々に砕けるのが見えて……そして、そこから、びゅうっと風切り音を響かせて、一本の矢が飛来した。
「なっ、くそっ!」
咄嗟に、アベルは駆けだす。なぜなら、その矢が向かう先には、なんの因果か、ベルが座っていたからだ。矢は、寸分違わず、ベルの首元に向かってきていて……。
「はぇ……?」
寝ぼけた顔をしたベル、そこに、盾を構えたアベルが割り込んだ!
「くっ、させるかっ!」
カッと、音を立て、矢が盾を穿ち……。されど、ベルには届いていなかった。
そのまま、抱きかかえるようにして、ベルを床に伏せさせながら、アベルが声を張り上げる。
「みんな、伏せろ! 窓から離れて、長椅子に隠れながら、奥の部屋にっ!」
その指示の間にも、窓からは次々に矢が降り注いでくる。
アベルは、盾を構えたまま、床に伏せる孫娘に視線を向けた。
「ケガはないかい? ベル」
呼びかけに、ゆるゆると顔を上げたベルは……ぽけーっとしていた。
「ベル? どこか、怪我を……」
「アベルおじいさま……か、格好いいです……」
ほわぁっ! と息を吐く……いつも通りのベルだった!
しかし、安堵する間もなく、目の前を真っ白な煙が埋め尽くした。
焼き討ちか? と思ったが、炎の熱さは感じられない。つまり……。
「くっ、煙幕か?」
その時だった。子どもたちが眠る住居部分で悲鳴が上がった。
「あっ、みんなー。ヤナ、キリル、パティ、大丈夫ー?」
オウラニアの間延びしたような、それでいて、どこか緊張した声が響き、直後、パタパタと足音が聞こえてきて。
「オウラニア姫、動くなっ!」
アベルの制止も空しく、オウラニアが立ち上がり……瞬間っ! 礼拝堂の入口のドアが思い切り開け放たれた。
そこから踊りこむは、漆黒の影。一つ、二つ、三つ。
影は、素早くオウラニアのほうに走り寄る。
「オウラニア姫っ!」
立ち上がり、止めに入ろうとしたアベルだったが、再び、そこに矢が殺到する。
「ぐっ、このっ!」
背中にベルを守りながら、懸命に盾を操るアベル。見る間に、足元が矢で埋まっていく。
――この数の矢……もしも、盾がなかったらすべて防ぐのは難しかったな。
脳裏に、ディオンの言葉が甦る。
背中に誰かを庇いながら戦うなら、盾を持つのも一つの手段……。
かの帝国最強の騎士に感謝の言葉をつぶやいていると……。
「なっ、なにするのー? うぐっ……」
くぐもった悲鳴。煙を透かして、影の一人がオウラニアを肩に担ぐ姿が見えた。
「待てっ! くそっ、今、オウラニア姫殿下を連れ去られるわけには……」
悔しげにつぶやくアベルであったが、より一層、数を増す射撃に、盾を構え続けるのがやっとで……。っと、次の瞬間、静寂は唐突に訪れた。
「くそっ……」
小さく毒づき、外に出るも、もはや影たちの姿はどこにもなく……。
――かなりの手練れだったが……ええい、くそ。
何本も矢が刺さった盾を投げ捨て、すぐに追いかけようとするアベル。であったが、その腕をベルが引っ張って止めた。
「待ってください、アベルおじいさま。ボクも行きます」
「ダメだ。ベル、君はここに……」
っと声を荒げるアベルに、
「いや、ここは、落ち着いたほうがいい。アベル王子。この敵の動き自体、罠かもしれない」
教会堂から小走りに出てきたハンネスが言った。
「ヨルゴス神父と子どもたちの様子を見てきた。パトリシアおね……パトリシア嬢の姿もなかった」
「それは……また、事態は悪化の一途をたどっているようですね……」
「いや、逆だ……。あね……の子であれば、賢いから、なにかしら、目印を残していくと思う。追跡は可能だろう。だからこそ、落ち着いて行動せねば」
それから、ハンネスは改めて言った。
「私は、彼女たちを追う。アベル王子はミーア姫殿下への連絡を……」
「いや、それはダメです。ハンネス卿。あなただとて、ミーアにとっては大切な人のはず。一人で行かせるわけにはいかない。ボクも行きます」
そう言うと、アベルの後ろから、ぴょこんと手を挙げて、ベルが主張する。
「もちろん、ボクも行きます。ハンネス師匠の冒険劇を見ないわけにはいきませんし。それに……アベルおじいさまの雄姿も、見たいですし」
ちょっぴり照れくさそうに、そんなことを言うベルである。
正直なところ、アベルとしては、ベルを連れていくのは気が進まないところではあるが。
一方で、敵がわざわざベルを狙ってきたことが気にかかった。
――あの蛇での廃城でも、狙われたのはベルだった。あれが偶然でなかったとするなら、ここに残すのも危険かもしれない。
敵の狙いが分断であるとするなら、当然、ベルのそばにも護衛が必要になるかもしれない。
アベルは、無言で、矢が何本も突き刺さった盾を拾い上げ。矢じりを剣で斬り落とした。
「では、ミーアたちのところには……」
「あたしたちが……行きます」
立候補したのはヤナだった。
どこか覚悟の決まった顔で、小さな拳をギュッと握りしめて……ヤナは言う。
「必ず、ミーアさまには、お伝えします。だから、パティを……あたしの友だちを、助けてください……」
「それに、オウラニア姫殿下も!」
キリルが忘れないように、と付け加える。
「ああ……。約束しよう」
アベルは小さく頷いて答えた。
その時だった。暗い空が、にわかに明るさを増した。
「夜明けか……」
目を細め、空を見上げる。
夜明けの空から降り注ぐ光は、アベルたちの向かう先の道を照らしていた。