第百十一話 忠義の腕に止められる
自らの席に戻ってきたミーアは、頭の中の疲労感を洗い流すように、プティングと向き合う。
――海鳥の卵のプティング、と言っていましたわね……。ほう、表面は軽く焼いてあるのかしら?
スプーンでツンツンと突いてから、鼻を近づけクンクンと匂いを嗅ぐ。っと、甘い砂糖が焼ける、芳ばしい香りが鼻をくすぐった。
――あっ、これは、絶対美味しいやつですわ!
ミーアほどのスイーツソムリエになれば、もはや、匂いで大体の味が予想できてしまうのだ。問題は、その予想を超えてくるものかどうか、ということだが……。
ごくり、と喉を鳴らし……ミーアはスプーンをプティングに突き入れる。
表面はカリカリ、されど、中はプルプルのプティングをスプーンにすくいあげ、トロリと濃厚なカラメルソースにからめて、一口。
口の中に広がる甘味に、ミーアは、ほわぁっと歓声を上げる。
――ああ、舌の上にそびえ立つ甘味、ちょっぴり苦味のあるこのソースがアクセントになっていて、素晴らしいですわ!
さらに、ミーアは気付く。
これは、卵の味が普通とは違うぞ? っと。
海鳥のと銘打つだけあって、その卵の味はミーアが慣れ親しんだものよりさらにコクがあり、どっしりとした食べ応えがあった。
――これは、片手間で食べるべきものではありませんわ。全感覚を集中させませんと……。
そう思い立ち、ミーアは集中して、プティングを食べた。結果……。
プティングを数秒でペロリしてしまうミーアである。
「ああ……素晴らしいお味でしたわ……。では、もう一口……あら?」
っと、そこでミーアは気付いた。
自らの右腕アンヌが、お替りのプティングを、すぅっと持ち上げたことに。
「あら? アンヌ……あ、もしかして、あなたも食べたいんですの? でしたら……」
「ミーアさま、こちらは、本日のお夕食の後に出していただきましょう」
「え……でも……」
ミーアは自らのお腹をさすりながら、アンヌのほうを見る。っと!
「お誕生祭が近いですから……」
ミーアは自らのお腹をFNYFNYしながら、自らのお腹のほうを見る。っと!
「……まぁ、仕方ありませんわね。今日の目的は、ちょっぴりシュッとすることでしたし。うん」
そうして、自分を納得させた後、ミーアは改めてルードヴィッヒに目を向けた。
「しかし、この場はなんとかなりそうですけど、国王陛下のことが気になりますわね。こちらでも、動いているのかしら?」
「はい。皇女専属近衛隊の者たちにすぐに調べるように伝えているのですが……」
「そうそうすぐには見つかりませんわよね。ふむ……場合によっては、グリーンムーン公の手を借りる必要もあるかしら……」
ガヌドス港湾国との外交の窓口は、グリーンムーン公である。
その人脈は侮れないものがあるし、国王との関係も深いはずだ。
「もしも蛇が関係しているとなると、あまり手段を選んではいられませんわ」
せっかく一度はガヌドス国王の暗殺を防いだのだ。できれば、このまま、平和裏にオウラニアに王権を委譲してもらえれば一番良い。
――まぁ、きちんと国王として仕事をするというのであれば、それでもいいですけど、いずれにせよ、蛇に暗殺されるというのは避けたいですわね。国のほうも混乱しそうですし。
「はい。そう思いまして、すでにそちらにも人を走らせています」
「まぁ、さすがですわね。ルードヴィッヒ」
なぁんて、ミーアが感心していると、ちょうどタイミングよく、一人の男がルードヴィッヒに歩み寄ってきた。
報告を聞いたルードヴィッヒは、一瞬、眉間に皺を寄せてから、ミーアのほうに顔を向けて。
「ミーアさま、急ぎ、報告したきことがございます。一度、議場を出ましょう」
「わかりましたわ」
ミーアは一瞬の躊躇いもなく頷く。
ルードヴィッヒが急ぎと言うのであれば、それを拒否することはあり得ない。前時間軸より、ルードヴィッヒの急ぎが、本当に急ぎでなかった試しなどないからだ。
それに、もはや、議場には用はない。言うべきことは言ったわけだし……。ということで、ミーアは議長に了解を取った後、その場を後にした。
自分たちの議論を最後まで聞かずに退出したミーアを見て、ある者は無責任だと揶揄したが、他の大部分のものたちは、それを信頼の証だと捉えた。
「自分の思い通りに事が運ぶか監視するのではなく、相手の非を指摘し、悔い改めを促したうえで、改善のための道を提案し、後は信頼して任せる……ですか」
造船ギルド長ビガスの隣に座っていた議員が、感心した様子でつぶやいた。
ビガスは、なぜか、自分のことのように偉そうな態度で頷いてから……。
「あれが帝国の叡智というものだ」
どこか、ドヤァッとした顔で微笑んだ。
さて、そんなこととは露知らず、ミーアたちは、議場のロビーに出る。っとそこで、
「ミーアさま!」
二人の子どもが走り寄ってくるのが見えた。
「あら……? キリル。それに、ヤナも。どうやってここまで……まさか、蛇の手から逃げて来たんですの? それに、オウラニアさんとパティはどうしましたの?」
蛇に囚われた二人の子どもたちが、突如、駆け付けてきたことに目を白黒させるミーア。そんなミーアに、ヤナが抱き着いてきた。
「お願いします。パティを、オウラニア姫殿下を……助けて、ください」
その必死の訴えに、ミーアはただただ、目を白黒させるのだった。