第九十九話 前夜の戦い1 シオンとキースウッド
シオン・ソール・サンクランドは紛れもない天才だった。
剣の腕前はもちろんのこと、勉学においても高いレベルを誇り、そのうえ、機転と判断力にも優れる。まさに万能の天才の名に相応しい少年であった。
反面、高潔に過ぎて、少々、融通が利かないところがあったが、それも昔の話。
帝国のちょい悪皇女こと、ミーアと出会って以降、その影響を如実に受けた彼は、確実に成長していた……成長……? 成長していた!
具体的に言うと……。
そこは、場末の酒場。ミーアたちが元老議会に乗り込む前夜のことであった。
一日の労働から帰ってきた男たちが集う、憩いの場だった。
そのカウンター席の外れにシオンは座っていた。その隣には、前髪を長く伸ばした男の姿があった。うつむき気味で、そわそわと、どこか落ち着かなげな顔をしている男、その前に、シオンがスッと手を伸ばす。
「どうかな……。これが思い出すきっかけになればいいのだが……」
どけられた手の下からは、銀色に輝く硬貨が二枚。それは、サンクランド王国の銀貨だった。
そうなのだ、シオンは情報を得るために、どの程度の金額を渡せばいいのか、きちんと相場がわかるようになっていたのだ!
かつては、乗合馬車の値段すら、把握していなかったことを思えば、大変な進歩である。
……いや、もちろん、成長はそれだけではないのだが。
さて、当初は信用度を気にして、サンクランド銀貨を出していたシオンであったが……しばらくして、そこに思わぬ効果があることに気が付いた。それは……。
「……あんた、サンクランドの人間かい?」
男は窺うような目で、シオンを見つめた。シオンはしばし考えてから、おもむろに頷く。っと、
「おやおや、なんてこった。本当にガストンの旦那の言うとおりになったってわけか?」
男は銀貨を懐にしまいながら、皮肉げな笑みを浮かべた。
「どういうことだ? ガストンというのは……?」
「俺ら隠れヴァイサリアンのまとめ役をやってる旦那さ。しばらく前に来た異国風の男と一緒に、隔離島の連中を訓練してるとか聞いたが……」
「どういうことだ? ヴァイサリアンの隔離島に渡れるのか?」
「そりゃ、腕のいい船乗りならな。難しいってだけで、海は続いてる。行けないってことねぇな」
笑う男に、キースウッドが酒瓶片手に顔を寄せる。
「なるほど。詳しい話が聞きたいな。我々、サンクランドにも、なにか手助けができるかもしれない」
言いながら、男の酒杯に酒を注ぐ。男は上機嫌に笑いながら、
「なぁに、別にそう難しいことじゃない。国王陛下を呼び出して……」
声を潜めて言いながら、男は自分の首にとん、っと手刀を落とす。
「その混乱に乗じて、国内の主要施設を押さえるとかって話さ」
「国王を呼び出す? 簡単に言うが、どうやるつもりだ……?」
男が無言で手を差し出す。キースウッドは愛想よく笑って、さらに銀貨を差し出した。
「ガストンの旦那はオウラニア姫殿下を人質にするつもりらしい。なんでも、陛下との反目から、貧民街に逃げ込んでるとかいう話だからな。ただ……どうも、あの変な男の考えは違うみたいだな。別の手を考えてるらしいが、いまいち、そいつは聞かせちゃくれない。まぁ、いずれにせよ、国王を殺して、その混乱に乗じてってのが基本の構想らしいぜ。上手くいくのかね」
肩をすくめる男を残し、シオンらは店を後にした。
「……ガストン、それに、異国風の男か……」
「はてさて、ガヌドス港湾国にとっての異国というのは、どこに当たるんでしょうね。ティアムーンか、ヴェールガか、サンクランドか、あるいは……」
「騎馬王国……」
シオンは重々しい口調で言った。
「父上に危害を加え、エシャールを罠に嵌めた、あの男がこの国にいるかもしれない……」
「想像を膨らませれば、と言ったレベルの話ですが、ね。もしかしたら、捕縛する機会も訪れるかも……」
キースウッドの言葉に一つ頷き、シオンは言った。
「しかし、これからどうするのがいいだろうな……。一番は、騒動が起こる前にガストン一味を押さえることだが……」
「…………シオン殿下」
不意に、キースウッドが声を落とした。同時にシオンが一瞬、背後に目をやる。
「尾行か。さっきの男か……」
「やけに、ペラペラしゃべってましたからね。やれやれ、こんなことなら銀貨四枚も渡すんじゃなかった」
二人は頷きあうと、素早く次の角を曲がり、裏路地へと入っていく。少し進んだところで振り返る、っと、月明りの下、追ってきたのは四人の男だった。
先頭に立つのは、先ほど、酒場で情報を提供してくれた男だった。男は、剣を引き抜きながら言った。
「そんで、結局、兄さんらは何者なんだね? もしや、どちらかは帝国騎士、ディオン・アライアだったりするのかい?」
その問いかけに、思わず笑い声を上げたのはキースウッドだった。
「さてね。生憎と俺はお前さんほど口が軽くないんだ。絶世の美女と高級な酒とをセットにしてもらわないと、話そうなんて気がおきないね」
「ふん、まぁ、そう言いなさんな。少し話がしたいだけなんだ。なぜ、我々のことを探っているのか、事情が聴きたい。もし、ディオン殿であるならば、事情を説明したいし、本当にサンクランドの人間ならば、なおのこと……」
などと話し始める男に、キースウッドは眉をひそめた。
――またしても、よくしゃべるな。こいつ、なにか企んでいるのか?
油断なく剣を抜き、構える。月明りを受け、刀身が冷たい輝きを放った。
「悪いが、夜闇で剣を突きつけてくる人間と会話を楽しめるほど、豪胆でもないんでね」
刹那の静寂の後……男たちは一斉にキースウッドに斬りかかってきた!
……ところで、ここ最近はすっかり、調理場の番人(ミーアから王子たちの胃を守るための)と化しているキースウッドだが、その剣の腕は、シオンに勝るとも劣らないものだった。
そう、勝るとも劣らないものではあるのだが、その質という意味では、シオンとは全く違うものでもあった。
彼の剣は、シオンよりも遥かに――ひねくれていた。
向かってくる男たちに向かい、キースウッドはおもむろに剣を投げつけた。
先頭の男は、慌ててそれを、自らの刃で受け流す。が、それは致命的な隙になった。
男の懐に飛び込んだキースウッドはそのまま男の股間に思いきり膝蹴りを入れ、即座に身を低くし、後ろの男に鋭い足払いをかける。地面に落ちていた自らの剣を拾いつつ、三人目の男の剣を思い切り切りあげ、跳ね飛ばした。
そこに、最後の一人が斬りかかってくる。
夜闇にギラリ、と光る刃。迫りくる斬撃に、けれど、キースウッドは視線を向けようとはしなかった。なぜなら……。
天才、シオン・ソール・サンクランドの剣が、敵の剣をからめとり、高々と空に舞いあげてしまったからだ。
「なっ……」
苦悶に倒れ伏した男たちと、剣を失い、呆然と立ち尽くす男たち。
最も手近にいた、足払いで地面に叩きつけられた男に剣を突きつけながら、シオンが涼しい顔で言った。
「国王ネストリ陛下を暗殺し、混乱に乗じて国内各所を襲うか……。そんなに上手く事が運ぶと思っているのか?」
「はは、どうかな。この国の軍隊は、隣国ティアムーンに比べれば、弱小だ。混乱に乗じれば、やってやれないこともなし。そして、虐げられた民が声を上げれば、必ずサンクランドは動いてくれる」
「正義と公正を守る、か。難しいものだな……」
シオンは小さくため息を吐き……。
「それで、その無茶な計画の決行の日はいつなんだ?」
問えば、男はニヤリと口を釣り上げて。
「残念ながら――もうすでに始まっている」
「ああ……くそ。これは、時間稼ぎというわけか」
シオンは思わず舌打ちした。