第九十八話 叡智は問わん。国とはなんぞや?
堂々と胸を張り、ミーアは主張する。彼は剣ではない、と。
それは、なにゆえか……?
決まっている。いつだって、ミーアの考えは変わることはない。
その思考の基本線は、すなわち、責任と期待の分散だ!
ミーアは厳かな口調で、改めて言う。
「あなたたちの国王陛下を守ったのは、我が帝国の誇る最強の騎士。素晴らしい剣の腕前を持つ男、ディオン・アライアですわ」
強調すべきは彼が『道具』ではないということだ。なぜなら、道具が活躍した場合、使う者に功績が帰せられるからだ。彼を使いこなすミーアがスゴイ! ということになり、ミーアに任せておけば大丈夫! になってしまうからだ。
そうならないようミーアはしっかりと否定しておく!
「彼はわたくしの剣ではない。言うなれば、我が腕のようなものですわ。だって……」
ミーアは、そこで悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「わたくし、残念ながら剣のほうはからきしなんですのよ?」
剣を持ったところで、大したことはできませんよぅ~とミーアは主張する。
「同様に、わたくしが信頼を置く家臣、ルードヴィッヒも知識の書かれた本ではない。彼は、そうですわね……わたくしの見えぬことを知らせる、よく見える目かしら……?」
ミーアの目と言われたルードヴィッヒは、メガネの位置を直しながら小さく笑った……どうやら照れ笑いらしかった。
「メイドのアンヌは、わたくしの世話をよくしてくれる、もう一つの腕ですわ。そして……」
ミーアは最後に、可憐な笑みを浮かべるシュトリナのほうに目を向けて。
「その隣にいるのはイエロームーン公爵令嬢。薬に詳しい彼女は、食料に含まれる毒をすべて無効にしてくれる。いわば、わたくしの体を守る……そうですわね、丈夫な胃袋と言ったところかしら?」
ミーアの胃袋扱いされたシュトリナの、その可憐な笑みがヒクッと引きつる。それをミーアは見逃さなかった。
……どうやら、今の喩えはあまり嬉しくなかったらしいと察し、すぐさま、まとめに入る。
「わたくしは、我が帝国の臣民に寵愛を与えておりますわ。彼らは、わたくしの身体の一部のようなものですもの」
だから、断じて道具じゃないぞ! と主張すると同時に、別のことも暗に強調する。
すなわち、帝国の民は、体の一部だが、ガヌドスの民はそうじゃないから、責任とらないよ? っと。
そして、そこで一度、言葉を切って聴衆の顔を窺う……なにやら、わかっていない様子なので、さらにミーアが言葉を続けようとした、その時だった。
「ミーアさま、いささか喩えが高尚に過ぎて、ミーアさまのお考えが伝わり切っていない様子。目と称していただいた後で、このように口を挟むのはいかがなものかと思いますが、今日は、私がよく動く舌になることを、お許しいただけるでしょうか?」
いささか芝居がかった口調で、ルードヴィッヒが立ち上がる。
――ふむ、さすがは知恵袋ルードヴィッヒですわ。良いタイミングですわね。
などと感心しつつ、ミーアは小さく頷いた。
「感謝いたします。それでは、議長殿、ミーアさまの舌として、私が発言するのをお許しいただけますか?」
次いで、ルードヴィッヒは元老議会の議長に許可を求める。さすがに、ここで発言を止める胆力もなかったのだろう、議長がゆるゆると頷くのを待ってから、ルードヴィッヒは話し始める。
「それでは……ミーアさま、もしも、国民が一つの体の器官だとするならば、このガヌドス港湾国もまた、一つの体と見做されるということでしょうか?」
――ほう、ルードヴィッヒ……なかなかやりますわ。ガヌドスの民は、帝国とは違う体と強調するとは……! さすがはメガネをかけているだけのことはありますわね。
感心しつつ、ミーアは頷いた。
「そういうことですわね。ガヌドス国王ネストリ陛下、あるいは、オウラニア姫殿下……王族の方を頭とする体と見做すべきでしょう」
「ははは、面白い。ならば、我ら商人ギルドは良い商品を見抜く目、漁業ギルド辺りは、さしずめ足といったところですかな」
「おい、なんで、俺たちが足なんだ?」
元老議員の何人かが話に乗ってきた。それを見て、ミーアは上機嫌に笑う。
「不満に思う必要はありませんわ。目には目の、足には足の仕事がある。体を支える足の役割も大切なものですわ」
実に親しげな口調で帝国の姫に褒められて、漁業ギルド長が顔を赤らめる。ガヌドス港湾国の民にとって、帝国は紛うことなき大国で、それゆえ、その姫君から褒められることは、この上もない名誉なことなのだ。
「確かに、この国の屋台骨である漁業関係の人々は、国を支える足と言えるかもしれませんね。けれど、それ以上に、足のような扱いを受けている者たちがいる。下に置かれて踏みつけにされる、そのような者たちがいますね」
ルードヴィッヒは、そこで、クイッと眼鏡を上げる。
――踏みつけにされた弱者……ヴァイサリアンですわね!
瞬間、ミーアは、ルードヴィッヒの狙いを察して、おおっ! と声を上げそうになった。
――なるほど、そのように論理を展開させるのですわね! さすがは、ルードヴィッヒですわ。
ミーアは、ニヤケそうになる顔を、懸命にしかつめらしいものにして、
「ええ。おりますわね。同じ体の一部なのに、踏みつけにされている者たち……ヴァイサリアンの民が……」
議長を、議員のひとりひとりを見つめて、言葉を続ける。
「彼らとて、このガヌドスの民。では、これは、どのような状態と言えるかしら? 民が民を虐げ、苦しめること……それは、右の足で左の足を踏みつけにするようなものですわ。右の拳で、左の拳を殴りつけるようなものですわ」
視線を、一番近くにいた議員に向けて、ミーアは言った。
「そこのあなた、自分の友人がそんなことをしていたら、どうしますかしら?」
「え……? あ、ああ。止める……でしょうか」
自信なさげに応える男に、ミーアは大きく頷いて。
「そう……。そんなことをしていたら、止めるのが当たり前ですわ。だって、自分の右足を左足で踏みつけて、痛めつけるだなんて……そんなことしていたら、倒れてしまいますわ」
っと、ミーアはあたりに目をやって、ふと思う。
――ふむ、少し抽象的に過ぎるかもしれませんわ。ここは、具体例を出して……ヤナとキリルに登場いただくとしましょうか。
そっと目を閉じて、ミーアは続ける。
「セントノエル学園の特別初等部にヴァイサリアンの子どもたちがおりますの。とても利発で可愛い姉弟で、ヤナとキリルという名前ですわ……。ねぇ、あなたたちが踏みつけにしているのは、海を荒らして回る海賊ではございませんのよ? 幼い子どもたちであり、子どもたちを育てるのに必死の親たちですわよ? それを島に隔離して、閉じ込めて……そんなことを続けていて、国が倒れないと思いますの? そんなことが本当に許され続けるとでも?」
種を蒔けば刈り取りの時が来る。
自らで足を痛めつければ、いつか立っていられない時が来る。
それは自明の理だ。
そんなことは、たぶん、彼ら自身だってわかっているはずなのだ。
ゆえに、ミーアは確信のこもった口調で言った。
「わたくしは、帝国皇女ですわ。ですから、それが正しいか、間違っているかを判断する立場ではない。それをするのは神であり、神聖典であり、中央正教会であり、我が友ラフィーナさまでしょう。だから、わたくしは、みなさんを間違っているとは言いませんわ。だから……」
ミーアは大きく息を吸った後、高々と声を上げる。
「わたくしがこうして言葉をかけるのは、ただ隣の友人に対してのことですわ。友を想う気持ちが、わたくしにこう言わせますわ。今のまま、ヴァイサリアン族への迫害を続ければ、ガヌドス港湾国は倒れてしまいますわ。だからこそ、今こそ、それを変えるべきではないかしら?」
言い切って、ミーアは達成感を覚える。
――これにて、わたくしは助言するお友だちの立場をゲットいたしましたわ。うふふ、やりましたわよ。
っと、ミーアはそこでふと思う。
最後のまとめに、とミーアは言葉を続ける。
「ガヌドス港湾国元老議会のみなさん、並びに、この話を聞く国民のみなさん、ぜひ考えていただきたいですわ。ヴァイサリアン族をどのように扱えばよいのか? この国にヴェールガ公国の、いいえ……あの聖女ラフィーナさまの視察をお迎えするのに、どのようにすればよいのか……」
ニッコリと笑みを浮かべてミーアは言った。
「わたくしも、隣国の友として、協力できることはしっかりと協力させていただきますわ」
そうしてミーアはさっさと自らの席に戻り、ソワソワし始める。
――海鳥の卵のプティング、楽しみですわ!
重たい期待感を振り払った今ならば、いくらでも食べられそうな気がするミーアであった。