第九十六話 王不在の元老議会
紋章の書かれたアーチを抜け、エントランスへ。
そこには、元老議員か、その関係の者だろうか。人々が談笑していた。会議が開かれる前に、こうして親交を深めておくのだろう。
エントランスの奥には重厚な扉が見えた。恐らくはその先が、会議を行うホールだろう。
っと、すすすっと横から一人の男が近づいて来た。それは、先日、王宮で顔を合わせた男、造船ギルド長ビガスだった。
「ご機嫌麗しゅう。ミーア姫殿下。今日はようこそ、おいでくださいました。ご足労いただき、誠に恐縮ですが、なにとぞ、よろしくお願いいたします」
平身低頭のビガスに、ミーアはスカートの裾をちょこんと持ち上げて応える。
「あら、ご機嫌よう。ビガス殿。こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ。いろいろと、お骨折りいただいたみたいで、感謝いたしますわ。こうして、議会への参加を手配していただいた以上、みなさまへの説明はわたくしの責任ですわね。きっちりさせていただきますわ」
ニッコリ笑みを浮かべるミーアに、ビガスはさらに近づき、そっと声を潜める。
「私、先日のミーア姫殿下のお言葉に感銘を受けました。今日はすでに、議員の何人かには声をかけて、ミーア姫殿下に賛同するように、話をつけてあります」
「ほう……」
「ああ、それと、本日の議会はお茶菓子として、ガヌドス港湾国名物の『海鳥の卵プティング』を用意いたしました。姫殿下は、烏賊の干物がお好きとお聞きしましたが、こういった甘い物もどうかと思いまして……」
「ほうっ!」
ミーアはニヤリ、とほくそ笑む。
――これは……予想外に、この男、できますわね! 抜かりありませんわ。
はたして、ビガスのどちらの用意に、ミーアが感銘を受けたのか……それは、神のみぞ知ることであるが、それはともかく……。
――ふむ、美味しくお茶菓子を食べるためにも、ここは気合を入れて演説を行わなければなりませんわね。
そうして、鼻息荒く、ミーアは扉に手をかけた。
ホールは、それなりに広い部屋だった。
正面には、議長席とその上には王の座る玉座が、左右には議員が座るのであろう長い椅子が左右に据え付けられている。そして、議長席の正面、左右の椅子に囲まれたところに、おそらくは発言者が立つのであろう、手すりで囲まれた場所があった。
さらに、会議の場を見下ろすように二階席、三階席が、ぐるりと四方を囲んでいる。そして、その席は、すでに人々で埋まっているようだった。
「あら……議員の数は十二名とか、そんなものではなかったかしら?」
軽く後ろを振り返り、ルードヴィッヒに聞いてみる。っと、ルードヴィッヒは小さく頷き、
「話し合いを行うのは十二名ですが、市民には傍聴が許されていますので」
「なるほど……。ということは、一般聴衆も味方につけたほうが有利に働く、ということですわね」
てっきり、決まった議員の前でだけ話せばいいと思っていたミーアだったから、これは少々、予想外だった。なかなかに大変そうではあるのだが……すでに幾度かの修羅場を潜り抜けているミーアには、どうということもない。そもそもミーアは、レムノ王国の完全武装した兵士たちの前に、身一つで立ったこともあるのだ。
さて、案内された席で待つことしばし……、会議はなかなか始まらなかった。
「すでに、予定の時刻のはずですが……」
横に座ったルードヴィッヒが眉をひそめる。
「ふうむ、どうかしたのかしら……?」
議長も元老議員も揃っているようだが、いつまでたっても王の玉座は空席のままだった。
そわそわと、元老議員たちの間に動揺した空気が広がる中、若い者から何事か耳打ちされたビガスが歩み寄ってきた。
「大変申し訳ありません。ミーア姫殿下、実は、国王陛下がいらっしゃらないのです」
「あら……そうなんですの?」
「今日の元老議会には出席されるご予定だったのですが……朝から姿が見えないとか」
「ふうむ……」
もしや、蛇の蠢動があったのでは? とルードヴィッヒのほうを窺うも、現状では動きが取れないミーアである。
――まったく、嫌なタイミングで動きますわね。さすがは蛇といったところかしら……?
そんなミーアに、ビガスは落ち着いた口調で言った。
「王がいらっしゃれないというのでは、仕方ありません……。王不在のまま、会議を始めます」
「あら、それで大丈夫なんですの? てっきり中止になるのかと思いましたけれど……」
「元老議員たちの賛同が得られれば、会議は開けます。もっとも、よほどのことがない限りは中止になるのでしょうが……ミーア姫殿下にご参加いただくというのは、よほどのことですので」
ビガスはそこで、声を潜めて。
「というか、それで押し切りますので……。なにとぞ、ミーア姫殿下のご威光をこの場でお示しいただければと……」
ニヤリ、と悪い笑みを浮かべた。
――ふむ、なるほど。そういうことならば、むしろ、これは好機と考えるべきなのかしら……。邪魔をしそうな国王陛下がいらっしゃらない場で、大部分の人たちを説得してしまえばよいのですし。
蛇の暗躍は依然として気にはなるが、今から議場を退席するのは現実的ではないし、さして意味があるとも思えない。ならば、今は目の前の問題を片付けよう、と改めて思うミーアである。
「これより、臨時の元老議会を開会する。本日の議題は、隣国、ティアムーン帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーン姫殿下より持ち込まれた、極めて重要な案件である。みな、心して聞くように!」
議長を務める老人が、ミーアのほうに目を向けてきた。同時に人々の視線が一斉にミーアに集まる。
ミーアは一つ頷いてから、堂々と胸を張り、議会の中央に立つ。
そして……話し始めて……ほどなくしてミーアは、
――むっ! これは……!
そこに潜む危険の臭いを嗅ぎ取った!