第九十話 サンクランドの王子たち
グリーンムーン家の別邸、応接間にて。
「……というわけなんですの」
エメラルダから大体の事情を聞いたシオンは眉をひそめた。
「オウラニア姫が父親を暗殺するというのは……少し急すぎる疑惑だ。セントノエルからガヌドスに来て、そう日数は経っていないはず。その短い期間に暗殺者と通じ、暗殺に踏み切ったと考えているのか、あるいは、それ以前から暗殺者と繋がりがあったと考えているのか……」
ソファに腰かけたシオンは腕組みし、考え込む。
「ヴァイサリアン……でしたか。暗殺犯が、例の海賊の末裔だというのも気になりますね。蛇との関わりも指摘される民だと聞きますし……」
シオンのつぶやきに、キースウッドが付け加える。
「そうだな。混沌の蛇……連中が背後で何か動いているのかもしれない」
っと、そこでシオンは気付いた。エシャールが気遣わしげに、エメラルダのほうを見つめていることに。その視線を追って、エメラルダのほうに目を向け、シオンは首を傾げた。
エメラルダは、どこか上の空な顔をしていたからだ。
「どうかしたのか? エメラルダ嬢。オウラニア姫殿下やミーアのことが気になるのはわかるが……」
「いえ、王宮のほうは、ミーアさまがいらっしゃるのでなんとかなると思いますわ。けれど……」
ゆっくりと首を振ってから、エメラルダは続ける。
「気になるのは父のことですわ」
「お父上の……グリーンムーン公が?」
「はい。私がエシャール殿下とガヌドスに行くと言った時、一緒に行く、と強硬に言い張りましたの。はじめは、過保護のゆえと思ったのですけど、どうやら、それだけではないような気がして……」
そわそわと落ち着かなげに立ち上がり、エメラルダはうろうろと歩き出す。
「今も、そうですわ。オウラニア姫殿下のことに関係して、ミーアさまが軟禁されたと聞いたら、一目散に王宮へと赴いた」
「だが、それは、家臣ならば当然のことではありませんか? 自国の皇女殿下が不当な扱いを受けているとあれば……」
キースウッドの指摘にも、エメラルダは、あまり納得のいかない顔をする。
「確かに抗議は必要なことですわ。外交のことを考えるなら、ミーアさまに働いた無礼を盾に、有利に話を運べることもあるとは思いますし。けれど……気になりますわ。お父さまが……もしかしたら、今回の件に関係していたのではないか、と……」
うろうろ、うろうろ……歩いていたエメラルダが、パンッと手を打った。
「そうですわね、あまり気をもんでいても仕方ないことですわ。ということで……」
それから、ちょっぴり勝気な笑みを浮かべて、
「シオンお義兄さまとキースウッドさん、おもてなしできず大変恐縮なのですが、手をお貸しいただけないかしら?」
「どういうことだろうか?」
いや、義兄って……気が早いな! などと心の中でツッコミを入れつつも、シオンが問い返せば、エメラルダは、さも当然とばかりに頷いて。
「決まっておりますわ。父が持つガヌドス関係の資料を洗ってみようと思っておりますの。父がいない今がチャンスなのですわ」
言うが早いか、エメラルダは足早に部屋を後にした。
「しかし、調べると言っても闇雲に調べるのは……」
廊下をズンズン歩いていくエメラルダ。その後を追いながら、シオンが難しい顔をする。
「ふふ、問題ありませんわ。我がグリーンムーン家は、外交と、主に学問に造詣が深い家ですわ」
その二つによって、得られた技術、それこそ……。
「私も、色々と覚えるようにはしておりますが、やはり、すべてを記憶するのは難しいですわ。ゆえに、きちんとメモを取るようにしておりますの」
出会った相手の情報を記憶するだけでなく、きちんと記録して、文章にしておくこと。その大切さをエメラルダは知っている。自分の記憶力というのが意外とアテにならない、ということも。
そして、そのことを教えてくれたのが父であった。
「外交に必要そうな情報は、きちんと、この辺りにまとめてあるはず……ねぇ、ニーナ」
声をかけられ答えるのは、エメラルダの忠実なるメイド、ニーナであった。
主から声をかけられた彼女は、その呼びかけに、嬉しそうな顔……をすることなく……。
「エメラルダお嬢さま、大貴族のご令嬢はメイドの名前など覚えないもの。グリーンムーン家では、ただでさえ、覚えるものがたくさんあるのですから、あまり無駄なことには……」
「あら、ニーナの名前を覚えることが無駄とは思いませんわ。ミーアさまだって、メイドの名前や従者の名前をきちんと記憶されておりますわ」
シレッとした顔で、そんなことを言われ、ニーナは、深い哀愁のこもったため息を吐いてから、
「こちらと、こちらの棚が、外交関連の書類をまとめた棚になっています」
ニーナが示したのは、壁際に据え付けられた本棚だ。その膨大な資料に、シオンは、やや引きつった笑みを浮かべる。
「これを全部……というのは、さすがに難しそうだが……。目星はついているのかな?」
「そう……ですわね。ふーむ……」
エメラルダは腕組みして……、難しい顔で考え込んでから……。
「まるっっっきり! ですわね」
あんまりな答えに、思わず、転びかけるシオンとキースウッドである。
一方、エシャールはと言えば、年に似合わぬ苦笑いを浮かべている。どうやら、エメラルダの反応には慣れている様子だった。
「なにしろ、お父さまが出会う人は、一年に百では効かないでしょうし。どうにも役に立たなそうな方以外は、きちんとメモにまとめているはずですわ……。ですから、絞り込むのがなかなか大変なのですわ」
「とりあえず、地道に、ガヌドス港湾国の人間を当たっていく、というのがよろしいのではないでしょうか?」
ニーナの助言を受けて、エメラルダが頷く。
「そうですわね。その関係で怪しげな人物がいるかもしれませんし……」
ということで、本棚の中、ガヌドス港湾国に絞って、記録を漁っていく。
それは、エメラルダの父が作り上げた膨大な資料だった。
「しかし、すごいな。ガヌドス港湾国の主要な人物とは、大体知り合いか……」
ガヌドス港湾国国王、歴代の造船ギルド長に、元老議会の議員たち。そのほとんどと交流を持ち、対話し、ついでに、ちょっとした贈り物を送っている。
外交のグリーンムーンの名に恥じぬ記録が、そこにはあった。
「ふっふっふ、それだけではございませんわよ? ガヌドスの重鎮ばかりでなく、ガヌドスに来た他国の方にも……あ、そうですわ」
とそこで、何やら思いついたのか、エメラルダはパンッと手を叩いて。
「サンクランドの方とも、面識がございましたわ」
「ああ、そうだったな、ランプロン伯と繋がりがあるのだったか……」
「ふふふ、それだけではございませんわ。ええと……確か、何年か前、まだ、幼い頃に一度、サンクランドからガヌドスに渡りたいという貴族の方と引き会わされたことがあったはず……」
などとつぶやきつつ、エメラルダは、書類をめくり始めた。
「そうですわ。話していて思い出しましたけど、あの方は、なんだか、少し変わった方でしたわね……」
「変わった人物……というと」
「そうですわね……言うなれば……アンバランスな方という印象かしら……?」
エメラルダの男性評価基準は、基本的にイケメンかどうかである……。面食いエメラルダにとって、その他のことは些末なこと。
今は、そこまでではないにしても、かつての彼女は紛れもなく、そんな価値観の持ち主だった。けれど……その男は……。
「顔立ちは、それほど整ってはいないのですけど、その立ち居振る舞いに気品があり、なんとも言えぬ魅力を放つ人物と言いましょうか」
明らかに、自分が魅力を感じるような人物ではない。にもかかわらず、否定できない色気がある……。そんな魅力的な人物で……。
「ああ、いましたわ。ジェロム・ムールホルン……。そう、この方ですわ」
名前と面会の記録、それに、紹介者の名前の書かれた羊皮紙をシオンへと渡す。
「ムールホルン……聞いたことのない家名だな」
「あら? そうなんですの? サンクランド貴族とお聞きしておりましたから、てっきり、ご存知かと思いましたけど……」
シオンは眉根を寄せて、唸った。
「キースウッド、この紹介者の名……この貴族は……」
「どうかしたのですか? シオンお兄さま」
兄の様子に気付いたのか、疑問を口にするエシャールにシオンは首を振ってみせて、
「ああ、いや、なんでもない。お前は気にしなくても……」
と言いかけるも、すぐにハッとした顔をする。
「いや、そうだな……。お前も知っておいたほうがいいだろう」
まるで、重大な秘密を打ち明けるかのような、重々しい口調で言った。
「この紹介者の貴族は、我がサンクランドの諜報機関、風鴉の運営に深い関わりを持っていた者だ」
「え……?」
「ランプロン伯から風鴉のことを聞いていないか? 彼らは、各国に諜報網を築き、動きを探っていたんだ。民が虐げられることはないか、公正を欠く統治が行われていることはないか……と。もっとも、それを、サンクランド至上主義の貴族たちは、他国を併合する大義名分に使おうとしていたらしいし、混沌の蛇の介入で、白鴉という極端な集団を生み出すことにも繋がってしまったんだが……」
と、そこで、シオンは不意に目を瞬かせた。
「しかし……ヴァイサリアン族への迫害に関しては聞いたことがなかったな……」
「タイミングと国の大きさということでしょうか。当初、白鴉が狙っていたのは、レムノ王国とティアムーン帝国だという話もあります」
キースウッドの指摘に一つ頷き……。
「ガヌドスは小さい国だ。優先順位としては低かったのかもしれない。が、問題は……その仕掛けが今も生きていないか、ということだろうな。レムノ王国では、革命軍を組織して、王政府の転覆をはかった。では、ここ、ガヌドスではどうなるのか?」
それから、シオンはエシャールのほうに目を向けて……。
「もしかすると、俺たちで、サンクランドの不始末の後片付けをしなければならないかもしれないぞ」
兄の言葉を受け、表情を引き締めるエシャールだった。