第八十八話 行くべき道を指し示すモノ
「おお……これは……」
その魚形のケーキを前に、ミーアは唸った。
茶色い焦げ目のついた、芳ばしい香りを放つケーキ。ゴクリ、と喉を鳴らすミーアであったが、即座に、毒を疑う。
――ううむ、これは警戒するべきかしら……? いや、しかし、美味しそうですし、わたくしが催促したのだから、食べないのも失礼にあたる。かも? 美味しそうですし、ここは、食べないわけにはいかないかしら? なにより、美味しそうですし……。
っと、頭の中がケーキに持って行かれそうなのを、懸命に、踏みとどまろうとして……とどまろうとして……っ!
――ああ、甘くて美味しそうな香り。いけませんわ。相手のペースに乗っては……。なにか、気分を紛らわさなければ……。
ミーアは、荒ぶる食欲を静めるように、ふぅう、っと息を吐きつつ、思考を別方向に流さんとする。
――しかし、ケーキを魚形にするとは、わたくしの馬パンにも通じる考え方。やはり、魚と関係の深い港湾国ならではの形ということかしら……。魚……魚?
その瞬間っ! ミーアの脳内で、丸々と太った魚が跳ねた!
「……ああ、具体的に……そうですわね」
わざとらしく、頬に指を当て考えるようなふりをしてから、実にあざとい笑みを浮かべて……。
「では、国王陛下、わたくしは提案いたしますわ」
胸を張り、ミーアは厳かに告げる。
「ガヌドス港湾国の中に……魚を研究する施設を作るのがよろしいのではないかしら?」
「魚を……研究する施設、ですと?」
ミーアは、深々と頷きつつ、
「そうですわ。つい先ごろ、セントノエル学園でこんな話が出ましたの。我が国のミーア学園と共同で、なにか、意義のある研究をしましょう、と。そして、話し合いの結果、飢饉に対処するための、魚の研究をすることになりましたの」
できるだけ、ニマニマしないようにしつつも、心の中では高々と拳を突き上げる。
――ふっふっふ、我ながら、実に冴えておりますわ! 監視の役割を果たすのはティアムーン帝国のみにあらず。ヴェールガやサンクランド、研究に携わる他の国にも担わせればいいのですわ。
責任をいくつかの国に分散してしまおうという、極めていつもどおりのミーアの考えである。
「いや、そのようなものを我が国に作る意味があるまい」
などと言う国王に、ミーアは、オウラニアから仕入れた知識を披露する。
「あら、ご存知ありませんの? 魚の中には海の潮水でしか生きられないものもいる、と。湖の魚の研究はヴェールガ公国の中に作ればいい。というか、セントノエル近くに作ればよろしいでしょうが、海に棲む魚のほうは、どうかしら?」
話しつつ、ミーアは、自らの思い付きが、なかなか隙が無いことに気が付いた。
――おお、もしや、わたくし、本当に叡智を身につけつつあるのでは?
なぁんて調子に乗りつつ、指を振り振り、得意げに説明を続ける。
「共同研究なのですから、一つをヴェールガの中に作るとすると、もう一つは、帝国の近くに作るのがバランスが良いですわ。とすると、ここしかございませんわね?」
「なるほど、つまり……ガヌドス港湾国内にヴェールガ、ティアムーンと関係の深い研究施設を作り、監視の機能を持たせる……と、そういうことでしょうか?」
ルードヴィッヒの問いかけに、ミーアは、しかつめらしい顔で頷いて、
「それだけではなく、せっかくですし、ヴァイサリアン族の方たちが働けるようにする、というのはどうかしら? 無論、ガヌドス港湾国のみなさんにも働いていただいて……ともに汗水を流せば、徐々に仲だって深まっていくものですわ」
その提案に、造船ギルド長が苦笑いを持って答える。
「それは、無謀というもの。確かに、奴らは海で生きてきた海洋民族ですが、それも過去の話。今は、あの島に閉じ込められてから世代交代がされています。奴らに、魚の研究などと言う学が必要なことができるはずがない」
「あら? そうでもありませんわよ? 魚の研究と言っても、色々あるのではないかしら?」
ミーアはそれに異を唱える。
そう、ミーアは学び、成長しているのだ。
サンクランドで見たこと……そこで得られた深い教訓。シュトリナのほうをチラリと見てから、ミーアは思う。
――毒キノコには毒キノコの使い道がある。解毒にも使えますし、毒を抜けば珍味にだってなる。要は使い方次第。それは……。
「……ヴァイサリアン族とて同じことですわ」
小さくつぶやいてから、ミーアは言った。
「国王陛下は、具体的なことをご所望のようですから、アイデアを出しましょうか。例えば、彼らが造船に関わっているというのであれば、水を通さぬ船体を作ることができるはず。水を通さぬ技術を持つならば、逆に、車体に水を溜めることができる馬車というのも作ることが可能ではないかしら? それができれば、生きたままの魚を、遠隔地に運ぶことができるようになるかもしれませんわ」
ミーアの言葉を、国王が鼻で笑い飛ばす。
「愚かな。水を溜めた程度で、魚を生かしたまま運べるはずがない」
けれど、その指摘にもミーアが揺らぐことはない。なぜなら……。
「ふふふ、無論、それで上手くいくとは限りませんわ。魚というのは、水を溜めた桶に入れ、餌さえあげていれば、ずっと生き続けられるものなのか、あるいは、なにかの具合で死んでしまうものなのか、それはわたくしにはわかりませんけれど……でも、それって、やってみなければ、誰にもわからぬことではないかしら?」
そもそもが、上手くいくかいかないかわからないから、とりあえず、やってみようぜ! と言えるのが、研究の良いところである。
――研究とはキノコに似たものですわ。食べてみなければ、毒キノコか、食べられるものかわからない。だからこそ、あえて齧ってみるのが肝要なのですわ。
目を閉じ、うんうん、と頷くミーア。実際のところ、一般的には、齧ってみたら毒キノコでした! というのは、やったらダメなことと思われるのだが……まぁ、どうでもいいことなのであった。
……いや、そうだろうか?
「なるほど。確かに、そういうものかもしれません。失敗からも学ぶことはある、が、そもそも始めなければ失敗すらできない」
そう言ったのは、意外なことにグリーンムーン公だった。学問とかかわりが深い家系ゆえに、ミーアの言葉の正しさを認めざるを得なかったのだ。
「無論、失敗が許されぬことというのもあるでしょう。ヴァイサリアン族の境遇改善は、失敗できぬこと。民との軋轢や衝突は絶対に避けるべきことで、慎重に進めるべきことですわ。けれど、少なくとも、今のままでいて良いというのは、あり得ませんわ」
そこまで言ってから、ミーアは、静かにガヌドス国王のほうを見つめて、
「とまぁ、このような感じのことをオウラニア姫殿下を中心に実現していただけたらと思っておりますの。ですから、ぜひ、一日も早く、オウラニア姫殿下と子どもたちが保護されることを望みますわ」
「い、いや、だが……。それでも、民の経済的な不満を和らげることはできないのではありませんか?」
「僭越ながら、新しい研究施設ができ、人が集まれば自然と新しい産業も……」
っと声を上げようとしたルードヴィッヒを、ミーアが片手を上げて制す。
「そこまでですわ。ルードヴィッヒ。なにからなにまで、わたくしが解決してしまっては、まるで属領のようになってしまいますわよ」
おほほ、っと冗談めかして笑いつつも、半ば本気のミーアである。
ここで、自身の家臣であるルードヴィッヒが良いアイデアを出してしまえば、その功績を押し付けられかねない。
そうなれば、下手をすると、ミーアのために黄金のナニカが立てられてしまうかもしれない。ゆえに……。ミーアは国王を、そして、造船ギルド長を見て、
「これは、あくまでもガヌドス港湾国の問題。であれば、あなたたちが自ら考え、決定する必要がある。そうではありませんの? まぁ、お二人で話し合うのも限界があるでしょうし、 ガヌドスの議会に諮ればよろしいのではないかしら?」
これにて、ミーアは自身の責任と功績を完全に、彼らに投げつける。
『ミーア師匠の功績を讃えて、建てちゃいましたー!』
などと、オウラニアが嬉々として言い出さないように、である。
――ふぅ、これでなんとかなったのではないかしら……?
などと一息吐くミーアは……気付いていなかった。
船に直接指示を出し、操る者は船頭だが、それに対し、行くべき先を、光によって指し示す、堂々とそびえ立つような存在が、なんと呼ばれるのか……。
言葉なく、ただ感銘を受けた様子でミーアのほうを見つめる造船ギルド長。後に彼は、オウラニアと、“とあること”で大いに盛り上がり、意気投合することになるわけだが……。
そんなこと、想像もしないミーアなのであった。
殴り合わそうと思ったのですが、殴り合いになりませんでした。不思議です。
ということで、明日からミーアは秋休みとなります。




