第八十六話 じゃあ、お前やってみろよ?
「具体的に……?」
「そのとおり。ぜひ、ミーア姫殿下のお考えを窺いたいと思いましてな」
ジッとこちらを見つめてくる国王の顔を見て、ミーアは察した。
これは先ほどミーアが恐れたこと……すなわち「そう思うなら、お前やってみろよ?」と言われているのだ、と。
ゆえに、ミーアはすぐに流れを逸らそうとする。
「ええ……ですからそれは、オウラニア姫殿下を保護し、その疑いを解いたうえで改めて……」
「残念ながら、我が娘は愚者。考えを聞いたところで、大して益になるとも思いませぬ」
やれやれ、と首を振り、国王は続ける。
「それより、ミーア姫殿下のお考えをぜひお聞きしたい。姫殿下のご高説には、大変、感銘を受けた。いや、真にお見事なご賢察。帝国の叡智の名に恥じぬ高潔さ。ゆえに、きっと、その理想を実現するための道筋を立てておられるのだろう」
深々と頷いてから、国王は言った。
「して、どのように事を進めると? それとも……姫は、この王が心を改めれば……王が命じれば、ヴァイサリアンへの差別が消えると、本気でお考えか?」
王は、芝居がかった仕草で首を振る。
「いかに王の言葉とはいえ、すべての国民を支配することはかなわぬ。我が国には兵の数は多くはない。王の目が届く範囲は狭く、裏で迫害や暴力が起こることを止めることはかなわぬ」
「そうですとも。ミーア姫殿下。隔離島は、ヴァイサリアンの者たちを閉じこめておく檻であると同時に、民から守るための城でもあるのです」
言葉を引き継いだのは、グリーンムーン公だった。
ここにきて、実際に、ヴァイサリアン族の状況を見ていなかったことが影響してきた。彼らがどの程度の窮状に晒されているのか、ミーアには把握できないからだ。
否、仮に、それが把握できていたとして……例えば、食糧が与えられるが自由がなく、重労働を課された状態と、自由だが、民草からの直接的な暴力と差別に晒される状態と、どちらが良いのか……。回答困難な問題が立ち塞がる。
追い打ちをかけるように、国王が続ける。
「それに、ヴァイサリアンの者たちが解放されれば、我が国は労働力を失う。いや、余計な賃金がかかるようになる、と言うほうが正しいだろうか? なるほど、それは、支払われるのが正当なものだろうが……それを民たちが喜んで受け入れるだろうか? 民たちの間に生まれた怒りは、ヴァイサリアンの者たちに向かないだろうか?」
そこまで言って、王がニヤリと笑みを浮かべ。
「ぜひ、姫殿下のご見識をお示しいただきたいのだが……」
「ふぅ……、やれやれ。具体的な進め方はオウラニアさんと話し合いながら、と思っていたのですけれど、意外にせっかちですわね。国王陛下」
そう、軽く微笑みつつ……。余裕たっぷりな態度を見せるミーア。ふと見れば、いつの間にやら、アンヌが淹れてくれた紅茶が目の前に置かれていた。
カップを手に取り、一口すすり、その香りを楽しんで、楽し……めるはずもなく!
――って! どどど、どうすれば!?
内心でパニックに陥る。
あとは、オウラニアの背を押しつつ、手助けをすればいいと思っていたミーアであったから、完全に油断していた。
この手の指摘をする時、最も気をつけるべきことは、悪い点を指摘することと、改善案を出すこととは、難易度が違うということだ。
誰だって、他人の悪いところ、欠点をあげつらうことはできるのだ。割と簡単だし、チクチク口撃するのは、ちょっぴり楽しかったりもするわけで……。けれど、それでは、その問題を解決するにはどうすればいいか? という話になれば、容易に答えなど出せないのだ。
欠点や問題が放置されるのは、それに気が付いていないからではない。それを解決する術が見つからないからなのだ。
「ふぅむ、さて……どうしたものかしら? なにか、良いアイデアはございますかしら? ルードヴィッヒ」
こんな時、ミーアが頼るべき先は、決まっている。決まりきっている!
助けを求めて視線を振った先、ルードヴィッヒが軽く眼鏡を押し上げて、苦笑するのが見えた。
ミーアから話を振られたルードヴィッヒは……自分がミーアから、なにを期待されているのかを、完璧に把握していた。否……完璧に把握していると信じ込んでいた。
――ここで話を振るとは……相変わらず、ミーアさまは酷なお人だ。
ついつい苦笑しつつも、怒りや煩わしさはない。むしろ、自らの頭脳に期待してもらっているという、やりがいが喜びとなって、彼の胸を熱くさせていた。
――ミーアさまから、期待されていること……。それは、常人が考えるような、常識的な政策を提案することだ。
その考えに従い、ルードヴィッヒはごくごく常識的な提案をすることにする。
それを下敷きに、ミーアがさらなる意見を展開させていくことを、彼は確信しているのだ!
「そうですね。私が考え付くこととしては……帝国から監視団を派遣するということでしょうか……」
ルードヴィッヒの考えたところ、ヴァイサリアン族を隔離島から出したとして、町に住まわせるのは、なかなかに厳しい。国王の言う通り、どうしたって軋轢は生まれるだろう。新たな支出が生まれれば、民も権力者も、その怒りをヴァイサリアン族に向けるはず。
王が命じたところで、不当な差別や迫害は行われるだろう。それがないよう、監視する使節団を送ろうというのだ。
これは、国王が提示した三つの問題、すなわち、
①ヴァイサリアン族とそれ以外の民草との軋轢の解消
②ヴァイサリアンへの迫害
③余計な支出が増えること
の内、二つ目への解決策である。が……。
「なるほど。それは結構。帝国の監視団が滞在してくれる、と。それは実に頼もしい。帝国に対し、我が国の民が好感を抱くこと、疑いようもなし」
皮肉たっぷりに笑みを浮かべるのは、ガヌドス国王だった。
まるで小馬鹿にしたようなその顔にも、ルードヴィッヒは腹を立てなかった。なぜなら、彼が言うようなことは、自分も、そしてもちろん自らの主であるミーアも、百も承知であるだろうからだ。
ゆえに、ルードヴィッヒは眼鏡の位置を軽く直して、
「ふふふ。そのとおりですね。私もこれが最善とは思いませんが……。ただ、できることとしては、このぐらいではないか、というのが私の考えです」
そうして、彼は、ミーアに視線を振った。
ボールを……投げ返したのだ。
それを受け、ミーアは……。
――はぇ?
紅茶のカップを口につけた状態で……固まる。
まさか、ここで再び、自分の番が回ってくるなどとは、思っていなかったミーアである。
てっきりルードヴィッヒの完璧な政策に、ガヌドス国王が平伏して終わりかと思っていたのだが……。
――くぅっ! まさか、ルードヴィッヒの意見が通用しないとは、想定外ですわ。しかし……なるほど。確かにその通りですわ。寛容なわたくしですら、四六時中、教師に見張られていたら、腹も立とうというもの。まして、そのせいで、支出が増える……生活が苦しくなるのだとしたら、なおのこと、余計なことをするな、と睨まれそうですし。これは、少々、危険ですわ。
ヴァイサリアン族への怒りが、より強化されて、帝国の側へと向けられる危機。その危険性に気付かないほど、ミーアは鈍くはなかった。
そんなミーアに、ガヌドス国王の優しげな言葉が届く。
「天秤にかければいいのだ、ミーア姫殿下。本当に、今、貴女がやろうとしていることが、ご自身の利になることなのか?」
その声を前に、ミーアは、ぐむっと声を呑み込み……。
っと、その時だった。部屋にノックの音が響く。入ってきたのは、お皿を携えた使用人たちだった。
「おお。先ほど失礼したお詫びに、お茶菓子として、ガヌドス名物のケーキを用意をさせた。まぁ、そう肩の力を張らず、のんびり考えていただきましょうか」
「あら……これは……」
コトリ、と目の前に置かれた皿、そこにのっていたのは、丸っこい魚形のケーキだった。