第八十五話 真の平和とは、今この瞬間に断頭台にかけられないことにあらず……
「国の別を問わず……ですと?」
「ええ。そうですわ。例えば……」
ミーア、そこで刹那の思考。その後……。
「それは、目の前に人が倒れていたら助けなければならないという、人として当たり前のこととか、そういったこと。ございますわよね?」
さすがに、これは、否と言えないだろう……というところに線を引く。
「それは、まぁ、確かに……」
グリーンムーン公は、しぶしぶと言った様子で頷く。
「当然のことと言えるであろうな」
続いて頷くガヌドス国王。さらに、造船ギルド長が、困惑した様子で頷いた。
それを否定したら、即ラフィーナにチクってやるぞ、というスタンスで待ち構えていたミーアは、ちょっぴり残念に思う。が、気を取り直して続ける。
「そして、わたくしたち、貴族や王族、皇帝に連なる者には、より強い責任がございますわ。力を与えられているのだから、それを使い、果たすべき大きな義務がある。具体的に言えば、民の安寧を守ること、安んじて民を治めること。これが、我々が民を支配する条件となっているはずですわ」
またしても、ミーアは、神聖典のロジックを持ち出す。その上に立つ限り、聖女ラフィーナの後押しを受けることができるためだ。
後で、お土産に女王烏賊たくさん持って行くから、力を貸してくださいませね、と心の中でつぶやきつつも、ミーアは続ける。
「ゆえに……わたくしは、ガヌドスで行われていることを非難しなければなりませんわ。ヴァイサリアン族に行っている政策は、容認できるものではない。そして、それを改善しようというオウラニア姫殿下に、全面的な支持を表明しますわ」
抜かりなく、すべてはオウラニアの意思による、と。だから、功績はオウラニアに帰するべきで、黄金の灯台とか建てないようにね? と言い含めておくミーアである。それから、
「きっと我が友ラフィーナさまも、シオン王子も、アベル王子も、同意してくれると思いますわ」
自分の味方が大勢いることをさりげなくアピール。付け加えるように、
「我が親友、エメラルダさんも、もちろん、味方をしてくれるはずですわ」
お前の娘だって味方だぞ! と露骨に伝える。
一度、その流れに乗ると決めた以上、出し惜しみはしない。全力で押しにかかるミーアである。物量の一転投入こそが、ミーアの戦術なのだ!
そして、ミーアの反論には逆らい得ない説得力があった。なぜなら、ミーアが持ち出しているのは、国が依って立つ根拠に他ならないからだ。それが揺らげば、その地を統治する正当性が失われる……そのような理屈をもって、ミーアは戦いを挑んでいるのだ。
「無論そうでしょうが、しかし、これは、平和を損なってまですべきことではないのではないでしょうか?」
対してグリーンムーン公は、ミーアの言葉に一定の正しさを認めたうえで……やや、論点をズラしにかかる。
「平和……ですの?」
「さようでございます。姫殿下はご覧になりましたか? 町の様子を。どこかで、剣を手に取り斬り合う、そのような光景に出会いましたか?」
「儀式の最中に、剣を交える男たちの姿は見ましたけど……」
「ははは。それはイレギュラーというもの。概ね、この国が平和であることを、私はよく存じ上げております」
説得するような、朗らかな笑みを浮かべ、グリーンムーン公が言った。
「それは、とりもなおさずガヌドス国王、ネストリ陛下の治世が善政であるから。ならば、この平和を脅かしてまで、他国に変化を押し付けるという、その在り方は、はたして正しいのでしょうか?」
「平和……ふふ、そうですわね」
ミーアは腕組みをして、小さく笑った。
「力で押さえつけた、争いのない状況を平和と呼ぶのであれば、ガヌドスは平和なのかもしれませんわ」
ミーアの笑みは、失敗を知る者の笑みだった。その脳裏に浮かぶのは、かつての帝国のことだった。
そう、ミーア自身も思っていたのだ。あの革命までの間、帝国は平和であると。
――けれど、あの期間にも、断頭台はこっそり忍び寄っていたのですわ。争いがないことがイコール平和ではない。いいえ、わたくしたち、上に立つ者が平和でなくなった時には、すでにすべてが手遅れである可能性が高いのですわ。
っと、ミーアのほうを見て、ガヌドス国王が眉をひそめた。
「姫殿下は、もしや、正義の伴わぬ平和は、平和ではない、などと、サンクランド国王のようなことを言いたいのですかな?」
その言葉に、ミーアは苦笑を浮かべて首を振る。
「そのような立派なことは、わたくしは言いませんわ。争いがないこと自体が、価値のあることでしょう。確かに、それはその通りですわ。それならば、わたくしは、その仮初の平和をより価値あるものにしたいと願うばかりですわ」
正義が伴わない平和は真の平和ではない……などと、大仰なことを言うつもりは、ミーアにはない。
弱者を踏みつけにし、押さえつけて得た平穏が過ぎ去った後、力を失い、押さえつけられなくなった時……、自分のすぐ後ろまで断頭台が来ていた、などと言うのはごめんなのだ。
ただ、今この瞬間だけ断頭台にかけられなければいい……だけではないのだ。
断頭台とは、できるだけ遠くにいたいと思うミーアなのである。ゆえに、
「帝国としても、隣国に余計な混乱をもたらすことは望まぬこと。グリーンムーン公、別に、あなただけはありませんわよ? 平和を愛する者は……」
グリーンムーン公が言う平和は、おそらく、すべての民のものではない。利益を得られる、自分たち、既得権益層の平和なのだ。
だが、ミーアは知っている。
民にまで、ある程度は平和と安寧が行き届いていなければ、ヤバイのだ、ということを。
民のためとか、正義のためとかじゃなく、自分の首を繋げ続けるための平和としなければ意味がないのだ。断頭台は可能な限り遠ざけなければならないのだ。
ゆえに、ミーアは、あえて言う。
「争いがないことは良いことですわ。国が乱れていないことは喜ばしきことですわ。であれば、我ら統治者は、その状態ができるだけ長く続くように尽力しなければいけないはずですわ」
平和が、次なる争いの準備の時間になってはならないと思うミーアである。
もしも、血で血を洗う騒乱が起きていないというのなら、その状態が長く続くよう、心配りをして、メンテナンスをしていく必要があると思うのだ。
「ふふふ、なるほど。確かに、姫殿下の言うことには理があるようだ」
ガヌドス国王は、静かに笑う。
「オウラニアのしようとしていることも、なるほど。神聖典に照らし合わせれば誠に正しい。娘を排斥するような真似は、中央正教会と、ヴェールガ公国を敵に回すことになり得るかもしれぬ……。ゆえに、我が兵には、娘を必ず生きたまま捕らえるように、言い含めておく必要があるのだろうな」
ほぼ、満足できる内容の答えに、ミーアは思わずニンマリとほくそ笑みかけて……。
「だが……そのうえで、問いたい。帝国の叡智、ミーア姫殿下。具体的に、どのように事を進めるつもりか?」
次なる国王の言葉に、小さく首を傾げた。