第八十四話 勝ちの海流に乗って
※前話に入れたつもりが、グリーンムーン公が行方不明になっておりました。
ということで、訂正します。お知らせくださった方ありがとうございました。
勝ち誇った笑みを浮かべて、ミーアはさらに踏み込む。
「それと……もしも、このような冤罪をかけられるのが嫌ならば、ヴァイサリアン族のことも是正して……」
「いけませんな。ミーア姫殿下」
その時だった。突如、部屋のドアが開き、一人の男が入ってきた。
深い緑色の髪、整えられた口髭を軽く撫でながら、やってきたその男は……。
「グリーンムーン公……。なぜ、ここに……」
エメラルダの父、グリーンムーン公爵その人だった。
なぜ、このような場所に、それもこのタイミングで……? と首をひねるミーアの目の前で、グリーンムーン公は実に優雅な足取りで部屋の中に入ってきた。
「ミーア姫殿下が、王宮に軟禁状態にあるとお聞きして、急ぎお助けに上がった次第」
胸に手を当てて深々と頭を下げ、
「困りますな。陛下。我が国の大切なミーア姫殿下を軟禁などと……」
「これは、グリーンムーン公。実に申し訳ないことをした。我々としては、姫殿下に市井の宿をお使いいただくわけにもいかず。王宮にお招きしたまでのことながら、余計なご心配をおかけしてしまったようですな」
滑らかな二人のやり取りを見て、ミーアは気付く。
――この二人、実に仲が良さそうですわ。なるほど。わたくしたちを部屋に引き付けておく間に、国王陛下は、援軍を呼んでいたということですわね。グリーンムーン公は、我が国の重鎮。姫であるわたくしにも、諫言できる立場ですわ。
内心で舌打ちするミーアに、グリーンムーン公は、朗らかな笑みを浮かべて言った。
「しかし、いけませんな。ミーア姫殿下。他国のことに口を差し挟むのは、あまり感心できることではありませんぞ?」
「あら? わたくしは、お友だちが不毛な冤罪に巻き込まれそうになっているのを止めに来ただけですわ」
澄まし顔で答えるミーアに、グリーンムーン公は首を振る。
「友を想う姫殿下のお心には感服いたしますが、それとて他国のこと。我が国が口出しする筋合いのことではございませぬ。それに、下手をすれば、我が国がガヌドス港湾国を欲しての介入と見做されるかもしれない。国が国を攻めるには大義名分が必要。それをでっちあげるために、そのようなことを言っていると見做されるかもしれません」
――む……。それは、確かに、由々しき問題ですわね。
痛いところを突かれて、黙り込むミーアである。
自らがしゃしゃり出ていって、ガヌドスを属領としてしまうというのは、ミーアにとっても避けたいところである。
横から口出しした結果「じゃあ、お前やって見ろよ?」なぁんて言われるのはミーアとしては、ぜひ避けたいところ。できれば、自分の国のことは自分でなんとかしてもらいたい、というのがミーアの本音なのだ。
――それに、もし仮に、ガヌドスが我が国のものになったとして……。一度、そのような前例を作ってしまえば、他国が帝国に対して真似をするかもしれませんわ。
お前の国だって似たようなことやってんだろ? などと言われれば、それに反論するは難しく……。
ゆえに……。
――蒔く種は慎重に吟味しなければなりませんわ。
ミーアは一度、立ち止まり考える。
――これは、いったいどうしたものかしら……?
はたして、どこまで踏み込むべきか……、事前にルードヴィッヒらに意見を聞いておかなかったのが、今となっては悔やまれるところだ。
――とりあえず、オウラニアさんが冤罪を押し付けられ、抹殺されようとしていると、わたくしが疑いを持っている、と……それを表明しておくことが重要ですわ。逆に言えば、それさえやっておけば、ガヌドス国王だって、下手なことはしないはず。
今回のミーアたちの狙いは、ガヌドス港湾国の兵士を、オウラニアの捜索にあたらせることだった。それも、できる限り安全に、である。
混沌の蛇とガヌドス港湾国、その両方を敵に回すことを避けるべく、プレッシャーをかけにきたのだが……。その目的は、すでに果たせたのではないだろうか?
欲張るのは禁物だ。あくまでも、ここは、当初の目的が達成できたことに満足すべきなのでは……? と思うミーアである。
――そうですわ。わたくしとしたことが、ここで全部を解決してしまおうなどと、それは勤勉に過ぎるというもの。働き過ぎは禁物ですわ。真面目に過ぎれば、どこぞの生真面目王子のように……うん? アホのシオン……?
瞬間、ミーアの脳裏に鮮烈な姿が甦る。
帝国の非を正しに来た、シオン・ソール・サンクランドの華麗なる姿が……。
――国の別など関係ない。他国であれ、権力を持った者が民を虐げるのは黙って見てはいられない。あいつなら、そんなことを言いだしそうですわね。そして、その理屈で中央正教会も、ヴェールガ公国も納得したわけで……あら……? これって、もしかして使えるのではないかしら?
かつて、帝国が責められた時の論理……。それは叩きつけられたミーアが、なにも反論できなかった正論中の正論だ。
王とは、民を安んじて統治することを条件に、統治の権能を神から委託された者。ゆえに、民を安んじて統治していなければ、その委託は解消されるべきで……。
――昔、わたくしがやられたことを、今やり返すわけですわね。なるほど、これならば上手く話を運べるかも……。
そこで、ミーアを、ゾクリとした寒気が襲った。
そう、ミーアは気が付いてしまったのだ。事態は、もっと抜き差しならぬものであると……。
――いえ、というか、これって使えるというよりは、むしろ使わなければ危険になるやつでは……?
もしここで、ガヌドス国王の行いを見過ごせば、それをミーアが黙認したと思われるかもしれない。否、蛇はそういうところに目をつけて、こっそりラフィーナやシオンに耳打ちするかもしれなくって……。
――グリーンムーン公の言に耳を傾けるのも、この際は、わたくしに不利に働きそうですわ。
大貴族の横暴に付き合った形に見えるかもしれないし、ガヌドス港湾国が帝国にもたらす利益に目を向けたと取られるかもしれない。
いずれにせよ、オウラニアに罪を被せようとガヌドス国王が振る舞っている、と糾弾した時点で、すでに、ミーアには、その方向で進む以外の道はなかったのだ。一度、ヴァイサリアンへの非を指摘してしまった時点で……それは、ちょうど、あのメイドのように……。
そして、どちらにつくか決めてしまった以上、もう、そちらが勝つ以外に生き残る道はないのだ。
――あまり、そういう逃げ場がないのは、好きではないのですけど……。
やれやれ、と首を振るも、ミーアには、さほど不安はなかった。
なにせ、自分が乗ろうとしているこの波には、ラフィーナがいる。シオンもいる。さらに、自身の後ろにはルードヴィッヒやアンヌ、ディオンもいる。
――いざとなったら、後ろの方たちが助けてくれますし、シオンたちにも責任を押し付ければいいだけのこと。
懸念すべきは、行方不明のパティのことのみ。ゆえに、ミーアは静かに口を開く。
「なるほど。国の別は、確かに大切なことですわね。治めるべき地の区分を踏み越えれば、それは、秩序を乱すことにもなる……。されど……」
心に、聖女ラフィーナの姿を思い浮かべながら……、否、むしろ、その身に聖女ラフィーナの、獅子の迫力をまといながら……。
ミーアは厳かな表情を浮かべて。
「わたくしたちには従うべき正義が存在している。国の別を問わず、あらゆる者が守らねばならないものというのが存在するのではないかしら?」
穏やかな口調で、ミーアは話し出した。