第八十二話 クッキーにはクッキーを
「ふーむむ……」
ミーアは、アンヌが用意してくれたお茶菓子をモグモグ、モグモグ、モグモグしながら、唸り声を上げる。
テーブルの、大皿に並ぶクッキーに手を伸ばし……。
「オウラニアさんの逃亡と蛇の策謀、それに、ガヌドス国王とオウラニアさんの関係性……」
一枚、一枚、考えながら、自分の取り皿にのせていく。
いつものように、考える風を装って……ではない。真面目に、非常に真面目に考えているのだ。
なにしろ、今回はパティの命がかかっている。他人事ではないのだ。
「蛇の目的は不明ですけど、ともかく、オウラニアさんたちを取り戻さなければなりませんわね」
ミーアの言葉に、ルードヴィッヒは腕組みをして、
「それはそうですが、ガヌドス国王の思惑がわからないのが気になります」
「なぜ、オウラニアさんに罪を着せるようなことを言ったか、ですわね。しかし……」
っと、先ほど聞いた話を反芻する。
「ガヌドス国王には愛人がいて、オウラニアさんを軽視していた……邪魔者であった、と……」
つぶやきつつも、ミーアは小さく首を傾げる。
「まぁ、噂は噂、でしょうな」
そう言ったのは、ディオンだった。
「あら? なぜですの、ディオンさん。なにか理由がございますの?」
「はは。残念ながら、ただの勘ですよ。だが、あの御仁に、そんな人間めいた情熱があるというのは、俄かには信じがたい」
ディオンの言葉に同調するように、ルードヴィッヒが頷いた。
「私も、感情的にはディオン殿に賛同したいところです。正直なところ、かの国王に対して、私が持つイメージとはズレを感じます。それに、邪魔者扱いというのも気にはなる。愛人がいるというのなら、それこそ、側室として迎え入れればいい。その愛人との子を世継ぎにしたいというのであれば、そうするのを邪魔するものもなし。別にオウラニア姫殿下を貶める必要はない。が……」
と、眼鏡の位置を軽く直してから、ルードヴィッヒは言った。
「もしも、そういった、人間的な感情が裏にあるなら、なにかの理由でオウラニア姫に罪を押し付けることは、容易だったでしょう」
それから、彼は眉間に皺を寄せる。
「そもそも、ガヌドス国王の底がよく見えないので、判断が難しい……ただ情報だけを眺めるなら先ほどの彼女の証言は、理屈には合っています」
ガヌドス国王は、オウラニアに対して愛情を持っておらず、むしろ邪魔だと疎んでいる。
だから、暗殺未遂事件が起きた時、これ幸いに、と犯人に仕立て上げた、と。
「うーむ……これは、なかなかに事態が錯綜してきましたわね。ヴァイサリアン族の問題を一気に解決するつもりが……このようなことになろうとは……」
腕組みしつつ、ミーアは考え込む。
――ダメですわね。問題が難しすぎて、甘い物を食べているのに、まったく閃きが足りませんわ。すっかり口が甘くなってしまいましたわ。
なにか、味を変えるものはないかしら……?
なぁんて思いつつも、さらにクッキーに手を伸ばし、もう一枚……。瞬間、ミーアは目を見開いたっ!
今度食べたクッキーは……甘くなかったのだ!
どちらかといえば、ほのかに塩気のあるクッキー。よく見れば、乾燥させた海藻の巻かれた、特殊なものだった。
――ほう……これは……!
ミーア、思わず、その趣向に瞠目する。
甘くなった口をリセットするために、クッキー以外のものを持ってくるのではなく、あえて、味の違うクッキーを持ってくるというこの趣向!
スイーツに精通したミーアでも思いつかなかった一工夫に、思わず、上機嫌になってしまう。
「ふむ、クッキーにはクッキーを……ですわね」
などと、なにやら格言めいたことを言いつつ、もう一枚。
すっかりお口直しして、紅茶をゴクリ。
うむうむ、っと満足げに頷くミーアだったが、直後、なにやら、強い視線を向けられていることに気付く。
ふと見れば、ルードヴィッヒが、目を見開いて見つめていたからだ。
「クッキーにはクッキーを……それは……もしや、冤罪には冤罪を、ということでしょうか」
「…………ぅん?」
微妙に変な声が出たが、誤魔化すために咳ばらいを一つ。それから、なにやら、悩ましげな顔を作り、頷いておく。っと、
「そうか……それは盲点でした。確かに……そうすれば、ガヌドス国王に対する牽制としても、なかなか……」
「あの、ルードヴィッヒさん……どういうことでしょうか?」
ミーアが問いたいことを、またしても、忠義のメイドが代弁してくれる。よくできたミーアの右腕である。
「ああ、簡単なことだ。つまり、ミーアさまは、真実を明らかにするのではなく、ガヌドス国王の疑惑を、勝手にこちらで設定してしまおうとされているのだ」
「えーと……」
「最初から整理してみようか。我々がこの国に来たのは、そもそも、ヴァイサリアン族の迫害の事実を確認し彼らを助けるためだった。オウラニア姫の要請も、それだった。ここまではいいだろうか?」
「はい。大丈夫です」
頷くアンヌ……と心の中で頷くミーア。
――さすがにそのぐらいはわかっておりますわ……。
っと、うむうむ頷いておく。
「ミーアさまは、今回の暗殺未遂の冤罪を、そのことに絡めてしまおうとしているのだ。つまり、オウラニア姫が疑われたのは、国家として突かれたくない問題、ヴァイサリアンの迫害問題を改善しようとしたからではないか? と。邪魔者を排除するために、今回の暗殺未遂事件を使ったのではないか、と」
「え…………? でも、それって……」
「無論、なんらの確証もない。冤罪の恐れが極めて高い。が……」
眼鏡をクイッと上げつつ、ルードヴィッヒは言った。
「もしも、ミーアさまが、その件で疑いを持っていると告げれば、それ自体が牽制になる。もしも、オウラニア姫になにかあれば『彼女は、正義の告発を為そうとし、そのせいで、冤罪によって葬られたのだ』と糾弾する。そのように、ガヌドス国王に警告しようとしているんだ。さらに、暗殺未遂事件を調べることに絡めて、ヴァイサリアン族の隔離地区を調べることをも視野に入ってくるかもしれない」
それから、ルードヴィッヒは静かにミーアのほうに視線を向けてきた。
ミーアは黙って、彼の話を聞きながら、ひたすらに感心していた!
――なるほど。そんな手があったのですわね……。クッキーにはクッキーを……。まさにそれですわね。
っと、小さく頷きつつも、
「もしも、オウラニアさんが邪魔者である、というのなら……逃亡した今は、その存在を消す絶好の好機。仮に蛇の手から助け出したとしても、ガヌドス国王の手で葬られてしまう危険性は非常にたかいですわ。しっかり、疑いを表明しておかなければなりませんわ」
彼の献策を採用することを即断。堂々と席を立ち……。
「あっ、ミーアさま。失礼いたします」
アンヌが横から、ささっと口元のクッキーの欠片を拭きとってくれる。
ミーアは、唇をペロリと舐めてから、
「では、参りますわよ」
何事もなかったように、部屋を後にするのだった。