第八十七話 ミーア姫は揺らがない
「姫殿下……、ご機嫌うるわしゅう、です」
頭を下げるリオラに、はて、とミーアは首を傾げた。
「なぜ、あなたがこのようなところに……。いえ、それより、そちらの方は、先ほどから何を怒ってらっしゃいますの?」
「はい、です。実は、あの人はルールー族の族長さま、です。それで……」
「コノ、カンザシ、我ガ、妻ニ、送リシ物ダ。ソシテ、妻ガ死ンダ後、娘ガ継イダ」
「娘さん……、ですの」
ミーアは、小さく首を傾げるが、すぐに合点がいったと頷いた。
「なるほど……。大変言いにくいことなのですが、あなたの娘さんは残念ながら亡くなっておりますわ」
「死ンダ…………?」
呆然とした顔で、つぶやく族長。ミーアはできるだけ相手を刺激しないように、ゆっくりとした口調で続けた。
「それは、たぶんあなたのお孫さんから、わたくしがいただいたものですの」
「詳シク、聞カセテ、モライタイ」
一通りミーアの話が終わったところで、静寂が訪れた。
話の真偽を窺うように、各々の顔を見比べる、そんな沈黙がしばらくの間続いた。
「族長さま、姫殿下は嘘を言われる方ではない、です。それに、私の知る姫殿下のお人柄と、今の話は合致する、です」
口火を切ったのは、リオラだった。
続いて、ディオンが、加勢するように言った。
「どうでもいいことだけど、僕たちの軍が引いたのも、そこの姫殿下のお計らいだから」
「ナンダト? 嘘、言ウナ。ソノ娘、我ラノ木、蹴ッタダケ」
口を挟んできたルールー族の戦士を一睨みしてから、
「軍隊ってのは、引くのにも相応の理由が必要でね。下っ端の雑兵ならともかく、族長殿にはわかってもらえると思うけど」
ディオンは、試すような視線を族長に向ける。
族長は厳しい顔で、ディオンの方を見て、それから重々しい口調で言った。
「確カニ。ダガ、全テ信ジロト言ウモ、難シイ、モ、ワカルハズ」
「確かにそうですわね。それなら、あの子に来ていただいたらよろしいですわ。あのまま貧民街にいるのも、あの子のためになるとは思いませんし。それはすぐに手配いたしますわ。それで判断するといいですわ」
そう言うと、ミーアは踵を返そうとした。
このまま帰る流れに乗っていけば上手くいくんじゃないかしら? と思ったミーアであったが……。
「姫殿下、まさか、それで終わりじゃないよね?」
「……へ?」
「いやだなぁ。この森の紛争、全部解決するつもりなんでしょう?」
ミーアはさっと頬を青くした。笑みを浮かべるディオンの瞳に、剣呑な光を見取ったからだ。
「もっ、もちろんですわ。ルドルフォン伯爵家のリオラさんまで来てるのは好都合。きっちりお話聞かせていただきますわ!」
半ばやけくそ気味に、ミーアは言うのだった。
事情の聞き取りも終わり、帰ろうとしたところで族長が一人でやってきた。
「姫殿下、先ホドハ、失礼シタ」
「あら、信じないのではなかったのかしら?」
殊勝な口調で謝罪する族長に、ミーアは眉をひそめた。
「部族ノ者タチノ手前、ソウ言ッタ」
族長は大まじめな顔でそう言うと、
「敵地ニ部下一人ノミ連レテ来タ、勇敢ナル者、嘘ツク、アリエナイ」
大きく頭を下げた。
「孫ガ世話ニナッタ。先ホドノ無礼、謝罪スル」
ルールー族は誇りを重んじる部族である。
自分たちに無礼を働く者であれば、相手が貴族であっても牙をむく。
けれど、ミーアは恩人だ。しかも、この大帝国の姫である。
その気になれば、自分たちなど踏みつぶしてしまえるだけの権力を持った相手が、礼を尽くしているのだから、こちらが礼を尽くさない理由はない。
そうしなければ、相手の誇りを傷つけることになる。
そう判断した族長であったのだが……、
「不要ですわ。わたくしも、あなたたちの大切な資産であるこの森の木を蹴ってしまいましたし、それでおあいこ、ということでどうかしら?」
ミーアはそう言って笑う。
まるで、そのような誇りなど意味がないことであると言うかのように。
「それより、お孫さんにきちんと優しくしてあげるんですわよ」
その一言で、族長はミーアの言わんとしていることがわかった。
かつて、自分は、族長としての意地と誇りに縛られて娘と対立した。その結果、取り返しのつかないことになってしまった。
孫に対しては同じ過ちを犯さぬように、と、目の前の幼き姫君は諭しているのだ、と、族長はそう理解したのだ。
「姫殿下ノオ心ヅカイ、痛ミ入ル」
絞りだすような族長の声は、微かに震えていた。
まだ幼い少女の示した溢れるほどの思いやりに、心を打たれたのだ。
……が、もちろん、ミーアは別に溢れる思いやりから、そのようなことを言ったのではない。
――あの子がルールー族の族長の孫だとすると、孤児院にいられると大変ですわ。
多少、改善されたとはいえ、貧民街。なにがあるかわかったものではない。
そして、何かあれば、ルールー族の者たちは各地で蜂起するだろう。
危険の芽は今のうちに摘んでおくに越したことはないだろう。
――あの子には、この森に戻っていただくのがベスト。そのためには、族長には優しく受け入れてもらって、孤児院に帰りたいなんて思わせないようにしなければ……。
揺らがない自分ファースト。
ミーアの言葉が溢れる打算に裏打ちされた発言だということに気付いたものは、その場に一人もいなかった。