第八十一話 剛盾のアベル、不吉な未来を知る
所変わって、ミーアたちと別れたアベルとベルの祖父孫コンビは、街中をグリーンムーン邸へと急いでいた。
前に一度来たことがあるとはいえ、馬車に乗ってのこと。いささか道順に不安があるのはもちろん、それ以上に気になるのは……。
アベルは、さりげなく辺りに視線を走らせつつ、追手の気配を探る。
ガヌドス国王の手の者に、混沌の蛇の関係者などなど。注意すべき要素はいくらでも存在している。
なにより、彼の脳裏には、あの日の蛇の廃城での光景が浮かんでいた。
首に矢を受け、血に染まった少女の姿。
その彼女が、今、また生きて、目の前にいるという奇跡。
――シュトリナ嬢は、ボクを信頼して、ベルと行くように取り計らってくれた。であれば、今は、なんとしてもベルを守らなければならない。
遠い未来からやって来た孫娘を守るため、アベルの心は燃えていた。
「ベル、あまりボクから離れないようにしてくれ」
ひょこひょこっと走って行こうとするベルに声をかける。っと、
「へ……?」
きょとりん、と首を傾げるベル。アベルは、そんな孫娘に小さくため息を吐き、
「君は、エメラルダ嬢の……グリーンムーン家の別邸の場所を知らないだろう?」
確か、二年前の夏に、彼女は同行していなかったはず、と指摘をすれば……。
「あ、いえ。未来の場所と変わってなければ、二、三回は行ったことがあると思います」
あっけらかんとした様子で、ベルは言った。
「そうなのかい?」
「はい。エメラルダ大おばさまに船遊びに誘っていただいて……。みなさんで遭難した島にも行ったことがありますよ」
――大おばさま…………。
妙齢の令嬢に、その呼び方は問題があるのではないか、などと思っていたアベルだが……。
「ところで、アベルおじ、王子は……」
「未来の世界では、ボクはお祖父さまと呼ばれているのかい?」
「あ、はい。そうですね」
「そう、か……」
さすがに、十代の半ばでお祖父さまと呼ばれるのは、ちょっぴり胸に来るアベルである。
――これは、エメラルダ嬢に会う前に、ベルに注意をしておく必要があるかな……。
などと考えていると……。
「それに、異名もありますよ」
ベルが、なにやら言い出した。
「異名……というと?」
「剛盾のアベルお父さまとか、堅牢要塞のアベルお祖父さまって」
「ああ、なるほど。ミーアに降りかかる攻撃のすべてを防げればいいと思っていたが……そう呼ばれるのは、悪くないな……」
などと、満更でもない顔をするアベルに、ベルは……。
「そう呼んでるのは、ボクたちのお母さんとか、親戚の……アベルお祖父さまの孫娘たちなんですけどね。娘に言い寄る男たちの、ありとあらゆる求愛を盾で防ぎ、要塞のように寄せ付けないという意味で……」
そんなことを朗らかな笑みを浮かべつつ、言う。
「え……ええと……」
アベルは……若干、引きつった顔をして、
「つまり、ボクは、娘や孫たちから敬遠されてると……?」
「……? いいえ。すごく慕われてますよ。結婚するならお父さまとが良かった、とか、未だに、お母さまの妹の第四皇女の……って、ああ、あまり言わないほうがいいかもしれません」
ベルは、ペラペラ動く口を、シュシュっと押さえ……。
「あまり言ってしまうと、未来に関わりますし。うん、少し控えます」
「もう、だいぶ気になるところまで聞いてしまっているんだけど……」
アベルは苦笑しつつ、辺りを見回す。
ガヌドスの、変わらぬ港町の風景。今のところ、こちらを追ってくる者はなく、すれ違うのも仕事を終えた漁師や、市場の関係者である商人がほとんどで……。
っと……その時だった。彼の視界の外れに、不意に、見覚えのある人物が映り込んだ。
「あれは……」
「どうかされましたか?」
きょとん、と瞳を瞬かせるベルを横目に、アベルは声を潜めて言った。
「実は、君たちが宿屋で留守番している時に、ある出会いがあったんだ。覚えているだろうか? クラウジウス侯ハンネス殿のこと」
「ああ。パ……大お祖母さまの、弟君ですね」
「そう。そのハンネス殿と思しき人と、港で会ってね。しがない探検家だ、などと名乗ってはいたが……」
「探検家……」
ベルが……スゥっと表情を変える。
それは、かつて、あの瓦礫と化した帝都にて。最後の姫として名乗りを上げた時に似た……帝国の叡智の血を引く者の、誇りを胸に抱いた表情。
厳かで、侵しがたい王者の気配をまといつつ、ベルは言った。
「追いかけましょう、アベルお祖父さま」
「え? いや……」
「ボクは、ぜひとも、お話しを聞かなければなりません」
そうして、止める間もなく、ベルは走り出した。
お城で大切に育てられた皇女とは思えないほど、素早く、さまになっている走りに苦笑しつつ、アベルはその背を追いかける。
――まぁ、グリーンムーン邸の場所はわかっている。今は、あの人を追うことを優先してもよし……としようか。
孫に甘いアベルお祖父さまの、この判断が後にどのような影響を及ぼすのか、今はまだ、誰も知らなかった。