第八十話 メイドを制する者は、情報戦を制す
さて、アンヌとシュトリナを待つことしばし……。ミーアのお腹が、きゅうっと切なげな声を上げた。
「……ふむ、アンヌ、少し遅いですわね……」
大人しくソファーに座っていたミーアだったが、にわかにソワソワし始める。立ち上がり、部屋の中をうろうろ、のそのそ。落ち着かなげに歩き回る。
別にお腹が減って気が立っているわけではない……いや、まぁ、それがないとは言わないが、それがすべてではない。
いつまでも帰って来ない忠臣が、少し心配だったのだ。
「まぁ、リーナさんも一緒に行っておりますし、大丈夫でしょうけれど」
その意味で、シュトリナが同行しているのは心強いところだった。
なにしろ、彼女はイエロームーン公ローレンツに鍛え上げられているのだ。毒に対する造詣も深いし、護身の術も身に着けていることだろう。なにより、そのスイーツ審味眼には、定評があるわけで……うん?
っと、ミーアの思考がより根源的な欲求に流されて行きかけたところで、唐突にドアが開いた。
「ああ、アンヌ……。待ちかねましたわよ……あら? その方は?」
二人とともに部屋に入ってきたメイドを見て、ミーアは小さく首を傾げる。
「ええと、確か、オウラニアさんと一緒に、セントノエルにいらっしゃった方ですわね」
「覚えていていただけたとは、光栄です。ミーア姫殿下」
硬い表情で頭を下げたのは、オウラニアの専属メイドの少女だった。
「彼女が、オウラニア姫殿下の逃亡時のことを、ある程度、ご存知のようでしたので連れてまいりました。シュトリナさまが、説得し……」
「アンヌさん、そんな……リーナが脅したみたいなことを言わないで。あくまでも、アンヌさんが人脈を生かして情報収集をした。お手柄の横取りはしないわ」
澄まし顔で言うシュトリナである。
「なるほど……。まぁ、大体の経緯はわかりました。では改めて、なにがあったのか、お聞かせいただけますか?」
ルードヴィッヒに促され、メイドの少女は、ポツリ、ポツリと語りだした。
「なんと……。外部の協力を得て脱出……」
「あくまでも、メイド仲間から聞いた話ですが……。衛兵の話を立ち聞きしたとかで……」
王宮内に勤めるメイドたち。年頃の少女たちの噂話好きは、強固な情報網を築き上げているもの。それは時に、一国の諜報網にも匹敵する。
人の好奇心は際限なく、また、その口に戸を立てるのは難しい。自由自在にさえずる舌は真に御しがたい器官なのだ。
「ふーむ、しかしそうなると、オウラニアさんも、なかなかに人望がおありだったということになるのかしら……?」
てっきりオウラニアは、そういう人脈作りには無頓着なものだと思っていたが……。
っと、そんなミーアの胸中を知ってか知らずか、メイドの少女が首を振った。
「それが不思議なのです。オウラニアさまに人望はありませんから。城の者で助け出そうという人はいないでしょうし、かばい立てする人もいないと思います」
「ふむ……」
それを聞き、ミーアは眉間に皺を寄せる。
――専属メイドに言いきられてしまうとは……。人は自ら蒔いた種を、自分で刈り取らねばならない。悲しいことですけど、オウラニアさんも、結局はそういうことなのでしょうね。
っと考えたところで……。
「あら……? ということは、オウラニアさんを助けたのは……」
「十中八九、蛇です」
シュトリナの声を聞き、ミーアは、さぁっと青くなった!
――えっ、ということは……、もしかして、今、蛇の手の中にパティがいるということになるのでは……?
もしも、パティの秘密がバレたら……? それこそ、パティが命を落とすようなことになりでもしたら……?
――あ、や、ヤバイですわ。これ、急いでなんとかしませんと……。
「蛇がやったことならば、助けたというか、なにかに利用するつもりで連れ去ったと考えるべきではないでしょうか」
慌てそうになるミーアの耳に、シュトリナの声が静かに入ってくる。
浮かしかけた腰を、再び椅子に落ち着けて、ミーアは、ふぅーっとため息を吐き。
「いずれにせよ、探し出さねばなりませんわね。ルードヴィッヒ、どうするのがよろしいかしら?」
「そう、ですね。我々だけで探し出すのは、少々、難しいのではないでしょうか」
ルードヴィッヒが難しそうな顔をする。
「ディオンさんに動いていただく……というわけにもいきませんわよね?」
「居場所がわかってるなら、どこへなりとも行きますがね。人探しは、あまり得意じゃありませんので」
苦笑いを浮かべるディオンに……。
――でも、革命の時、わたくしを追いかけ回した手並みは、かなりのものでしたけど……。
などと、頬を膨らませるミーアであったが……。それでも彼の言うことは理解できた。
ディオン・アライアは最強の個であるが、人探しに必要なのはどちらかというと統一された意思によって動く集団だ。かといって……。
「ガヌドス港湾国内で帝国の兵を動かすわけにもいきませんわね」
「そうですね。目撃者への聞き込みなどには、やはり人数がいる。できれば、探し出すのは、この国の兵に任せたいところですが……」
っと、その時だった。
「あの……ミーア姫殿下……。オウラニアさまを、どうか、お助けください」
話においていかれていた、オウラニアのメイドが意を決した表情で言った。
「あら……? そんなにオウラニアさんに助かっていただきたいんですの? なにか恩義でもございますの?」
やや意外の念を禁じ得ないところだったが……。
「いえ、どちらかと言うと、脅されていたのですけど……」
メイドは、おずおずと言った。
「脅されて、それで、オウラニアさまの味方として協力させられて……。国王陛下に監視を命じられていたのに……それを裏切って。だから……」
と、そこで、メイドはググイッと身を乗り出して……、
「このままオウラニアさまが捕まってしまうと、困るんです」
切実な口調で言った。
「…………はぇ?」
思わず、身を引くミーアに、メイドは続ける。
「このまま、オウラニアさまが処断されたら、国王陛下からどのような罰を受けるか……。きっと王宮を追い出されるでしょうし、もっと悪くしたら、私も牢に入れられるかも!」
そのメイドの言葉は……深く、ミーアの心に刺さった!
――ああ……実に打算的、かつ小心者ですわ! とてもわかりやすい心理!
目の前の彼女はすでに、中立の立場ではないのだ。国王にも、オウラニアにも従える、どちらが勝っても構わない、とはいかないのだ。
オウラニアの側に立ち、彼女の味方になってしまっているのだ。だからこそ、彼女に負けられては困る。勝ってもらわねば困るのだ!
それは、紛れもなく、打算的自分ファースト。極めてミーアに近しい思考法なのだ!
そう、誰しもが、アンヌのようでいられるわけではない。なんの打算もなく、ただ、己の優しさと、良心に従って行動できる人など、そうそうどこにでも転がってはいないのだ。
忠臣、アンヌは、誰かさんのように、ベッドの上を探せば大抵転がっている……というような人とは、一味違うのだ。
「ミーアさま、こちらを……」
っと、お茶を注いでくれたアンヌに、ミーアは深々と頭を下げて、
「アンヌ……どうもありがとう。心の底から感謝いたしますわ」
実感のこもったお礼をする。
いささか、オーバーなお礼の言葉に目を白黒させるアンヌを尻目に、お茶を一口。あまぁいお砂糖の味に、ほひゅー、っととろけそうな笑みを浮かべる。
そんなミーアの目の前で、メイドの話は続いていた。
「それに、オウラニアさまは変わろうと……されておられたように思いました」
ふと、メイドの声の調子が変わったような……そんな気がして、ミーアは目を上げる。っと、先ほどの切実さとは、また違う、どこか戸惑うような様子で、メイドが話を続けていた。
「オウラニアさまは、ミーア姫殿下に倣って、変わろうとされていたんです。はじめは、また馬鹿なことを始めたな、って思ったんです。海賊のヴァイサリアンのことなんか、助けようとするなんて、馬鹿なことをって思ったけど、でも……あの方は、変わろうとされていた。それを見るうちに、私は、なんだか……その、お味方をするのも悪くないなって……思ってしまって……この方は、もしかしたら、優れた指導者になってくださる方なのかもしれないって……も、もちろん、そうであってほしいっていう希望的観測なだけかもしれないのですけど、でも……」
その、たどたどしい語りに、先ほどのシュトリナの話を思い出すミーアである。
人の心は、一面的ではない。
打算がないわけではない。けれど、打算だけではない。
きちんと目の前のメイドは、オウラニアのことを思っているのではないか、と……ミーアは思うのだ。
それに、オウラニアと同様に、彼女もまたセントノエルで見てしまったのだろう。
ヴァイサリアンの子どもが、どういう者たちなのか?
それが、邪悪な海賊の資質を備えた、汚らわしい子どもたちではないということ。
自分たちと変わらない人間で、力の弱い子どもだということも。
否が応でも、それがわかってしまって……だから、彼らを救おうとするオウラニアの心が、彼女自身にも共感できてしまったのではないだろうか。
「それに、お可哀想な方でもあるんです。オウラニアさまは」
それから、メイドは、辺りをキョロキョロ見回してから、声を潜めて……。
「実は、とあるベテランの先輩メイドから聞いたお話しなのですが……どうやら、国王陛下には愛人がいて、だから、娘であるオウラニアさまも、王妃さまも、愛されることはなかったのではないか、と……」
それを聞き、ミーアは思わず驚いた。
「まぁ……そのような噂が……」
彼女の話を聞きつつ、
――こっ、こわぁ……! これ、白月宮殿やセントノエルでも、迂闊なことできませんわ!
メイドたちによる情報網の恐ろしさを改めて実感するミーアであった。