第七十八話 ハングリーなミーアとメイドの暗躍
「オウラニアさんが、逃亡……。いったい、どうやって……」
俄然、興味が湧いてくるミーアである。
基本的に、ミーアは断頭台脱出系の知識収集と甘いものには、いつでもハングリーなのだ。
――オウラニアさんは、機転が利くほうだとは思いますけど……あの状態から逃亡は難しいのではないかしら? ヤナとキリルはどちらも、ガヌドスの貧民街で生活しておりましたし、地の利はあると思いますけど……。やはり、子どもゆえに難しいはず。あとは、パティ……。
ふと、ミーアの脳裏に、無表情の、幼き祖母の姿が思い浮かぶ。
――あり得そうな気がしますわ……。パティならば、あるいは……あの子は、蛇の知恵たる地を這うモノの書を読んでおりましたし、可能性は否定できませんわ。
そうなると、自然、ミーアの好奇心は地を這うモノの書へと向かっていき……。
――これは、もしかして、革命が起きた時のために、一応、わたくしも読んでおいた方がいいのではないかしら? 読み込んで、逃げるのに使える知恵を収集したほうがいいのかも?
なぁんて思いつつ、ミーアはシュトリナのほうを見た。
「リーナさん、どうなのかしら? もし仮に、捕まったのがリーナさんだったら、逃げることはできますの?」
同じく、蛇と馴染みが深いシュトリナならば、どうか? と思い聞いてみると……。
「うーん。どうでしょうか……。リーナは、普通の女の子なので、訓練を受けた兵士たちから逃げ出すのは、よほど隙を突かないと難しいと思います」
シュトリナは小さく首を傾げつつ、チラリとディオンのほうを見て。
「捕まっていたのが、そこのディオン・アライアだったら、隙なんか突かなくても、楽に脱出できるんでしょうけど……」
「ははは。そうだね。あまり曲芸めいたものを期待されても困るが、まぁ、そのぐらいは、ね」
特になんでもないことのように言って、ディオンは笑った。
――まぁ、そうでしょうね。うん、知ってましたわ。
とりあえず、革命軍の手に落ちる時には、ディオンを仲間につけ、できれば一緒に捕まり、そして、脱出する際には連れて行ってもらうぐらいには好感度を上げておくべきだ、と、改めて確認しつつ。
「それで、詳しい話は、わかりませんの? ルードヴィッヒ」
「申し訳ありません。いかんせん、こちらもオウラニア姫殿下の協力者と思われているらしく……あまり情報は得られませんでした」
「まぁ、それもそうでしょうね。ふーむ、どうしたものかしら……」
「ミーアさま、よろしいでしょうか?」
その時だった。アンヌが遠慮がちに手を挙げた。
「あら、アンヌ、どうなさいましたの?」
「よろしければ、お茶の用意をしてこようと思いまして……」
「まぁ、お茶菓子の用意を……。それは、大切なことですわね」
アンヌの言葉に若干の意訳を加えつつ、ミーアは深々と頷く。いつでも甘い物にはハングリーなミーアなのである。
「しかし、アンヌ一人で行かせるのも、少々心配ですわね」
「それでは、リーナも一緒に行きます」
「え……? シュトリナさまが……?」
突然の立候補に、アンヌは目を白黒させる。
「なるほど。そうですわね。リーナさんがついて行っていただけるなら安心ですわ。毒の混入も防げますし。それでは、お願いいたしますわね」
そうして、ミーアの意を受けて、二人は部屋を後にした。
「シュトリナさま、なぜ……?」
廊下に出てすぐに、アンヌが問いかける。と、
「ミーアさまは、あなたのことをとても大切に思っている。そして、それは、ベルちゃんも同じ。だから、あなたに万が一のことがあると、リーナも困るから」
ちらり、とアンヌのほうを見てから、
「それに、ディオン・アライアやルードヴィッヒさんが一緒についてきたら、アンヌさんがしたいことができなくなるんじゃないかしら?」
ニコリ、と悪戯っ子のような笑みを浮かべるシュトリナである。それから、こっそり、悪戯を企む子どものような、ささやき声で。
「情報を集めるつもりなのでしょう? メイドたちから」
自らの思惑を簡単に見抜かれて、アンヌは少し驚いた顔をして……それから、同じく共犯者のような笑みを浮かべて。
「あてがないわけではないんです。オウラニア姫殿下が捕まってしまった今なら、たぶん……あの人は暇なはずだから……」
そうして、二人は、廊下を通る人に聞きながら、やって来たのは、メイドたちの控室だった。
入ってきた二人を見て、室内の者たちは驚きに固まっていたが……構うことなく、アンヌは声をかける。
「申し訳ありません。ミーアさまにお茶をお出ししたいので、どなたか手の空いている方にお手伝いをお願いできるでしょうか?」
そうして、室内を見回したアンヌは、見知った顔のメイドを見つける。
「あっ、ちょうどよかった」
アンヌに声をかけられて、ビクッと跳びあがったのは、オウラニアの専属メイドとして、セントノエルに同行していた少女だった。
「すみませんが、お願いできますか?」
「わ、私ですか?」
「はい。知っている方にお会いできてよかったです」
セントノエルにて、学園スタッフや各生徒のメイドたちと交流を欠かさなかったアンヌである。オウラニアのメイドとは、一緒の期間が少なかったものの、それでも、何度か会話はしていた。
顔見知りと言える間柄だろう。
「お湯を沸かしたいのと、なにかお茶菓子が用意できればと思うのですが……」
「……わかりました。それでは、厨房に案内いたします」
渋々ながら頷く彼女に、アンヌは安心させるように柔らかな笑みを浮かべてみせた。
そうして、控室を出て、辺りに人気がなくなったところで、意を決してアンヌが話しかける。
「あの、オウラニア姫殿下のこと、なにかお聞きではありませんか?」
「……いえ……私は、なにも……」
その問いかけに、ビクリと肩を震わせるメイド。そんな彼女に、アンヌはさらに踏み込む。
「なんでもいいんです。お願いします。オウラニア姫殿下を助けるためにも、子どもたちを助けるためにも……ご協力をお願いできませんか?」
真っ直ぐにメイドを見つめるアンヌ。対して、メイドは、ついっと瞳を逸らし……。
「わっ、私は、別に、その、オウラニアさまのことは、そんなに……」
その様子を黙って見つめていたシュトリナだったが、なにかを思いついた様子で、ぽこん、っと手を叩くと、
「ぜひ、お願いします。もちろん、オウラニア姫殿下の無罪が証明された暁には、あなたのしてくださったことは、きっちり伝えさせていただきますよ。いいことも……もちろん……悪いことも」
可憐な笑みを浮かべるシュトリナに、メイドは、ひぃいっ! と悲鳴を上げた。