第七十七話 混迷する状況
ミーアたち一行は、ガヌドス港湾国の王宮に案内された。
ミーアにアンヌ、ルードヴィッヒとディオン、それにシュトリナである。
少し広めの部屋に通されたミーアは、ソファに座り、ふーぅ、と深いため息を吐いた。
「ここに案内されたのは、我々が自由に動き回れないように……ということでしょうか」
部屋の中を見回しつつ、ルードヴィッヒが言った。
「おそらくは、部屋の前に見張りも立っているでしょうし……」
「まぁ、仕方ありませんわ。オウラニアさんが暗殺犯と疑われてしまっている状況で、あれだけしっかりと繋がりを強調してしまったのですから」
あれは、ミーア自身にも疑いを向けてしまう行動だった。国王の暗殺犯の一味かもしれない隣国の姫などという存在は、厄介なことこの上ない。部屋にこもって大人しくしていてもらえれば、それに越したことはないわけで……。
「それこそ、国王を弑して、属領にしようとしている……などと疑われかねないかもしれませんからな」
からかうような口調で言うディオンだったが、実際のところ、疑われてもしょうがない立場のミーアである。
「それでも、あの場で名乗り出ないということは、あり得ないことですわ。あの場で声をあげていなければ、後で真犯人がわかったと言っても門前払いされてしまいそうですし……」
それに、曲がりなりにも、オウラニアに師と呼ばれているミーアである。あの場で無視を決め込むことはできない。さらに、子どもたち、特にパティが巻き込まれた時点で、ミーアに選択肢はなかったのだ。
パティに何かあった時点で、ミーアの存在自体が揺らぐわけで……。だからこそ、仕方のないことで……。
――パティはヤナたちと親しくしていたし、パティが追いかけたことは、教育上は良い変化と言えるはず。であれば、あのパティの行動は、許容されるべきものですわ。
加えて、ヤナたちのこともある。
ヴァイサリアンの子どもで、しかもオウラニアをかばったとなれば、あの暗殺者の関係者として尋問される可能性が高い。酷い目に遭わされる可能性も低くはない。
「わたくしの庇護下にあるという宣言はそれなりに子どもたちを守ってくれるはず。その間に、暗殺犯さえ捕らえることができれば……」
しかし、とミーアは、不意に思った。
――わたくしが、仮に犯人を見つけ出したとして……その功績はわたくしのものになってしまわないかしら? とすると……まぁ、今は国王が健在ですし、功績を認めないと思いますけれど……その後の世代……仮にオウラニアさんが後を継いだ場合……。
『私がー、お父さまに疑われて、暗殺犯にされそうな時ー、ミーア師匠に助けられましたー。あの時のお礼とー、ミーア師匠の偉大なるその叡智を讃えるために、巨大な黄金ミーア灯台を、国民からー血税を搾り取って作りましたー。ほらー、すごく立派でしょうー?』
などと満面の笑みを浮かべるオウラニアの顔が思い浮かび……ミーアは思わず首を振る。
「……それでは解決にならなりませんわ」
思わずこぼしたつぶやきに、ルードヴィッヒが、我が意を得たりと頷いた!
「やはり、ミーアさまも……そのように思われますか」
「……ん?」
きょっとーん、っと首を傾げるミーアに、意気揚々とルードヴィッヒが言った。
「私も、ちょうど、そのように思っていたところです」
――また、なにか……ルードヴィッヒがわからないことを言っておりますわね。ええと、これは、聞いておいたほうがいいやつかしら?
と、ミーアが口を開こうとしたところで、
「どういうことですか? ルードヴィッヒさん」
代わりに聞いてくれたのは、アンヌだった。わからないこと(ミーアが)はその都度、適切に質問してくれる。実によくできたメイドである。
「ああ、あくまでも、これは直感に過ぎないのだが……。あの時、ガヌドス国王は、本気でオウラニア姫殿下を疑っていたのだろうか? 前々から、なにかの疑いを持っていたということならばわからなくもないが、少なくともあの場面に、オウラニア姫殿下を疑う理由はなかった」
「そうか。ヤナちゃんとキリルくんのことがありましたけど……」
「そうなんだ。あの二人がヴァイサリアンの子どもだったことは、ヴァイサリアンの暗殺者とオウラニア姫殿下の関係を印象付けはしたが、そもそもその前から、国王はオウラニア姫を犯人扱いしていた」
ルードヴィッヒは、軽く眼鏡を押し上げて、
「もしも、ガヌドス国王が、なにか別の理由でオウラニア姫殿下を犯人扱いしたのであれば……その場合は、犯人を捕まえ、オウラニア姫殿下の無実を証明したとしても、意味がないのかもしれない。ガヌドス国王の思惑を探る必要がある」
「やれやれ、ガヌドス国王、ネストリ・ペルラ・ガヌドスか。食えない男だと思っていたが……。腹の探り合いとは、肩がこることだ」
ディオンのぼやきに、ルードヴィッヒは苦笑いを浮かべた
「なに、貴殿にそこまでは求めないさ。貴殿は、ミーアさまの剣だ。面倒な考え事のほうは、こちらに任せてもらおう」
「そうしてもらえると助かるな」
笑い合う二人の男たちに、ミーアは、ちょっぴり心強さを覚えつつ。
「それに、幸いにして、いろいろ動きまわって調べてもらう手段もございますわ」
「グリーンムーン公爵令嬢、エメラルダさまですね」
ルードヴィッヒの指摘に、ミーアは静かに頷き、シュトリナのほうに目を向けた。
実のところ、エメラルダには、すでに働きかけていた。それこそが、今この場にいない二人、ベルとアベルの二人に関係していた。
あの時……一歩前に進み出て声を上げたミーア。それを見ていたシュトリナは、同時に行動を開始していた。
今後、ミーアがおかれるであろう状況を正確に予測した彼女は、外で動ける人員を確保しておくべきと判断。すでに、ルードヴィッヒのことも視認していそうなガヌドス国王の様子から、消去法で、ベルとアベルとに声をかけたのだ。
アベルは驚いた様子であったが、すぐに事情を理解。対して、ベルは、冒険の予感に、目を輝かせていたという……。
「これから始まる冒険が、ボクが過去に来た理由になるのかも!」
などと意気込んでいたとか……。それを聞き、そこはかとなく不安を覚えるミーアであった。
ちなみに、シュトリナ自身は、ミーアに同行していた。
王宮の中で、万が一にも毒を盛られた時のために、ミーアのそばにいようと考えたという。
「まぁ、わたくしが毒殺されてしまえば、ベルが生まれてきませんしね」
っと、いかにもベルと一緒に行きたそうな顔をしていたシュトリナに、ミーアは苦笑いを浮かべる。対して、シュトリナは、頬を膨らませて、
「もう、ミーアさま、意地悪です。リーナは、イエロームーン家を救い出してくださったミーアさまへの感謝を忘れた日はありませんよ?」
「あら……? そうでしたの。それは申し訳ないことを言いましたわ。では、本当にわたくしの身を案じて、忠節を尽くすためだけに残ってくれたんですの?」
そう問えば、シュトリナは静かに目を閉じて……。
「人の心は、一つの側面しか持っていないわけではない。いろいろな感情の合わさったものです。だから、ミーアさまへの感謝も、大好きなベルちゃんがきちんと生まれてくるようにミーアさまを守らなければならないという気持ちも、どちらもあるんです。ただ、その大きさが少しだけ違うというだけで……」
「なるほど……うん? ということは、わたくしへの感謝と忠誠とベルへの友情を比べると……」
っと、首を傾げるミーアに、シュトリナは可憐な笑みを浮かべて……。
「気持ちを比べるなんて、無粋なことですよ? ミーアさま」
……とまぁ、そんな会話が繰り広げられたわけだが……。ともかく、
「エメラルダさんのところには、シオンもいるはずですわ。アベルもきっと知恵を絞ってくれるはずですし。それに、ベルもいることですし……」
なぜだろう、最後だけ、少々、不安感が増すような気がするが……。
「ところで、リーナさん、あの船の上を渡ってきていた男に、心当たりはありますかしら? 話に出ていた、ヴァイサリアン族の蛇だと思いますけど。直接、見たのは今回が初めてですわよね?」
問われ、シュトリナは小さく首を傾げた。
「リーナは、少なくとも、会ったことないと思います」
「そう。ディオンさんは、以前、戦ったことがあるのでしたわね?」
「ええ。クラウジウス領で。しかし、やはり、船には乗り慣れているようですね。以前よりは、戦いづらかったと思いますよ。多少ですが……」
――そうは見えませんでしたけど……。ていうか、大変、楽しそうに剣を振るっていたような気がいたしますけど……。
ミーアは腕組みしつつ、唸る。
「まぁ、ともかく今回の件に蛇が関わっているのは確実そうですわね……あら?」
そこで、にわかに、外が騒がしくなってきた。
「なにかしら?」
怪訝そうな顔をするミーアの前で、扉を開けたルードヴィッヒが、廊下を忙しなく歩く一人を捕まえて、話を聞いてきた。結果……。
「失礼いたします。ミーアさま、実は、オウラニア姫殿下が……」
「オウラニアさんが、どうかなさいましたの?」
嫌な予感に背中を押されるようにして、尋ねると……。
「どうやら、逃亡されたようです。三人の子どもたちも一緒です」
「…………はぇ?」
事態は、混迷を極めつつあった。