第七十四話 ミーア姫、沈没す!
振り下ろされるは刃。
されど、その一撃は、蛇の暗殺者の剣に受け止められた。
しかも、さほど苦労した様子もなく、である。
事実、暗殺者は意外そうな顔を一瞬したものの、次の瞬間には勝ち誇った笑い声を上げた。
「はは、どうした? ディオン・アライア。不安定な足場では、さすがのお前でも剣筋が鈍るか? この俺を相手に、船上で戦うことを選んだことを後悔するがいい」
鍔迫り合いの刃越し、嘲笑う暗殺者に、ディオンは、呆れた視線を送る。
「別になる気もないだろうから、どうでもいいだろうが、お前さんでは、うちの姫さんの剣にはなれんな」
「なに……?」
「うちの姫さんは人使いが粗くてな。森に行ったり、海に行ったり、草原に行ったり、廃城で二対一で戦わされたりね。場所などまったく選べないものだから、地の利を得ないと勝てない、だなんて弱気を吐いているような男には、務まらないだろうよ」
そう言って、鍔迫り合いのままディオンは一歩前に出る。剣に体重をかけ、押し込むようにして、前に、前に……。
「なっ! ぐっ、このっ!」
暗殺者の男の顔に焦りが浮かぶ。
「船の上で、ちょこまかと動き回られては、厄介かと思ってね。いやぁ、早めに捕まえられて良かったよ」
暗殺者が下がれば、ディオンはすぐさま距離を詰める。その距離が開くことはなく、交えた刃は密着したまま、離れない。
「くっ、このっ!」
一転、暗殺者が仕掛ける。力任せに刃を押し込み、次の瞬間、全力で引く。
追いかけるようにしてディオンが放った斬撃が額をかすめるも、構うことなく、男は大きく後方へ。
「強引に距離を取ったか。悪くない判断だが……。しかし、あの蛇の男の相棒にしては、ずいぶんと引き際が悪いな。私怨でもあったのかい?」
ディオンが見つめる先、船の舳先に立つ暗殺者の姿があった。その殺気のこもった視線を、あえてすかすように、ディオンは肩をすくめて……。
「暗殺者ならば、暗殺が失敗した時点で素直に引いておけばいいものを。半端なことをするから、そんなことになる。未熟なことだ」
言葉と同時、男の額から、一筋の血が流れた。頭に巻いていたバンダナがひらり、とその場に落ち……露わになった額には、黒い瞳の刺青があった。
「あれは……まさか……」
後ろから、小さく呻くような声。
ガヌドス国王、ネストリが目を見開き、男のほうを見つめていた。
男は、バンダナを拾い、結びなおすと……。
「なるほど……。確かに、冷静さを失っていたらしい。ここは、ご忠告に従って引くとしよう」
言うが早いか、身をひるがえし、海に飛び込んだ。
その後ろ姿を見てディオンは――追わなかった。
「ここで捕らえられれば楽だったんだが……。さすがに、それは難しいか。泳ぎも達者なようだし……」
船の上、距離を置かれた時点で、すでに、ディオンは追うことを諦めていた。一応、挑発してはみたものの……残念ながら乗ってこなかった。
「意外に冷静だったな……。ムキになって斬りかかってきてくれれば、楽なものを。やれやれ、面倒な……」
敵が一人とも限らない状況。遠距離から、弓でも射られれば防ぐことは難しい以上、護衛対象の国王のそばから離れることはできない。それは、ディオンの数少ない弱点。
彼は、二対一の戦いをまったく苦にしないが、一対一の戦いを同時に二つの場所ですることはできないのだ。
ディオンは、思わず苦笑いを浮かべた。
「いかんな。判断力が鈍ってる気がする。蛇の城で、あのお嬢ちゃんを殺されたことが、我ながらショックだったらしいな」
自嘲するディオンと国王を乗せた船は、急ぎ港へと向かった。
やがて、船は港へとたどり着いた。
王のもとに、次々に兵が駆け付けるのを見て、ミーアは、ホッと安堵のため息を吐いた。
――ふぅむ、さすがはディオンさん。無事に、暗殺は防げましたわ。ここからは、わたくしの仕事ですわね。
きちんと恩に着せて、ヴァイサリアン族の島を視察できるようにしなければならない。
そのためには、もろもろの説明が必要だ。まず、ディオンが、なぜ、あの場にいたのかなど、文句のつけようもないぐらいにしっかりと説明しなければいけない。
――ガヌドス国王は、なかなかに油断のできぬ人と聞きますわ。下手をすると、こちらが暗殺者を送り込んだ、などと言われかねませんし。きちんと正論で押し込まねば……。
などと思うものの、ミーアには余裕があった。なぜなら、それらはすでに、きちんと考えてあったからだ。昨夜、ベッドの中で、ウトウトしながら考えたのだ。
そうなのだ、今日のミーアは、すべてが計画通りに行ったため、余裕があるのだ。
――さて、では、オウラニアさんにお願いして……。
「お父さま!」
などと言い、駆け寄ろうとするオウラニアの後を追って、国王のもとへと急ぐ。
――まずは、挨拶、第一印象が大事ですわね。ええと、オウラニアさんの、お友だちということでよろしいのかしら……?
っと、頭の中で確認していた……その時だった。王と兵たちの会話が聞こえてきた。
「今すぐ、追手を出します」
リーダーと思しき兵の言葉に……。
「いや、追うな!」
突如、王が声を荒げた。けれど、彼は、すぐに後悔するように首を振り……。
「追う必要はない」
ゆっくりと、再度、確認するように言った。
「ですが、国王陛下……そういうわけにも……」
「首謀者はわかっている。実行犯など追うだけ無意味だ」
ゆっくりと、厳かな口調で、王は言った。
「首謀者というのは、いったい……」
兵士の問いかけに、深々と頷いてから、国王の目が、不意にこちらを向き……向き?
「オウラニア、お前だな」
「…………はぇ?」
気の抜けた、なんとも間抜けな声を上げたのは、オウラニア……ではなく、その師、ミーアであった!
最後の最後にやって来た想定外の大波に、ミーアは呆気なく呑み込まれてしまうのだった。