第七十二話 作戦会議は買い食いの後に
さて、話は少々さかのぼり……。
大叔父ハンネスらしき男が去った後、ラフィーナへのお土産に干物を買ってからのミーアなのだが……。さらに、オウラニア推奨のポヤァなる物を食べることになった。さながら、地獄に生える奇怪な果実といった見た目ながら、鮮烈な潮の香りと、プリプリっとした歯ごたえが魅力的な珍味だった。
こちらは、鮮度が大事らしく、お土産には適さないらしい。
――まぁ、見た目がグロテスクですし、どちらかというと珍味好きなクロエ向きかもしれませんわね。今度、誘って一緒に来た時にでも勧めてみようかしら……。それとも、ラフィーナさまも、誘わないと仲間外れにされたと思うかしら……? どうせなら、みなに声をかけて、来てくれた方にはおススメすることにしましょうか。
ミーアはとても気が利くので、ラフィーナだけ仲間外れになったりしないよう、配慮を欠かさないのだ。
――しかし、思い出してみると、オウラニアさんは甘い物とか好きではなかったのですわね。それは、ちょっぴり計算外でしたわ。
珍味には満足したものの、甘い物がなければ、どうしても口寂しくなってしまうミーアである。
「あ、そうですわ。オウラニアさん、明日は、国王陛下の儀式がございますわよね?」
「ああー、冬漁の無事を祈るための『北網の儀式』ですねー。確かにありますけどー、よくご存じですね、ミーア師匠」
「ふふふ、それほどでもございませんけど……。それで、オウラニアさん、その件でお願いなのですが、わたくしたちも、見学させていただくことは可能かしら?」
「特に、見て楽しいものではないと思いますけどー」
っと、不思議そうな顔をするオウラニアに、ミーアはゆっくり頷いて。
「構いませんわ。ただ、その儀式の後で、お父さまのネストリ国王陛下に紹介していただきたいのですわ」
「ああ、なるほどー。確かに、正規のルートではお父さまはお会いにならないかもしれませんねー。明日の儀式で会ってしまえば、逃げられませんし、ちょうどいいかもー」
なぁんて、納得した様子のオウラニアであった。
「では、オウラニアさん、ここで」
お付きのメイドとともに去っていくオウラニアを見送ってから、ミーアは、ルードヴィッヒらのほうを見て……。
「さて……それでは、宿に帰りがてら、明日の段取りについて話をいたしましょうか」
「段取りということは……明日は儀式の後を狙って、そのまま国王陛下に談判する形をお考えですか? 島への視察をせずに?」
「ええ。そうですわね。それはそうなのですけど……それだけではありませんの」
ミーアはこくり、と頷いてから、
「明日は、特にディオンさんにしていただきたいことがあるのですけど……」
「おや、僕にですか……。それはそれは、そのようなきな臭い事態になるということですか」
ディオンは、自らの首をペシペシ叩きながら笑った。
「まぁ、なんにせよ、きちんと姫さんのことは守って見せますから、ご安心を」
などと気軽に言うディオンに、ミーアもにっこり微笑んで、
「ええ。期待しておりますわ。ですけど……」
と、そこで首を振ってから……。
「残念ながら、今回危険なのはわたくしでは、ございませんわ」
真っ直ぐにディオンを見つめて、かすかに声を潜めて言った。
「危ないのは、この国の国王陛下。明日、暗殺される恐れがございますの」
「暗殺……ですか?」
ルードヴィッヒは眉をひそめつつ、辺りに目をやる。
幸い、道は喧騒に満ちていた。
多少、漏れ聞こえたとしても、ただの戯言と聞き流してもらえるかもしれないが……。
「そのようなことを、いったい、どこから……?」
「例のあなたの日記帳から、ですわ。ルードヴィッヒ。ただ、あの日記帳、わたくしが知ってしまった時点で、微妙に記述が変化しますの。だから、あまりアテにし過ぎることはできないのですけど……」
「なるほど。ミーアさまの行動とその後の未来を記述したものゆえに、ミーアさまご自身が知った時点で変質してしまう、と、そういうわけですか」
「ええ。そうなんですの。それに、なぜかはわかりませんけど、記述の内容も、今回の件に関しては、あまり幅がないといいますか……夢と現実の記述が入れ替わるみたいなことは少なく、どちらかというと消えたまま文字が現れないということも……」
ルードヴィッヒの手による日記帳は、ミーアのものや、皇女伝とは一味違うものだった。
通常の記述のみならず、消えた時間線の記憶と思しき夢をも書き留めることで、最も到達する可能性が高い未来と、揺らぎの中で生まれた未来をも同時に知ることができる、優れもののはずで。けれど……。
「今回に関しては、いまいちなんですのよね」
しきりに首を傾げるミーアに、ルードヴィッヒは、眉をひそめて……。
「あるいは……可能性としては、私の死というのもあるのかもしれません」
唐突な言葉に、ミーアは思わずハッとする。
「死って……それは、どういうことですの、ルードヴィッヒ?」
「簡単なことです。観察者である私が死んでしまえば、日記の記述は残せない。記憶も残らないから、夢にも残らないわけです」
夢は、消えた時間線の記憶。なれど、その世界で早々に死んでしまっていれば、記憶が残りようもないわけで……。
「それは……」
ミーア、思わず唸ってしまう。
「確かに、考えられることかもしれませんわ……」
かつてのミーアが書いた日記は、ミーアが革命軍に捕まり、地下牢に幽閉されるという時間があったからこそ、書けた代物だった。
日々、ギロチンがにじり寄ってくるのは恐怖でもあったが、同時に、過去をのんびりと顧みる時間でもあったのだ。
けれど、このガヌドスでの危機は、どうやら、そういった類のものではないのだろう。おそらくは、もっと直接的な危機なのだ。
なにしろ、国王暗殺にしろ革命にしろ、下手に巻き込まれれば命にかかわるわけで。
「しかし……これは、おいそれと死ねなくなりましたね。せめて、死ぬにしてもミーアさまになにか、ヒントを残すような死にざまを……いや、けれど、それも意味がないのだろうか。今の行動が、どのようにベルさまのお持ちの情報に関係するのか……」
と、難しい顔をするルードヴィッヒに、ミーアは指を振り振り注意する。
「余計なことは考えなくても大丈夫ですわ。あなたに死なれたら困りますから、死なないことをまず考えなさい。あなたには、帝国の重臣として、きっちりと国を支えていただかなければなりませんもの」
「ミーアさま……」
思わず、目を見開くルードヴィッヒに構わず、ミーアはアンヌとアベルに目を向け。
「アンヌも、もちろんアベルも、いいですわね。くれぐれも無理はしない、命を大事に行動すること」
最後にミーアはディオンに目を向ける。
「そういうことですから、ディオンさん、明日は、暗殺者への対応、よろしくお願いいたしますわ」
「おや? 僕には、命を大事に行動しろと言っていただけないので?」
おどけた顔をするディオンに、ミーアはニヤリと笑みを浮かべて。
「ええ。わたくしの剣は、暗殺者ごときの前で折れるほど、ヤワではございませんから」
ミーアのディオンへの信頼は、ある意味、とても強いのだった。
ポヤァはホヤみたいなやつです。




