第六十八話 ミーア姫、ちょっとだけ頭脳労働する
「ミーアさま……い、今の方は、まさか……」
ふと見ると、ルードヴィッヒが……、彼にしては珍しく、ものすごーく驚いた顔をしていた!
それはもう、眼鏡の奥の目を思いっきり見開いて……その口はかすかに震えている。
その様子を見てミーア、若干、焦る。
――あら? これ、もしかして、今の方に見覚えがあって当然と言うことなのかしら?
などと思ってしまったミーアは、咄嗟に、
「ええ……そうですわね」
ついつい、訳知り顔で頷いてしまったのだ。
ええ、もちろん、わかってますわよ? という感じで!
――って! そんな反応してしまったら、今のが誰だか教えてもらえませんわ!
自らの失態に気付いたものの、後の祭りである。
――うう、失敗しましたわ。ルードヴィッヒは、しっかり知っていそうな口調でしたのに……。
「それで、あの……追わなくとも、よろしいのでしょうか?」
さらにルードヴィッヒからの追撃が入る。が、それは、ミーアからしてみれば、小さな波だった。
そう、ミーアの背浮き式思考法は、自分で動くことはできない。誰かが立てた波に、のんびーりと流されていくことこそが、真骨頂なのだ。
ゆえに、ミーアは、その波に乗る! 流されるように、考える!
――追う……つまりは、追うべき人物なわけですわね……? では、今のところ追うべきは誰かしら? 蛇の関係者という線と、ヴァイサリアンの隔離にまつわる人物……あとは、ハンネス大叔父さま……んっ?
っと、そこで、ミーアは、ポコンっと手を打った。
――ああ! そうですわ! 今の方、あのクラウジウス邸で見た肖像画にそっくりなんですわ!
大叔父ハンネスとされる肖像画。パティも認めたその容姿に、先ほどの男はそっくりで……。ということは……。
「ハンネス大叔父さま……。まさか、本当に、あの肖像画のように若々しい姿をしているとは思いませんでしたわ……」
パティを連れてこなかったことが悔やまれる。
「申し訳ありません。私も、あまりのことで、止めることができませんでしたが……。今からでも追いかけますか?」
ルードヴィッヒの再度の問いかけ。
「ううむ……まぁ……そうですわね。追いたいのは山々ですけれど……」
ミーアは、チラリとディオンのほうに目を向ける。と、
「やめておいたほうがいいでしょうな。こちらを分断しようという狙いかもしれない」
「そうですわね。先ほどの方が蛇の手の者ということも考えられますし……。仮に大叔父さま本人だったとしても、ご自分で言っておられましたし。あまり首を突っ込まないほうがいい、と。ということは、少なからず、ここには危険があるのかも……」
そう考えれば、ディオン・アライアを追跡に出すわけにもいかず。ルードヴィッヒにお願いするのも危険。帝国の叡智の知恵袋になにかあれば、帝国は大変なことになってしまう。
であれば……。
「大叔父さまらしき方がいるとわかっただけでも収穫ですわ。今は、それで満足することにしますわ」
基本的に、ミーアは無理しないのだ。
明日すべきことまでしようとすれば、今日すべきことが疎かになる。
種を蒔くに適した時があり、刈り取るに適した時がある。種を蒔く前から刈り取る愚を冒すべきではないのだ。
「今すべきは、どうやって、あの島の様子を見るのか、ですわね。」しかし……」
そうして、改めて島を眺めるが……。
「ううむ……結構、距離がありそうですわ。船を手配する必要がありますわね」
そう言うと、オウラニアは眉間に皺を寄せて、難しい顔をする。
「そうなんですけどー、ガヌドスの船であそこに行ってくれる船はないと思いますー」
「まぁ、そうなのでしょうね……。隔離地区なわけですし……」
っと、納得の頷きを見せるミーアに、オウラニアは首を振った。
「もちろん、それもありますけどー、島の近くは岩礁と複雑な海流でー。食糧を運んでる船も、腕利きの船員に運ばせているぐらいなんですー」
「ううむ、さすがは隔離地区……ということかしら。これは、とても厄介ですわ」
「それなら、いっそ、泳いで行くってのはどうです?」
ディオンが、冗談とも本気ともつかない口調で言った。
ミーアは、島までの距離をなんとなく眺めて……。
――すごく……遠いですわ。
泳いでいくのは、ちょっと……と思っていると……。
「さっきも言ったとおりー、海流が強いから―、泳いでいくのも危ないかもー」
オウラニアはそう言って渋い顔をする。
「私もー、あっちのほうに海釣りに行こうとした時に、駄目だって止められたわー」
「なるほど。オウラニアさんがそういうのであれば、やめておいたほうがいいですわね。うん、うん……」
ミーア、あっさり頷いて、それから、ううむむっと唸る。
「しかし、そうなってしまうと、これはいよいよ視察に行くのは難しそうですわね。とすると……」
っと、ミーアは静かに頷き……。
「別の手を考えるしかありませんわね」
そうして、ミーアは、自らの知恵袋のほうに目を向けようとして……。