第六十七話 悲報! ダレカの春、終わる……
さて、時間は少し遡る。ガヌドス港湾国、王都の一角にて。
蛇導士、火燻狼は、鼻歌など歌いながら町を闊歩していた。
生き生きとした彼の足取りは、すこぶる軽かった。
端的に言って、この国に来てからの燻狼は絶好調であった。
毎日、いろいろな場所に出ていっては、気軽に、気安く、悪意の種をばらまいていた。
人が集まる以上、どこにだって軋轢は生まれる。秩序を破壊し、混沌へと導く、そんな土壌はどこにだってあるものなのだ。
まして、この国は初代皇帝の影響を強く受けた国。混沌の蛇の源流に近いヴァイサリアン族の存在もある。国家構造自体に付け入る隙があり、実になんとも活動しやすい場所だった。
しかも、ここには邪魔者である帝国の叡智も、あの恐ろしいディオン・アライアもいないのだ。
気持ちはとっても朗らかで、充実した毎日である。
一日一悪、日々の積み重ねが大事。燻狼は、非常に勤勉に動き回っていた。
その日、彼が向かったのは、漁師町の一角にある家だった。
特に大きいでもなく、かといって小さくもなく、ありふれたどこにでもある家。
その選び方に、燻狼はニンマリ笑みを浮かべる。
――ふふふ、さすがは鴉の生き残り……。町に溶け込む術を持ってますねぇ。
特に躊躇いもなく扉を開けて、中に入る。っと、直後、目の前に刃が突き出される。
「おおっと! いきなり物騒な」
燻狼は慌てて身を屈めつつ、
「勘弁してくれませんかねぇ。せっかく、ジェムの友人が訪ねてきたっていうのに」
「なんだと……?」
刃を突き出した男は、警戒心を解くことなく、油断なく燻狼を睨みつける。その身のこなしは俊敏だったが……、どちらかというと我流の趣が強かった。
――おや、鴉の生き残りだと思ってたが、こいつは……。
「どういうことだ? お前は、風鴉の関係者か? それとも、白き鴉のほうか?」
「どっちでもありませんよ。ああ、蛇のことはご存知ないんですかね?」
「蛇……?」
怪訝そうに眉をひそめる男を見て、燻狼は愛想笑いを浮かべる。
「ああ、いえいえ。なんでもありません。俺はジェムの……まぁ、個人的な友だちでね。いろいろと事情を知ってて、あなたに協力もできるだろうと思ってますが……」
そう言った瞬間、男の緊張感がわずかに薄らいだのを、燻狼は見て取った。
肩をすくめつつ、口も滑らかに続ける。
「いやぁ、しかし……まさか、あの鴉の関係者が、まだこの国に残っていたとは思いませんでしたねぇ」
かつて、各国に張り巡らされていた諜報網……。サンクランド王国の特殊部隊『風鴉』によって築かれたそれは、けれど、レムノ王国革命事件以降、サンクランド王国自体によって取り去られていた。
けれど……。
――諜報網なんてものが、そう簡単になくなるわけもないってね。
風鴉の構成員の引き揚げはできても、現地で築いた協力者の繋がりまで、完全に排除するのは難しいわけで……。
――帝国のほうは、あの帝国の叡智の手の者が根こそぎにしていったが、ガヌドス港湾国程度には、そんなことはできない。ふふふ、読みが当たったねぇ。しかし、ジェムのやつも、意外と優秀だったんですねぇ。小物面してたくせして。おかげで、仕事がやりやすくなる。
燻狼は上機嫌に笑ってから、
「ところで、おたくは、どうして風鴉に協力を?」
その問いに、男は、おもむろに、自らの前髪を上げた。その額には、火傷の痕が見えた。
「ヴァイサリアン、か。なるほど。刺青を誤魔化すために焼いたんですか」
「この国では、なにかと生きづらくてな。だが、一族の誇りも、同胞の苦難も思わぬ日はない」
「だから、サンクランドに協力したと?」
「サンクランド国王は、正義と公正を重んじる、だったか? この国のヴァイサリアン族の扱いを見れば、必ずや助けてくれるだろうと思ってな」
疑う様子を微塵も感じさせない言葉を聞いて、燻狼は小さく頷く。
――なるほど。蛇というよりは風鴉の協力者。それもかなり純粋な協力者らしい。
サンクランドの国粋主義者が訴える正義と公正に、ここまで感銘を受けているとは……っと、まるで擦れていない子どもを見るような微笑ましい気分で、燻狼は接し方を決める。
「なるほど、その気持ちよくわかりますよ。それじゃあ、その方向で考えていきましょうか。サンクランドが乗り出したくなるような騒動を起こして、ガヌドス王政府を転覆させるとか……ね」
いつものとおり、相手の欲求をくすぐるような物言いを、心おきなく披露する燻狼であった。
男のもとを離れた燻狼は、ルンルン気分で帰途に就く。
「まぁ、帝国やレムノ王国を堕とすよりは、効果は薄いんだろうが……混沌への足掛かりになれば重畳、重畳」
すべての国が、平和で、安定し、幸せを享受する、などということになれば、混沌は遠のくばかり。されど、どこか一つの国でもきな臭い空気を出していれば、秩序と平和は危うくなる。
「こんな小さな国だが、帝国の隣ですしねぇ。治安が悪化すれば、帝国としても見過ごすわけにはいかない。結果として……ふふふ」
とても……とってーも、朗らかな気持ちだった。
我が世の春を謳歌していた、と言っても過言ではなかったのだ。が……。
ものすごーく楽しげに、ルンルン気分でアジトに帰ってきた彼に、今やすっかり相棒となりつつあるヴァイサリアン族出身の暗殺者(……つい先ごろ名前を知ったがカルテリアというらしい。まぁ、蛇同士なので本名かどうかは知らないが)がなにげない口調で言った。
「聞いたか? どうやら、連中、今度はこのガヌドスに来るらしいぞ」
「連中……? はて? それは一体全体、誰のことで……」
「決まってるだろ? 帝国の叡智ご一行さまだ」
肩をすくめるカルテリアに、燻狼はかくん、と首を傾げて……。
「んんっ……?」
微妙に笑顔を引きつらせる燻狼であった。




