第六十六話 ミーア=オト○○オネーサン・ルーナ・ティアムーン
ヴァイサリアンの隔離地区を見るべく、ミーアたちは、オウラニアの案内で宿屋を出た。
同行者は、アベル、アンヌ、オウラニア、ルードヴィッヒとディオンである。
他のメンバーは宿で休憩することになった。
特に子どもたちは、さすがにここまでの旅で疲れたのか、キリルなどはすでにウトウトし始めていた。
ミーアもウトウトしたかったし、このままベッドに入って寝てしまいたいのは山々だったが、暗殺事件が起こるのが、予定では明日になっているため、あまり余裕がなかったのだ。
――あまり早く現地入りしてしまうと、未来が変化してしまうかと思ってギリギリになってしまいましたけど……。
その甲斐あってか、ベルに確認したところ、暗殺事件の日時に変化はなかった。代わりに暗殺事件が暗殺未遂事件になっていた。それは良いのだが……。
――わたくしが、続きを見ようとした途端に、その続きが変化してしまったんですわよね……。
せっかく、これから起こることを盗み見して、できるだけ簡単に、黄金の燈台が立たないルートに入ってやろうと思ったのだが……。
――つまりは、今の状態というのは、非常に変わりやすい状況……ということかしら? 繊細で、少しの行動の違いが大きな変化に繋がる、みたいな……。
以前のミーアがつけていた日記とは大違いである。
おそらく、記述しているのがルードヴィッヒであるから、正確さを大切にしているというのもあると思うのだが、それ以上に、状況が流動的だからなのだろう。
――あるいは……わたくしの行動に重みが出てきた、ということもあるのかしら?
そんなことも思ってしまうミーアである。
そうなのだ……。今やミーアは、本人の資質に関わらず、相当な影響力の持ち主なのである。
未来に対する影響力どころか、過去に対する影響力とて持ち合わせる、まさに影響力の塊なのだ。巨大な塊なのだ!(物理的な塊ではないので念のため……)
そんなミーアが、これから先に起こることを読んでしまうとどういうことになるのか?
当然、未来はその瞬間に変化する。なぜなら、ミーアの行動が未来に及ぼす影響が大きすぎるからだ。
――ううむ……これはなかなか厄介な問題ですわ。わたくしがちょっぴりサボろうとするだけでも、大きな変化が出てしまう……。とすると、やはり、当初の予定通り、ベルから事情を聞くことが肝要ですけれど……あの子、サボりがちなんですわよね……いえ、でも、そのぐらい適当じゃないといけないのかしら……ううむ。
などとつぶやきつつ、ミーアはやれやれ、と首を振った。
「楽はできないものですわね。たまにはゴロゴロ、甘い物を食べて生活したいものですけど……」
割とすでに実現できている夢を口にしつつ、歩いていると……。不意に、建物が途切れ、潮の香りのする風が吹いてきた。
「おお、海ですわ!」
そうつぶやきつつ、ミーアは片手で髪を押さえる。キラキラ輝く海面に、瞳を細めつつ、ミーアは隣にいたアベルに微笑みかける。
「うふふ、あの夏が懐かしいですわね」
「ああ。なんだか、ずっと昔のことに感じるが、よくよく考えると二年前のことなんだね」
爽やかな笑みを浮かべるアベルに、ミーアは、うんうん、っと頷く。
「あれは、とても貴重な体験でしたわ。海で泳いだり、巨大な人食い魚を殴ったり、森で食べられるものを探したり。白月宮殿にいてはとても経験できないことばかり」
それからミーアは、両手を後ろ手に組んで、あざとい笑みを浮かべて……。
「そ・れ・に、アベルがとっても頼りになるってこともわかりましたし……」
上目遣いで、からかう気満々のミーア=オトナノオネーサン・ルーナ・ティアムーンである。実にウザ……見る人が見れば可愛く見えなくもない仕草であったのだが……。
「ははは。今後もそう言ってもらえるよう鋭意努力するよ。君の期待に応えるためにね」
ものすごーく素直に、真摯に返されてしまったので……思わず照れくさくなって、ごふっとむせるミーアである。大人の余裕などどこにもなかった。
ミーア=オトメナオネーサン・ルーナ・ティアムーンであった。
一方で、イチャイチャを始めるミーアたちを見てオウラニアが……。
「……なるほど。これが、ミーア師匠の恋愛戦略ー。とってもあざといわー!」
などと嬉しそうにメモを取っていたが、まぁ、それはともかく……。
「あっ、ミーア師匠、あそこがそうです」
その声に、ミーアはハッと顔を上げる。
オウラニアが指さす先、見えたのは、海の向こう側にぽっかりと浮かぶ島だった。
セントノエル島よりやや小さいものの、それなりの大きさのある島だった。
「ふむ……あれが……」
ミーアが、そちらに歩いていこうとしたところで……。
「おや? あの島に興味がおありですか? お嬢さん」
唐突に声をかけられる。
道の反対側、一人の男が立っていた。年の頃は二十代の半ばと言ったところだろうか?
頭には洒落たフェルトの帽子を被り、そこから、白金色の癖っ毛が外に飛び出している。
顔にはいたずらっ子のような笑みを浮かべ、その目は興味深げにミーアたちを眺めていた。
「ふーむ、察するに、ご旅行中の貴族のお嬢さまとか……?」
アベルがさりげなく、ミーアをかばうように身を寄せる。それに、ちょっぴり、ほわぁっとなりつつも、ミーアは、できるだけ平静を装った口調で答えた。
「外れですわ。わたくしは、シャローク・コーンローグの商隊の者ですわ」
「ほうほう。あの大商人シャロークの。なるほど、それでは、お嬢さんは商人ということか。あるいは、その娘さんかなにかかな?」
「まぁ、そんなところですわ。そういうあなたは、吟遊詩人かなにかかしら?」
「ははは。音楽は好きだが、そんな洒落たものじゃなし。ただのしがない探検家さ」
「まぁ、探検家!」
一瞬、ベルを連れてこないで良かった、と思うミーアである。もしも、ベルがいたら、きっとうるさかったことだろう。
「なるほど。探検家の方とお話しするのははじめてですわね」
マジマジと眺めるミーアに、男は、茶目っ気のある笑みを浮かべてから、
「しかし……」
帽子を脱ぎ、手の中でもてあそぶようにしてから、男は言った。
「今は、時期がよくないな。あまり、長居はしないほうがいいだろう。それに、ヴァイサリアン族のことやらなんやらにも、あまり首を突っ込まないほうがいいだろうな」
ふわり、と、男の髪が風に踊る。それを見た瞬間、ミーアは、ふと気付く。
「あら? あなた、どこかでお会いしたことがあったのではないかしら……」
彼の顔には見覚えがあった。だが……いったいどこで……?
首を傾げるミーアに、青年は、ウインクして。
「失礼、美しいお嬢さん。あいにくと、私には、あなたにお会いした記憶はないが……」
それから、彼は帽子を被り直して、
「まぁ、また縁があったらお会いすることもあるだろう」
それから、気障っぽくウインクして、颯爽と去っていった。




