第六十四話 ミーアのお茶目な冗談……冗談?
ガヌドス港湾国は、ティアムーン帝国に比べると、とても小さな国だった。
それでも王都には、国の要である港や海産物を売る鮮魚市場、造船所などの大型施設が集まっていて、街行く人々の顔には活気が溢れていた。
「ふむ、なかなかの賑わいですわね」
馬車から降りて、まずミーアたちが向かったのは宿屋だった。
ほかの客たちに紛れるようにして部屋に入り、ようやく安堵のため息一つ。
「まぁ、ここは商人の出入りが比較的ありますし、海に出たまま数日漁師が帰って来なかったり、出稼ぎにやって来た身分不確かな者がいたりしますので、まず見つかりませんよ」
などと悪い笑みを浮かべるのは、シャロークの子飼いの商人だった。
――なるほど、さすがは、あのシャロークさんのところの方ですわ。実に悪そうな顔をしておりますわね。
などと頷きつつ、ミーアは窓の外に目をやった。
以前、泊まったグリーンムーン公の別邸は、ここよりさらに王城に近い、高級住宅地のほうに見えた。
最初はそちらを使わせてもらおうかと思っていたミーアであったが、さすがに、そこは監視の目がありそうだったので、今回は普通に宿屋を使うことにしたのだ。
「さて、それでは、オウラニアさんが来るまでに、なにか、腹ごしらえでも……。ええと、ケーキかなにか……」
「ミーアさま、変わったお菓子をいただきましたよ」
どこに行っていたのか、タイミングよくアンヌが戻ってきた。
「変わったお菓子? なんですの、それは……」
「はい。小魚を干したものにタレを付けたのだそうです」
そう言ってアンヌがお皿の上に並べたのは、茶色いタレのかかった、開きにした魚だった。
「あ、それ、美味しいやつ!」
と、横で見ていたキリルがニコニコしながら言った。
「ふふふ、それではみなで一緒にいただきましょうか。ほら、ヤナもこちらへ」
「え? あ、でも……そんなに、たくさんないから……」
などと躊躇うヤナに、ミーアはおかしそうに笑った。
「なにを遠慮しておりますの? 子どもは気にせず、たくさん食べるべきですわ」
ミーアは、そこで、小さくウインクして、
「それに、わたくし、あまり食べるほうではありませんし、余ってしまうかもしれませんわ」
「えっ……?」
「え……?」
ミーアの言葉に、なぜか、きょとん、と首を傾げるヤナとキリル。
その反応に、はて? と同じく首を傾げるミーアだったが……。
横で見ていたパティがおもむろにヤナたちのほうに歩み寄り……、小声で……。
「……たぶん冗談。たぶん」
「あ、ああ。そうか。ははは」
などと、あいまいな笑みを浮かべる子どもたちに、ミーア、またしても首を傾げ……。
――冗談……? はて、なんのことかしら……。
と、その時だった。
「ミーア師匠ー!」
ドアを開け、オウラニアが入ってきた。
「ああ、オウラニアさん。ご機嫌よう」
「わざわざ、こんな辺鄙な国までご足労いただきましてー、申し訳ありませんー」
ドレスにも関わらず、ミーアの前で片膝を付いて臣下の礼を取るオウラニア。ミーアはその姿に、ガヌドスの属領化という、実に面倒くさい事態を幻視する。
「ああ、ええと、オウラニアさん、そのようにされると困ってしまいますわ。わたくしたちは対等な国の姫同士ですし……」
「いいえー、ミーア師匠は、私の師匠ですからー。このぐらいはしないと、失礼にあたりますー。それに、我が国のために来ていただいたのですからー、礼を尽くすのは当たり前のことですー」
キリリッとした顔で見上げてくるオウラニア。
それを見て、ミーアは一抹の不安を覚える。
先日より、さらに高まるオウラニアの尊敬……。なんとなくだが、これは、忌まわしき黄金のアレが建つという兆候のように感じられて……。
「え、ええと、そろそろ、その師匠というのは……」
「いえー、私はまだまだー、姫道を師匠から教わらなければいけませんからー」
オウラニアは、ものすごーく真面目腐った顔で言った。
「……そ、そう」
思わず、引きつった顔をするミーアであるが、とりあえず、咳払いして……。
「ミーア師匠……ですか?」
っと、声のほうに目を向ければ、ルードヴィッヒが苦笑いで眺めていた。
「あ、ええ。ええと、なにやら、わたくしから学びたいことがあると言うので、そのようなことになっておりまして……」
「なるほど。さすがはミーアさまですね」
きらり、っと眼鏡を光らせて、なんだか納得顔のルードヴィッヒである。
――って、なにを納得してますの? こちらが困っている時に、このクソメガネは……あ、そうですわ!
ミーア、そこで思いつく。それから、澄まし顔でオウラニアに向かって……。
「オウラニアさん、実は、今回はわたくしの大切な忠臣を連れてまいりましたの。こっちの眼鏡をかけているほうがルードヴィッヒ。そして、あちらの剣を持ってる、ちょっぴり……すごく? 怖い感じの方がディオンさん」
「はぁー」
突然のことに、ポカンとした顔をするオウラニアに構わず、ミーアは続ける。
「ルードヴィッヒは、わたくしの頭脳労働の半分ぐらいを担っていただいておりますわ!」
ミーア、思いっきり盛る! 盛る! 盛る!
……もっとも、この場合の『盛る』が、多いのか少ないのかは、議論の余地がありそうなところであるが、それはともかく……。
――オウラニアさんの尊敬を少しでも削いでおければ、重畳ですわ。
今回のミーアには大きく分けて二つの目的がある。
一つは、言うまでもなくハンネスを探すこと。
もう一つは、ガヌドス国王の暗殺を防止し、ヴァイサリアンの隔離地区の問題を解決し、それにより、あの忌まわしき黄金のアレが建つことを事前に防ぐことだ。
特に黄金のアレを防ぐため、あまり目立ちたくないと思うミーアであるのだが……。
――オウラニアさんのこの態度を見るに……今回のことをオウラニアさんを前面に押し出して解決したとしても、わたくしの功績を讃えるとかなんとか言い出して、アレが建ってしまいそうですわ。
であれば、オウラニアの尊敬の念を少しでも下げておかなければならないわけで……。
「わたくしは、このルードヴィッヒがいなければ、大した働きもできませんわ。ルードヴィッヒやディオンさん、それにアンヌ……大切な臣下たちがいてこそのわたくしなのですわ」
だから、これからこの国ですることも、自分の功績だけじゃないよ? だから、ワケのワカラン黄金の建造物とか建ててくれるなよ! と言外に、力強く主張するミーアである。っと、
「えーと、つまりー、私も、ルードヴィッヒさんのような、頭のいい家臣が必要とー、そういうことですかー?」
「え? あ、うーむ、まぁ、そういうこと……になるかしら? わたくしたち、上に立つ者が、自分だけでできることなど、ほとんどないというのは事実ですわ」
「なるほど……。そういうことなんですねー」
オウラニアは、神妙な顔で頷き……。一冊の本を取り出した。その表紙には手書きで「ミーア師匠金言録」なる、珍妙なタイトルが書かれていた!
「なっ! なんですの、その本は……」
「ミーア師匠のお言葉を忘れないようにメモしておこうと思ってー」
などと、筆を動かしつつ、オウラニアは言った。
「良き家臣を得ることこそが、良き姫への第一歩。ミーア師匠、とっても勉強になりますー。さすがは、ミーア師匠ですー」
「ちっ、違いますわ! ああ、いえ、別に違いはしませんけれど……そうではなく……」
ミーア、思わず舌打ち。
これでは、まるで、ルードヴィッヒを家臣につけたこと自体が、ミーアの功績のようになってしまっている。ルードヴィッヒが優秀であればあるほど、自らの評判が上がる効果が生まれてしまいそうで……。
――ぐぅう、ぎゃ、逆効果ですわ……。なんとかしなければ……。
頭を抱えるミーアなのであった。
こうして、黄金のミーア燈台の建造までの道のりは、着々と舗装されつつあるのだった。