第六十話 ローレンツ・エトワ・イエロームーンの訪問
さて、エメラルダが帰った時には、すでに、空は夕焼けに染まっていた。
「ふむ……」
ミーアは軽くお腹をさすりつつ……。
「今日のお夕食は……なにかしら?」
おっ、恐ろしいことをつぶやいていた!
けれど、それは仕方ないことなのかもしれない。
なにしろ、料理長の絶品料理は、どれだけお腹がいっぱいでも美味しく食べられてしまうという代物なのだ。夕食前に、メニューを気にするなというほうが無理な話なのだ。
しかしながら、料理長の腕が良いのが悪い、というのも理不尽な話。料理長は、ミーアたちの健康を気遣い、栄養豊富なものを美味しく食べられるよう、日夜研鑽を積んでいるだけなのだ。
だから結局は、誰も悪くはないのだ…………そうだろうか?
――なんだったら、少し、つまみぐ……味見もできるかしら?
なぁんて、お茶目なことを考えつつ、ミーアは部屋を出た。
ちなみに、アンヌは「今日は少しお茶菓子を食べすぎだから、デザートの量を調節して……」などと言うことを考えつつ、料理長に相談に行っていた。
ミーアの食事量と体調を管理する、メイドの鑑アンヌなのであった。
さて、楽しい味見のために、そそくさと白夜の食堂に向かっていたミーアだったから……。
「失礼いたします。ミーアさま、少しよろしいでしょうか?」
急に声をかけられた瞬間に、うひゃっ! などとヘンテコな声を上げて跳びあがった。ぎくしゃくと振り返れば、そこに立っていたのは……。
「あ、ああ……。リーナさん。どうかなさいましたの?」
「はい。実は、ガヌドスに出立する前に、父にお会いいただきたいのですが」
「あら……、ローレンツ卿に?」
「はい。以前、お尋ねいただいていた、クラウジウス候ハンネス殿のことについて、直接、お話ししたほうがいいだろうと申しておりまして……」
「……ああ、例の……」
ミーアは……別に忘れていたわけではありませんよ? という顔を装って頷いてみせた。
「そうですわね。ガヌドスに行くのであれば、先にお聞きして、情報を整理しておいたほうがよさそうですわ」
ミーアの目的は、もともと、ガヌドス国王の暗殺を云々することにあらず。また、ガヌドス港湾国のヴァイサリアン族を救い出すことでもなく……。
――ハンネス大叔父さまの行方を探ることが第一目標でしたわ……。
その時、ふと、視線を感じて、ミーアは辺りをキョロキョロ見回す。っと、いた!
白夜の食堂の入口近く! パティとベル、さらにヤナとキリルの姿が見えた。
ハンネスの名前が出たからか、パティはジーっとこちらを見つめていた。
ミーアは、改めて「ええ、もちろん、忘れてなどいませんでしたわよ?」という顔をしつつも……。
「ちなみに、ローレンツ卿は今どこに?」
「実は、すでに白月宮殿に参上しております」
「あら、そうなんですの? でしたらすぐにでもお会いしなければ……」
などとつぶやきつつ、ミーアはパティにちょいちょい、っと手招きをした。
そわそわした様子だったパティは、ちょこちょこ小走りにやってきて……。
「……ハンネスのことがわかったの?」
「ええ。そのはずですわ」
頷きつつ、ミーアは考えていた。
――パティは……いずれ過去に帰る。その際、ローレンツ卿に対して、悪印象を持っているようですと、いささかまずいことになりますわ。
ミーアは以前見た夢を思い出す。
イエロームーン家で出されたケーキに毒が入っている、という悪夢のことを。
ケーキに毒……それは言ってしまえば、大好きなキノコを食べてみたら毒キノコでした! というのと同じ、大変ショックな出来事である。
否、毒キノコであれば、キノコ女帝として、まだしも愛でることができるかもしれないが、毒の入ったケーキはただの毒……。到底、容認できる代物ではない。
――そういう意味では、直接、ローレンツ卿と会わせて、ひととなりを知ってもらうことが必要かもしれませんわね。なにがあっても彼は悪人にならない、ハンネスを助けた人なのだ、と思っておいてもらえれば、悪いことにはならないはずですわ。
ミーアは、ふむ、とつぶやいて……。
「パティ、あなたも、一緒に話を聞きたいですわよね?」
「え? いい、んですか?」
「構いませんわ。あなたが当事者ですし、まぁ、ローレンツ卿には上手いこと言って納得してもらいますわ」
基本的に、ローレンツは話のわからない男ではない。
ミーアと同じ、スイーツを愛する同好の士である。話せばわかってもらえるだろう、と確信するミーアであった。
さて、応接用の部屋で待つことしばし。ノックと共にローレンツが入ってきた。
彼は、部屋に入って早々、パティのほうを見て、目を見開いた。
「ミーアさま……もしや、その方は、ハンネス殿の縁者の方でしょうか?」
パティのことをどう切り出そうか、と思っていたミーアだったから、渡りに船とばかりに頷いて。
「ええ……そんなようなものですわ。よくおわかりになりましたわね?」
「先代皇妃殿下の面影がございましたゆえ」
そうして、ローレンツは、懐かしそうに瞳を細めてパティに笑いかける。
「それにしても、そうでしたか。ハンネス殿の、縁者の方が……。もしや、ハンネス殿のことを急に知りたいとおっしゃられたのは……」
「ええ、察しが良くて助かりますわ」
深々と頷いてから、ミーアは続ける。
「ハンネス大叔父さまのこと、蛇と関係の深いクラウジウス家のこと……そして、ハンネス大叔父さまが、あなたに暗殺されたという噂……わたくしは、その辺りの事情をなにも知らないから、教えていただきたいんですの」
ミーアは真剣な顔で、ローレンツを見つめる。
「とりあえず、大叔父さまが生きていることは確実だと思っておりますけれど……その辺りはいかがかしら?」
ローレンツは腕組みしつつ、頷いて言った。
「わかりました。私の知っている限りをお話しさせていただきます」