第五十九話 ツッコミを入れる者はなく……
シャロークとの対談を終えたミーアは、新たな客人を迎えていた。
それは……。
「ミーアさま、ご機嫌麗しゅう」
優雅な動作で室内に現れたのは、美しい緑色の髪を揺らす少女。星持ち公爵令嬢筆頭を自任する、自称ミーアの親友。
エメラルダ・エトワ・グリーンムーンだった。
スカートを持ち上げ、完璧な礼を取る彼女に、ミーアも笑顔で礼を返す。
「お久しぶりですわね。エメラルダさん。オウラニア姫のことでは、助かりましたわ」
「うふふ、なかなか、いい子でしたでしょう?」
そう微笑むエメラルダに、ミーアは思わず考え込んでしまう。
いい子……という言葉には、若干、疑問の余地がないではなかったが……。ミーアはすぐに頷いて、
「ええ。仲良くなってしまえば、そうかもしれませんわ。わたくしのことを師匠だなどと呼んで……ふふふ、可愛らしい方ではありますわね」
さて、楽しいお茶会が始まって、すぐに、テーブルの上にお茶とケーキが並べられた。
久しぶりに、グリーンムーン家が保有している、ちょっぴり変わったお菓子が食べたい、というミーアのリクエストに基づいて、エメラルダが持参したものだった。
「おお……これは……」
ミーアは、テーブルの上に置かれたケーキを見て、思わず歓声を上げる。
きつね色の、四角いケーキだった。その形状から、ペルージャンのカッティーラを連想するミーアであったが、上のほうに施されたデコレーションが違っていた。
白いクリームと三食のベリーがちょっこりと添えられていて、実になんとも可愛らしい見た目である。
「ふふふ、シャロークさんも、これを見たら、もしかしたら、口にしていたかもしれませんわね」
などと上機嫌で笑いながら、ミーアは、そのケーキにフォークを押し当てる。
ふんわり、とフォークを受け止めた生地から、ジュワッとシロップが滲む。
「この香りは……お酒かしら?」
「ふふふ、ケーキをラムーン酒のシロップにつけたものだと聞いておりますわ」
「ほほう、変わっておりますわね。先ほど、シャロークさんに出したジャムも変わっておりましたけれど……」
つぶやきつつ、ミーアは、ケーキを一口。瞬間、口の中に、ジュジュワッと、シロップの甘みが広がった。鼻を駆け抜ける華やかな酒気の風味、遅れてどっしりと舌の上に立つケーキの甘さ。さらに、生地には、同じくアルコールにつけたであろう干しブドウが練り込まれていて、それが、しゃり、しゃり、っと良い歯ごたえのアクセントを追加する。
さらに、上に載っていたベリーからは、爽やかな酸味が追加され……重厚な甘みを洗い流していく。
「これは、なかなか……大人の味ですわね。ふふふ、でも、とても美味しいですわ」
微笑みつつも、もう一口パクリ。
ちなみに、直前に、シャロークのことを思い出したりだとか、彼が食事制限と運動によってやせた話だとか、彼が食べなかったから、一人でお茶菓子を食べることになっただとか……。そういう細々したことは、ミーアの脳内にはすでに存在しない。
そんな小さなことなど一顧だにしない、極めて器の大きなミーアなのである。
……唯一、タチアナに話を聞こうと決意しているアンヌの存在だけが救いであった。
まぁ、それはさておき……。
「ところで、エメラルダさん、シオンのことなのですけど……」
「あら、シオンお義兄さまがどうかなさいましたの?」
――お義兄さまって……。エメラルダさん、ずいぶんと気が早いことですわ。結婚前からお義兄さまだなんて……。
思わず苦笑するミーアである。
……ツッコミを入れる者は……いなかった!
「シオンは、どうもエシャール王子に会いに来るつもりらしいんですけど、そのためにガヌドスには同行しないつもりみたいなんですの。ガヌドスでどのようなことが起こるか、今のところ未知数ですけれど、彼の力が必要になる局面も訪れるかもしれませんわ。だから……」
「なるほど。わたくしのほうで、ガヌドスに行くように働きかけるようにいたしますわ……。あ、そうですわ」
っと、エメラルダはそこで、手を叩いた。
「どうせでしたら、グリーンムーン家の別邸に招待するというのはいかがかしら?」
言われて、ミーアは思い出す。
そういえば、ガヌドスの王都には、グリーンムーン家の別邸があるのだ。
そこに滞在していたもらえば、いつでも救援に来られるだろう。
「ふむ、それはありがたいですわね」
満足げに頷くミーアに、エメラルダは思案げな顔を向ける。
「それにしてもガヌドスのヴァイサリアン族、聞いたことはございましたけれど……」
エメラルダは頬に手を当てて、ううむ、と唸る。
「ヴァイサリアン族というのは、確か、ガレリア海の周辺部に集落を持つ少数部族でしたわね。先々代国王陛下の治世下で、海賊狩りが徹底して行われ、ほとんど者たちは、捕らえられたか、投降してガヌドス国民に加えられたかしたはずですわ。未だに隠れ里に潜んでいるという話もございますけれど、海賊を大っぴらに続けているということはないのではないかしら……」
「ほう……。それはなぜですの?」
問いかければ、エメラルダは、さも当たり前と言った様子で頷き、
「当然ですわ。なにしろ、私のように美しい貴族令嬢が、毎年、海遊びをしているのに、一度も、そういった海賊に遭遇したことがございませんもの」
――美しい……。まぁ、確かに、エメラルダさんは、わたくしの親戚ですし。美しくないとは言いませんけれど、自分で言える胆力がさすがですわね。
……ツッコミを入れる者は……いなかったっ!
「イケメンの海賊に連れ去られるのは、ちょっぴり素敵かも、なぁんて思ったものですわ。ああ、今はもちろん違いますけど。エシャール殿下一筋ですわ、もちろん」
「ええ……まぁ、それはさておき……。ヴァイサリアンの問題は意外と根深そうですわね……ふぅむ……。彼らは蛇に関係あるとか、そんなことも聞きますし、これは、気合を入れて行かなければなりませんわね。栄養を、しっかりと補給せねば」
そうして、ミーアは英気を養うべく、さらなるケーキに向かって突撃を開始するのだった。
……ツッコミを入れる者は……残念ながら、いないのであった。




