第五十六話 ……状況は錯綜しているのだった
帝都ルナティアを目指して、馬車の一団が道を行く。周囲を護衛の兵に守られた馬車の数は二台。
一台目に乗るのは、ヤナとキリル、ベルとシュトリナの年少組だった。それに続き、ミーアとアベル、アンヌ、それにパティの乗った馬車が道を急いでいた。
「ふぅむ、帝都ルナティアまでは、まだ遠いですわね」
窓から外を眺めながら、ミーアは、ふぅっと、切なげなため息を吐いた。
本当であれば、聖夜祭で、美味しい料理を食べられたはずなのに……と思うと、気持ちも暗くなろうというものである。
「なにか、お飲みになりますか? ミーアさま」
そんなミーアに気遣わしげな声をかけるのは、アンヌだった。
「そうですわね。次の休憩でお茶にしましょうか……。疲れを癒すために、少々甘味の強いものがよろしいのではないかしら?」
などと注文を付けていると……。
「ところで、ミーア、聞いても構わないだろうか?」
正面に座るアベルが話しかけてきた。
「あら、なにかしら、アベル」
「ガヌドス港湾国のこと、どうするつもりなのか聞いておきたいと思ってね」
「ああ。そうですわね。当面すべきこととしては、オウラニアさんに協力して、奴隷状態におかれているヴァイサリアンを解放することですわね」
その前に、ガヌドス国王の暗殺を防ぐことというのがあるが……これを口にすると、いろいろと問題がありそうなので、とりあえず黙っておく。
――暗殺の現場に近づくなんて言ったら、きっと止められてしまいますし……。かといって、ディオンさんだけを送り込むのは、それはそれで恐ろしいですわ。やりすぎてしまいそうで……。
ということで、とりあえず、オウラニアの後ろでこっそりサポートするだけですよ、という体で言っておく。それから、ふと思い出したかのように、ミーアはポンっと手を叩いた。
「そういえば、レムノ王国は、その後、どのような様子ですの?」
その問いかけに、アベルは苦笑いを浮かべた。
「相変わらず、かな。革命騒動以降、民に過度な重税を課さぬよう、ドノヴァン伯ら良識的な政治家が頑張ってくれているが……。軍事偏重の考え方は変わっていないし、領土拡張の野心も相変わらずだね」
それから、彼は首を振って……。
「今回のガヌドス港湾国の件も、言い出したのがボクだったら、ラフィーナさまは支持してくださらなかったんじゃないかな?」
「まぁ! そんなことないと思いますけど……」
「いや、いいんだ。それに“相変わらず”ではないことだってある。例えば、兄さまのこととかね」
「あら……? ゲインお義兄さまが?」
無意識かつさりげなく、既成事実を作るミーアである。が、それに気付いた様子もなく、否、むしろ、それを自然に受け入れたような笑顔で、アベルは言った。
「ヴァレンティナ姉さまに、よく会いに行っているようなんだけどね。その影響からか、最近は、母や姉、それにメイドたちにも、あまり乱暴な態度を取らなくなったらしい。メイドたちが困惑しているようだったよ」
「まぁ、それは良いことですわね」
アベルの兄、ゲインと言えば、次なるレムノ王国の国王である。アベルの母国が、このまま平和に安定してくれれば、それに越したことはないわけで……。
――しかし、ヴァレンティナお義姉さまからの影響って、よくよく考えると蛇の巫女姫の影響ということかしら? あまり良いこととは思えませんけれど……。いえ、でも逆に、ゲイン王子が良い方向に行っているとするなら、ヴァレンティナお義姉さまのほうが変わりつつある、ということなのかしら?
ううむ……などと、思わず考え込むミーアであったが……。
「だが、いずれにせよ、レムノ王国がどうなっていくのかは未知数だ。良いほうに行ってくれればいいが、逆もありうる。ガヌドスも、同じようなことにならないか、心配ではあるんだ。当面の問題は先送りにされ、どちらに転ぶかわからない、そうなってしまうことがね。だから……ボクは思っている。ミーアが直接、統治したほうが確実なのではないか、と」
そうして、アベルが視線を向けてきた。考え事から、瞬時に思考を戻したミーアは……。
「ほほほ、そのような、めん……ぼくを潰すようなことを、すべきではないと、わたくしは考えますわ」
危うく、ペラペラーッと心の内を吐露しそうになって、ミーア慌てる。
――あっ、危なかったですわ。なんとか、誤魔化せたとは思いますけど……。
などと思いつつ、アベルの顔を窺う。と……。
「めんぼく……? それは、ガヌドス国王の面目を、つぶさないため……いや、違うな。むしろ国民の、か。そのために、ガヌドスの王族であるオウラニア姫を立てる、と?」
アベルの言葉を吟味するように頷き……生まれつつある流れに乗るようにして、ミーアは言った。
「ええ。そうですわ。王政府の非道は明らか。されど、大部分の国民は、おそらくそれを許容している。それを横から別の国の皇女がやってきて、とやかく言われるのは腹が立つでしょう? それ以前に、その地に住まう者のプライドを損なうことにも繋がると思いますの」
「そうなれば、いかに正しいことを言ったとしても素直に聞き入れてはもらえないか。確かに、その通りかもしれない」
アベルの言葉に、うむうむっと頷きつつ、ミーアはチラリとパティのほうを窺う。
――危うく、本音をポロリしてしまうところでしたわ。パティが見てますし、面倒くさいとか、不真面目なことは言えませんわ。ここは、気を抜かぬようにしませんと……。
なにしろ、きちんと、パティを教育しなければ、過去が大変なことになってしまうわけで……。気合を入れ直すミーアであった……が。
パティは、静かにミーアのほうを見て……。
――今、面倒くさいって言おうとした……。
瞬時に、ミーアの誤魔化しを看破していた!
そうなのだ……蛇に教育を施された彼女は、オウラニア以上に、他者の心情を読むことに長けているのだ。ゆえに彼女は、ミーアの心の内を正確に把握し、そしてっ!
――この適当さが、蛇と戦うためには必要なんだ。確かに、適当さは柔軟さにもつながるし、それに、時々、ランダムに真面目に考えたりもするから対策が立てづらい。まさに、蛇を相手にするのには最適な動き方……。さすがミーアお姉さま。
なんか、感心していた!
ミーアの、ちょっぴりアレな心根を読み取り、それでもなお、そこに教訓めいたものを見出してしまう……実はパティこそが最も重症なのかもしれなかった。
――さすがは、私の孫娘!
心の中でドヤァッとする親馬鹿……ではなく、祖母馬鹿なパティ(十歳)なのであった。
状況は……極めて錯綜しているのだった。