第五十五話 ミーア並み感
「どうかしたんですか? シオン殿下」
部屋に戻って早々に、キースウッドが尋ねてきた。
「どうかした、とは? なんのことだ、キースウッド」
「ほう、おとぼけになる? 例のガヌドス港湾国のことです」
やれやれ、と首を振りつつ、キースウッドが言った。
「本当に、ミーア姫殿下に、すべてお任せになるおつもりですか?」
「なんだ、不満か? てっきりお前は喜んでくれると思ったんだがな。いつも、気軽に危険地帯に突っ込んでいくな、と言っているから」
「それはそうなんですがね……。ただ、あの手のことを放置するというのは、あまりにもシオン殿下らしくはないと思ったものですから……」
キースウッドは頭をかきつつ言った。
シオン・ソール・サンクランド――自らの主は、あの手の民を踏みつけにするような非道を見過ごすような男ではない。
今回の場合は、ミーアが対処に当たるとのことだから、見過ごすことにはならないだろうが……さりとて、手をこまねいてなにもしないというのは、実にらしくない。
まして、エシャールのもとを訪れるというのも、それほど優先順位が高いことではなかったのだから、なおさらだ。
「てっきり、怒りに燃えて、先陣をきって乗り込むものとばかり……」
「ははは。さすがにそこまではやらないが……まぁ、そうだな。聞いた限りでは確実にガヌドス港湾国が悪いと俺も思うし、放置もできないだろう。少なくとも現地に行き、王を、国の上層部を問いただす必要はあるだろうな」
思案げな顔で答えるシオンに、キースウッドは……、
――まさか、シオン殿下の偽物なんじゃ!?
などと、ミーア並みの感想まで抱いてしまう始末。重症である。
――っと、ふざけている場合ではないな……。
一度、二度、咳払いをしてから、
「もしや、ミーア姫殿下のことが、まだ引っかかっているとか?」
あえて軽い口調で尋ねた。
彼の知る限り、あれは、シオンにとって初めての失恋だったはず。いや、そもそも、恋愛自体、彼の主はしたことがなかったはずなのだ。
もしかすると、あれが、自分の思っている以上の傷になっているのでは……? と、不意に心配になるキースウッドである。
色恋が、名君の目を曇らせるなどと言うことは、古今東西、どこの国にでも起こることなわけで……。
こんなことなら、俺が動いて、恋の一つや二つ、経験させておくべきだったか? なぁんてことまで考えだしてしまう苦労人、キースウッドである。
「ああ、なるほど。確かにそういう解釈もあるか」
シオンは、おかしそうに笑った。
「ミーアと共に行けば、彼女の政治手腕を見ることができる。ガヌドスに対して、どのように働きかけるのか、その叡智をそばで見ることができるし、何かしらの手助けもできるかもしれない。が、反面、フラれた女性から政治を学び、その手伝いをするのは複雑だろう、と……そんなところか?」
「ええ。まぁ、そんなところですが……。違いましたか?」
キースウッドのほうを見て、シオンは苦笑交じりに首を振る。
「そのほうが、人間らしい感情と言えるのかもしれないが……残念ながらそうじゃないんだ。可愛げがなくて、甚だ申し訳ないが……俺が考えてるのはもう少し冷めたことだ」
そうして、シオンは目を開ける。その瞳に宿る知的な輝きに、キースウッドは安堵のため息を吐く。
「なるほど。つまり、サンクランドの王族としての判断だと?」
「サンクランドの王族……というよりは、どちらかと言うと、蛇と戦う仲間としての判断、ということになるかな。サンクランドの王族であれば、キースウッドのイメージ通り、一番に行き、悪を正すべきだろう」
そこでシオンは言葉を止める。しばし黙考して後、
「これは、卑下して言うわけではないんだが、知恵働きならばミーアとルードヴィッヒ殿がいる。護衛にはディオン殿とアベルがいる。ならば、俺があえてミーアに同行する理由は、あまりないのではないか?」
ミーアが築いてきた家臣団は極めて優秀だ。アベルにしても、自身の命の懸けどころを見定め、メキメキと剣の腕を上げている。そうなると、シオンがすべきことというのは、確かにあまりないかもしれない。
「ふむ……つまり、遊兵に甘んじるつもりはない、と?」
「先陣切って敵に斬り込みたいという思いはないではない。非道が行われていることを知っても、怒りもせず、なにもせず、放置する……そのような者にはなりたくはない。だから、実際、盗賊団などが相手ならば、喜んで先陣をきるのだが……」
「いや、喜んで危険地帯に踏み込まないでくださいよ……」
などと言うキースウッドの苦言を華麗にスルーして、シオンは続ける。
「蛇と戦うには、そのやり方では駄目なのではないだろうか。もっと後方から、戦局全体を見渡すような……そんな視点が必要なのではないか、と、最近は思うようになってな」
「ああ。なるほど。それで、エシャール殿下のところ……。グリーンムーン公爵家、ですか。確かに、あの家は、帝国の外交に精通している。オウラニア姫殿下も、エメラルダ嬢の友人だった。となれば、当然、ガヌドスの情報も入ってきやすい。なにかあった時には即座に行動でき、なおかつ、最前線に立つミーア姫殿下とは別行動ができる、か」
顎を撫でながら、キースウッドは続ける。
「確かに、蛇は、神出鬼没。しかも、“堅固な城塞のある場所を、ただ一つの進軍路”と見誤る愚は冒さない。むしろ、ガヌドス港湾国に、最強戦力であるミーア姫殿下ご一行が行ったとすると、別の場所で騒動を巻き起こす可能性もある、と?」
「別の場所かどうかはわからないがな。ともかく、引いた目で、冷静に事態の全容を見る……そんなことをしてみたいと思ったんだ」
それから、シオンはわずかに表情を引き締めて……。
「アベルが、自らの道を見定めて、歩き出したんだ。俺も負けてはいられないだろう」
静かに、決意のこもった声で言うのだった。




