第五十一話 神の御旗を振りかざせ!
「ふーむ。ガヌドス港湾国に行くのは良いとして……。どういう大義名分を掲げていくのか、ですけれど……。これはなかなかに大変ですわね……」
その日の夜、ミーアは寝間着に着替えて、ベッドに横たわりながら、考え込んでいた。
ガヌドス国王の暗殺時期は、思いのほか近かった。
「移動の時間を考えると、すぐにでも動き出さなければ間に合わなくなりそうですわ」
まぁ、最悪、暗殺されたところに、オウラニアを伴って入って行って、混乱を治めるだけでも良いかもしれないが……。
「オウラニアさんの気持ちを慮れば、できれば、暗殺自体を防ぎたいですわ。それに、混乱が起きてから行くのでは、それを静めたわたくしの功績とやらが発生してしまい、やはり、例のアレが建ってしまうかもしれませんわ……それはできれば避けたいところ……」
ということで、基本線は暗殺を防ぐこと。その原因になりそうなことを潰すことだ。
ゴロゴロリン、と転がりながら、ミーアはつぶやく。
「しかし、となると、皇女専属近衛隊を動かすわけにはいきませんわね。平時の隣国に、軍隊を伴って行くのは不穏なこと。まぁ、幸いにも、一人いれば百人襲ってきても大丈夫、みたいな方がおりますから、護衛や暗殺を止めることはできるでしょうけれど……。彼を動かすためにも、ルードヴィッヒを動かすためにも、なにか大義名分が必要ですわね……さて、どうしたものかしら……むにゅ」
ぶつぶつ、深刻そうにつぶやきつつ、流れるように寝落ちしそうになっていたところで……コン、コン、コン……っとノックの音が響いた。
ハッと目を開け、身を起こす。
応対に出たアンヌの背中越しに見えた人物、暗い廊下に立っていたのは……。
「あら、オウラニアさん、なにか、ございましたの?」
オウラニア・ペルラ・ガヌドスが、思いつめたような顔で立っていた。
「ミーア師匠……夜分に申し訳ありませんー」
ぼんやりとした明かりに照らされたオウラニアは、真剣そのものの顔をミーアのほうに向けて……。
「ご相談したきことがございますー」
「相談……。そういうことでしたら……」
っと、ミーアは部屋の中に目を向ける。
「ふむ……」
部屋では、すでに、パティとベルが寝る準備をしていた。まだまだ寝るには早い時間だったが、子ども(……とミーア)は早寝早起きなのだ。
「ベル、申し訳ないのだけど、今夜はリーナさんのところで寝てもらえるかしら? それと、パティは、ヤナたちの部屋に行ってもらえる?」
てきぱきと人払いを済ませてから、ミーアは、改めてオウラニアを部屋に招いた。
「それで、相談というのは、なにかしら?」
ちょこん、と椅子に腰かけたオウラニアは、おずおずと口を開いた。
「ミーア師匠、昼間に言ってたじゃないですかー。ガヌドス港湾国にある問題に目を向けろ、と」
――はて? そんなこと言ったかしら……?
なぁんて、首を傾げそうになるも、グッと我慢! 踏みとどまる!
「ええ……。その通りですわ。問題があれば積極的に解決。そのために、きちんと問題がないか探すよう心掛けよ、と言いましたわ」
ミーアの言葉を吟味するように、オウラニアはそっと目を閉じて……。
「ガヌドス港湾国には、大きな問題がありますー。それは、正されるべき問題で―」
そこで、オウラニアは首を振って。
「ううんー、正されるべきとかじゃなくって……私は、それを、なんとかしたいと思ってるんですー」
はっきりと言った。
その瞳に宿る力強さに、ミーアは、思わず息を呑んだ。
「でもー、私一人ではどうにもできない。どうすればいいのか、わからないんですー。だから、ミーア師匠に聞きにきましたー」
「なるほど……。それで、その問題とは……?」
ゴクリ、と喉を鳴らすミーアに、オウラニアは一度、大きく息を吸って、吐いてから……。
「ガヌドスの問題、それはー、ヴァイサリアンの隔離地区ですー」
「隔離地区……?」
きょとん、と首を傾げるミーアに、オウラニアは話し始める。
「ご存知のように、ガヌドス内には、ヴァイサリアン族への差別意識があり、人々は、彼らを忌避していますー」
「ええ。そのようですわね。聞いておりますわ」
辛うじて知っていた情報だったので、ミーアは自信満々、若干、ドヤァッとしつつ頷いた。
「そんなヴァイサリアンの人々なのでー、国の一部の区画に隔離して、強制労働……奴隷労働を強いているんですー」
「奴隷労働……。まぁ、まだ、そんな制度が残っているんですの?」
帝国にもかつては、農奴と呼ばれる奴隷が存在してはいた。けれど、それは、ミーアの前の前の代、すなわち……。
――あら、そういえば、農奴の制度がなくなったのは、パティの世代なんですわね。気付きませんでしたけど……。
以降、奴隷は言葉だけの存在となった。
すべての人間を表す時、皇帝から奴隷まで、という言い回しを使うが、あくまでも、奴隷はそのような表現の中でのみ存在するものとなったのだが……。
「ガヌドスには、未だにその奴隷制度が残っていると?」
「無論、奴隷とは呼びませんが、実態は奴隷ですー。隔離地区に押し込めた彼らを、造船公社で、働かせているんですー。衣食住は保証するという名目ですけどー、給金はなく、移動の自由もないんですー」
ミーアは、深刻な顔で考え込む。
――なるほど。その扱いは、確かに奴隷扱いと言えますわね……。しかし、ふむ、これは……。
「私も、海賊なんだからー、閉じこめて働かせるのは、当たり前だと思ってましたー。ガヌドスの者たちは、誰もそのことを疑ってません。だけどー、でもー」
すっと目を逸らして、オウラニアは言う。
「……ヤナとキリル、あの子たちも、ヴァイサリアンだからー」
「ああ……。なるほど」
その言葉で、ミーアは納得する。
ただ言葉でだけ認識している存在と、実際に遊んだ存在……。
共に釣りをし、お風呂に入り、食卓をも囲んでしまえば、もはや、その者が奴隷に堕とされても良いとは思えない。
人間というのは、そういうものなのだ。
「あの子たちも、もしも、セントノエルに来られていなかったらー、あの場所に隔離されていたのかも、って。隔離地区にも、あの子たちと同じような子どもがいるのかもしれないって、思ったらー」
「ええ。気持ちはよくわかりましたわ。しかし……迫害されて、隔離されている少数部族……。虐げられている民、ですのね……」
腕組みし、ミーアは、ふむーむ、と唸る。
「それは……なかなか、使える状況じゃないかしら?」
ミーア、思わず、腕組みして唸る。
「なにか、言いましたかー? ミーア師匠?」
「いえ……」
っと、首を振りつつも、ミーアは考える。
――これは、なんだか、いけそうな気がしますわね。
なぜなら、実績があったからだ。
オウラニアが口にした事実、それは、それこそが……前の時間軸、ティアムーンが攻められた理屈であった。
民を安んじて治めよという……神より課せられた義務を果たさぬ王族を、咎めるという大義名分。
――あれは、どの国にも認められ得る……完全無欠の大義名分でしたわ。それを用いれば、ルードヴィッヒやディオンさんも否とは言わないはず……。であれば……。
そうして、ミーアは静かに顔を上げて、
「ガヌドスへの道が、開かれた感じがしますわね……」
確信に満ちた声で言うのだった。