第四十八話 ミーア姫、ベルに苦言を呈す
釣り大会の日、ミーアの弟子一号に立候補したオウラニアは、それ以来、ミーアのもとに通っては、教えを請うて来た。
その日、七日に一度のミサの後、聖堂から出ようとしていたミーアは、オウラニアから声をかけられた。
「師匠ー、こんにちはー」
「あら……オウラニアさん。ご機嫌よう」
挨拶しつつ、ミーアは若干引きつった笑みを浮かべる。
これは、まずいところで会ったぞう……などと、背中に冷たい汗が流れる。
なぜか……理由はとても簡単で。すなわち!
「ミーア師匠、今日はどんなことを教えていただけますかー?」
「そ、そうですわね。ええと……」
そう、ネタ切れ、である。
ご承知のこととは思うが、ミーアには枯れることのない叡智の泉などというものは搭載されていない。どちらかと言うと、その知能はややペラいというか、なんというか……。ともかく、教えられるストックはそれほど多くはないわけで……。
さりとて、適当なことも言えない。もしヘタなことを言ってしまったら、
「ミーア師匠が言ったからー、こうしてるだけでー」
などと、ミーアが知らないところで言われる可能性だってあるわけで……。
それは、絶対に避けたいミーアである。
それに、よくよく考えれば……ミーアとしては、隣国は安定していてほしいのだ。
隣の国で革命の火が燃え上がった時、ティアムーンにも燃え移らないとも限らない。否、むしろ、蛇の連中は、そういう状況が訪れれば、嬉々として、油を注ぐような者たちではないか。
ということで、ミーアは自身の経験に基づき、断頭台を遠ざけるための心得を、オウラニアに伝授していた。
「いいですこと? オウラニアさん。悪いことをするのは、もちろん罪ですけれど……我ら民の上に立つ者はすべきことをしないことも、また罪なのです」
ミーアは、静海の森での出来事を思い出しつつ、続ける。
「問題があれば、積極的に解決。これこそが大事ですわ」
積極的に遠ざからなければ、嬉々として駆け寄ってくるのが断頭台というものなのだ。
「それに、気付かなかったというのも、言い訳にならないことが多いですわ。ですから、不幸に繋がりそうな問題は、できる限り見つけられるよう感度を良くしておいて……」
「国の……気付かないふりをしている問題、ですかー」
と、そこで、オウラニアがとても難しい顔をしていることに、ミーアは気付いた。
「どうかなさいましたの?」
「ああ……いえ、なんでもありませんー。それでは、師匠、私はこれでー」
そうして去っていくオウラニアを見送り、ミーアは自室へと入っていく。
「あっ、おかえりなさい。ミーアさま。今、お茶をご用意いたしますね」
ベッドメイキングをしていたと思しきアンヌが、素早くお茶とお茶菓子の用意を始める。
「ああ、助かりますわ。アンヌ。今、ちょうどオウラニアさんとお話をして、頭を使ってしまいましたから……」
さすがは、我が専属メイド、気が利きますわ! などと思っていたミーアは知らない。
アンヌが、あまりミーアが食べ過ぎないよう、今日はちょっぴり甘さ控えめの野菜ケーキを用意していることなど。
本当の意味で気が利くメイド、アンヌなのであった。
っと、そこで……。
「ただいま戻りましたー」
元気よく声をあげて入ってきたのは、ベルだった。
「あら、ベル、帰ってきましたのね」
「はい。これから、準備して、特別初等部の子どもたちに冒険の何たるかを語り聞かせる時間を持とうと……」
このところ、ベルは、特別初等部にできた舎弟たちを率いて、いろいろ遊んでいるらしい。
――人徳はあるようですけど……ふーむ。ちゃんと勉強してるのかしら……?
孫娘の将来を密かに心配するミーアお祖母ちゃんなのである。
「あ、そう言えば、ベル。オウラニアさんを味方につけたことで、未来が変わったとか、そういうことはあるのかしら?」
「…………へ?」
きょっとーんと首を傾げるベルに、ミーアはジトッとした目を向ける。
「一応、聞いておきますけれど、きちんとルードヴィッヒの日記帳のチェックはしてますわよね?」
「……はぇ、い! もちろんですよ? 当たり前じゃないですか? 毎日、隅々までよーく読んでます。ボクは帝国の叡智の血を引く者ですから……」
ベルの返事を聞いたミーアは、確信する。
これは、まったくチェックしてないっぽいですわ! っと。
「まったく……きちんと注意してないと、あなたの知っている未来からますますかけ離れた未来になっていってしまいますわよ? とりあえず、今の時点でどんなことになってるのか、読み直してみなさい」
指を振り振り、まっとうなお説教をするミーアである。
相対的に見て、ミーアのほうがまともなことを言っているというこの状況……帝国の未来に少々の不安を感じないでもなかったが……。
「はい。わかりました……」
ベルが素直に頷き、ルードヴィッヒ日記を取り出したところで、ミーアはふと気になっていたことを聞いてみる。
「ちなみに、ベル。あなたがいた未来では、ガヌドス港湾国はどうなっておりますの?」
「どう、とは……どういう意味ですか?」
「良好なのか、もめているのか、とか。そういったことですわ」
「あー、はい。普通に国交を保っていたと思います……たぶん」
微妙に歯切れの悪いベルに、ミーアは思わずため息を吐く。
「あ、もちろん、ものすごく敵対的だとか、そういうことなら、さすがにボクも覚えてると思いますから、敵対していたとしても、裏で目立たないようにだと思います。ルードヴィッヒ先生も何も言ってませんでしたし……あれ? 言ってなかったよね?」
などとブツブツつぶやきつつ、ベルがルードヴィッヒ日記を開き、そこに目を落として……。
「あっ!」
ビックリした様子で、声を上げた。
「たっ、大変です。ミーアお祖母さま」
「なんですの? 藪から棒に。貴婦人がそのような声を出すのは、はしたないですわよ?」
時折、「おふぅ」っとか、「いよーっこいしょー」などと言う、ちょっぴり変わった声を出す奇婦人ミーアが言う。
が、ツッコミはさておき、ベルは大慌てで言った。
「それどころじゃありません。ミーアお祖母さま! ガヌドス港湾国が……滅亡します!」
「はぇ……?」
事態は、再び動き出そうとしていた。




