第四十六話 オウラニアの胸に深々と刺さる!
オウラニアは……混乱の渦中にあった。
今日一日の出来事は、彼女の価値観を揺るがすものだったからだ。
――まさか、ミーア姫殿下にそんな深い考えがあったなんてー。
ラフィーナの口から語られる数々のミーアの偉業。
そして、今回の釣り大会に隠されていた意義……。
――魚の養殖だなんて……。しかも、それをきちんと各国に導入させる方法まで考えてるなんて……。なーんにも、考えてなさそうな顔をしているのにー? ぜんっぜん、そーんなふうには見えなかったわー。
驚きは大きかったが……けれど、同時に納得感もあった。
なぜなら、オウラニアはすでに経験していたから……。
自分の観察眼、そして、常識がアテにならないということを……。
すぅっと視線を向けた先、体を洗い終えたヤナが、遠慮がちに、お湯に浸かっていた。
その額に見えるのは、恐ろしい海賊の証、『目』の刺青。けれど……。
――注意して見るまでもないわー。あの子が、そんな恐ろしい海賊のはずないじゃないー。
釣りの仕方を知らない海賊がいるわけがない。
エサをおっかなびっくりつけるような海賊がいるわけがない。
泳げない海賊がいるわけがない。
溺れた弟を助けた相手に、自分にお説教をした相手に、素直に頭を下げてお礼を言える子どもが、海賊のはずがない。
オウラニアは、そこで、改めて気付かされた。
――ああー、私、なーんにも、見えてなかったんだー。ミーア姫のことも、なにもかもー。
改めて、ミーアのほうを見る。
ほんのりと、白く立ち上る湯気、その向こう側、腕組みして、微かに眉間にしわを寄せつつ、瞳を閉じているミーアは……なんだか、ちょっぴり威厳があるように見えてしまって……。
もしかしてミーア姫って他愛ない、ちょっぴりお馬鹿さんなんじゃ? なぁんて、疑いすら持っていたオウラニアにとって、それは、大きな衝撃で……。
――そうだー、私が持っている価値観なんて、こーんなにも簡単に覆ってしまうんだ。それなら……。
だからこそ、オウラニアは聞いてみたかった。
「どうして、ミーア姫殿下は、民のためにこんなに頑張っているんですかー?」
父の期待に応えるためだろうか? それとも母の期待に、だろうか?
周りの人たちの? 友の? 家臣の?
大切な人の期待に、応えるためだろうか……?
されど、オウラニアの予想は、見事に裏切られる。
ミーアは言った。
「もちろん、わたくし自身のため、ですわ」
と。
「え……? ミーア姫殿下、自身のため?」
オウラニアは、思わず息を呑みつつも、問い返す。
――それってー、自分自身の矜持にかけて、とか、そういうことなのかしらー? それとも、まさか、なにか自分勝手な事情があるとかー?
ミーアの顔を見たオウラニアは、すぐさま、その答えを得る。
ミーアは、微塵も恥ずかしげのない、堂々たる様子で頷いてみせたから……。その威風堂々たる態度に、オウラニアは、ミーアの答えが前者であるということ……すなわち、答えは「自分の矜持のためである」と確信する……ついにしちゃった!
さらに、続く言葉がオウラニアの確信を、より強固なものにする。
「願わくば帝国の姫としての歩みを、その姫に相応しい歩みを続けていきたいと、そう思っておりますの。そのために、わたくしは頑張っておりますわ」
帝国の姫に相応しい歩み……帝国の姫の名に恥じぬ歩み……。そのために頑張っているのだ、と……。
オウラニアは……思わず、ミーアに見惚れる。
一切の気負いもなく……ほんのわずかな気恥ずかしさのみを見せつつ、言い切ったミーア姫に。
――どうして……そんなふうに考えられるのー?
オウラニアの疑問は、言葉の形を取らなかったが……それにさえ、ミーアは答えてみせた。
「せっかく、一国の皇女に生まれたのですもの。姫としてできることを模索し、やらなければもったいないですわ」
せっかく、皇女に生まれたのだから……。
せっかく、民の上に立つ者として、いろいろなことができるのだから……。
弱き者に手を差し伸べ、助ける力を持っているのだから……。それをやらないのは、もったいない、と……。ミーアは言うのだ。
「誰に褒められるためでもなく、わたくし自身のためですわ。他者の評価など、些細なことですわ」
「他者の評価……。ああー、そうかー」
その言葉は、深く……ふかーく! オウラニアの心に突き刺さる。突き刺さってしまう。
かつて……母の期待を受けて、立派な王女になろうとした少女がいた。
かつて……父の無関心によって、立派な王女になろうという志を折られた少女がいた。
そんな少女の成れの果てであったオウラニアに、ミーアは言うのだ。
「他人の評価など関係ない!」っと!
「自分の誇りのためである!」っと!
――私なんか、この世界にいてもいなくっても、同じだと思ってたのにー……。お父さまにもお母さまにも必要とされない、私の居場所なんかないって……役割なんかなにもないって思ってたのにー。
先ほど、船の上で、ミーアは言っていた。
オウラニアの手を取って、
「あなたのような方が、この場所にいてくれてよかった」と。
あの時、確かにオウラニアは、キリルの命を救う、その役割を担った。そして、その役割は誰から与えられたのでもなく……。
――私自身が、しなきゃって思って、やったんだ。
そして、それを目の前のミーアは認めてくれたのだ。
「あなたがいてくれて良かった」と。
オウラニアは思う。もしも、自分に役割がないと思うなら、それは、そのように生きてきたからに過ぎないんだ、と。
なぜなら、それは、誰かが与えてくれるものじゃないから……。
なぜなら、それは、自分で踏み出して、見出だしていくものだから……。
そして、無意識に踏み出した一歩を、目の前のミーアはきちんと見て、評価してくれたのだ。
――あー、そうか……。これが、帝国の叡智……。お父さまが畏怖して、エメラルダお姉さまが、慕う人……。
オウラニアは、改めてミーアのほうを見て……。
――私も、自分に恥じない生き方がしたい。姫に相応しい生き方を、してみたいわー。
幸い、そのお手本が、まさに今、目の前にいる。ならば、踏み出すべき一歩目は、すでに決まっていて……。
――自分に恥じない選択を、後悔のない選択をしなくっちゃいけないわー。
そうして、オウラニアは静かに口を開いた。
「ミーア姫殿下……いえ……」
一度、言葉を切って、大きく息を吸ってから、オウラニアは言った。
「我が師……。ミーアさまー……私に、姫としてー、生きる道を教えていただけないでしょうかー?」
ミーアは、ビックリした顔で、瞳を瞬かせていた。