第四十二話 ミーア姫、成長する
さて……風呂好きミーアが、浴槽に行かず、パティの背中を流してあげているのには、わけがあった。
それはもちろん、今のうちにお祖母ちゃん孝行しておこう! などという殊勝な心掛けではなく……ヤナへのフォローをするためだ。
――弟を危険に晒した者と思われては、後の禍根にもなりかねませんし。
客観的に見て、ヤナは、取るに足りない子どもだ。仮に、ミーアに恨みを抱いたところで、さほどの脅威とは思えない……というのは、大きな誤りだ。
ミーアは決して、その恨みを軽視しない。なぜなら、ミーアは、ルールー族という取るに足らない小部族の恨みで、痛い目を見ているからだ。
――帝国末期の帝国軍によって壊滅させられたルールー族。そのわずかな生き残りがああも恐ろしいものに変貌した……。というか、リオラさん一人だって、恨みに駆られた姿は恐ろしいものでしたわ……。わたくしの安眠のためにも、ヤナにはしっかりとフォローをしておかなければ……。
かといって、いくらなんでも平民の子どもであるヤナの頭を洗ってあげるのは不自然。というか、さすがにわざとらしい。
ゆえにこそ、ヤナの隣に座るパティに目を付けたミーアなのである。
ミーアなりに、しっかりと間合いを読んだのだ。
「キリルが無事に助け出されて、本当に良かったですわ」
ミーアは、なにげないふうを装って、ヤナに話しかける。キリルのことを心配しているアピールをすることで、「姫さまは、我々、一平民のことなんか、そこらの雑草と同じに思っているに違いない」などと言われないようにするのだ。
アンヌに背中を洗ってもらっていたヤナは、恥ずかしそうに、こくり、と頷き……。
「申し訳ありません。キリルが落ちたから……釣り大会が台無しに……」
「なにを言っておりますの? そんなことまったくありませんわ。途中までは楽しかったですし、あなたは違いますの?」
そう尋ねてから、ヤナの立場では肯定しづらいかも、と即座に判断。
「パティは楽しかったですわよね?」
っとすかさずパティに話を振っておく。
「はい。とても楽しかったです。ミーアお姉さま」
心得たもので、パティはすぐに淀みなく返事をしてくれた。
「きっとほかの子どもたちだって楽しかったはずですわ。だから、あなたもキリルも、落ちたこと自体は気にしないで。それ抜きにしても、楽しくなかったんなら、申し訳なかったですけど……」
と言うと、ヤナはもう一度、ぶんぶん、っと首を振り、そして……。
「楽しかったです。釣り、したことなかったから……」
それから、ヤナは少しだけ、考えてから……。
「ここに来てからは……ずっと楽しいです。楽しいって思える、余裕があります。前は、生きていくだけで精いっぱいだったけど、今は……。キリルもよく笑うようになりました」
「そう。それならば、今日のことも、罪悪感ではなく、楽しい思い出として記憶してもらえれば嬉しいですわ。ちょっとしたアクシデントも、振り返ってみれば、楽しい思い出……と、そのぐらいに思っていただければ……」
「ミーアさま……」
こちらに目を向けてきたヤナに、ニッコリと笑みを浮かべて、
「ああ。それと、くれぐれもキリルを叱ってはいけませんわよ? 危ないことをしたことについては、しっかりと注意するべきですけれど……。わたくしが釣り上げた魚を思ってのことですし、むしろ、わたくしはお礼を言うべきだと思っておりますわ」
そうして、じっくりとフォローをした後、ミーアは立ち上がる。
「さて、それじゃあ、わたくしもお湯に……ん? あら……? あれは……」
浴槽のほうに目を向けた時、ミーアの嗅覚が敏感に、新たな危機を察知する。
ラフィーナとクロエがオウラニアと話している光景、そこに、何やらきな臭さを覚えたのだ。
(いい湯)下弦の海月ミーアにとって、浴場は自らの縄張り。勘が働きやすくなるのだ。
すすす、っと音もなく、そちらへ近づいていく……っと。目ざとくミーアを見つけたラフィーナが声をかけてきた。
「ああ、ミーアさん。ちょうど良かったわ」
お湯に温められて、ほんのりと赤く染まった頬、その顔に穏やかな笑みを浮かべて……。
「そろそろ、ミーアさんが、この前から考えていることを聞きたいと思っていたところなの」
ラフィーナは、静かに言った。それから、火照った体を冷ますように、お湯から上がって、浴槽の縁に腰かける。
……どうやら、ラフィーナはそれなりの長期戦を想定しているようである、のだが……。
――はて? わたくしの、考えていること……?
無論、ミーアには思い当たるものはなにもない。なんのことやら、といったところである。
今まで、今日の不祥事の責任を追及されないことで、その小さな頭はいっぱいいっぱいだったのだ。
けれど、そこはそれ、数多の危機を乗り越えてきたミーアである。
傾げかけた首をぐるん、と回し、首の体操をした風を装いつつ……。
「なるほど、そういうことですのね……」
っと、小さく頷く。
オウラニアが、なにやら、疑わしげな目を向けてきている気がしたので、あえて、そちらに目を向けることなく、ミーアはお湯の中に身を沈める。
とりあえず、お湯を味わうふりをして……考える。考え、考え、考える!
そうして、しばしの黙考の後、ミーアは静かに目を開き……言った!
「ええ。そうですわね……、それでは、この場で……答え合わせをしましょうか」
そこで再び目を閉じ、腕組みし、ラフィーナらの見解を聞く構えを取る。
そうなのだ、ミーアとて生徒会長として、幾多の会議を経て、成長しているのだ。
イエスマンに徹さんとするその際の言葉遣いと語彙については、かなりの成長を見せるミーアなのであった。
「うふふ、そうね。私たちの出した答えが合っていればいいのだけど……」
そんなミーアの言葉を聞いてラフィーナは、嬉しそうに頷いた。