第八十三話 無下に扱ってはいけないもの
領都についた際、ミーアはやり切ったという心地よい疲労感をおぼえていた。
――ああ、ベッド、ベッドが恋しいですわ。
もちろん、今すぐに寝るわけにはいかないのだが。
ミーアはとりあえず、ディオン他、三名に森でのことを黙っておくように、言い含めておく。
――さすがに、ただの木に八つ当たりしたなんて、言いふらされたらたまりませんわ。
周囲の者は誰も意外には思わなかったのだが、ミーア的には、あの行動は割と恥ずかしいものだった。木につまづいて、八つ当たりした挙句に矢で射られるなんて、恥ずかしいにもほどがある、とミーアは感じたのだ。
妙なところに、羞恥のポイントがあるミーアである。
そうして、子爵邸についたミーアは、即座に、ベルマン子爵に呼び出しを受ける。
本来、皇女たるミーアは、そんなものを聞く必要もないのだが、今回はミーアの側でも彼に言っておくことがあったので、素直に応じることにしたのだ。
「姫殿下、なんということをしてくださったんですか。このようなことをされて、もし現場に混乱があったら……」
「あら、では子爵はわたくしの護衛が、ものの数人でいいと、そうおっしゃいますの? あなたが言う危険地帯から帰ってくるのに、近衛二人の護衛で十分であると?」
「う……、い、いえ、決してそのようなことは……。ですが、そもそも勝手にあのような危険な場所に行かれては、我々としても困ってしまうと言いますか……」
「帝国の土地はあまねく、我ら帝室の土地。皇帝の娘たるわたくしが行きたいと願えば、行けない場所はなく、妨げる者もない。そうではなくって?」
実に、様になっている高慢かつ身勝手な言い分である。
それもそのはず、前の時間軸において、ミーアは大体、こんな感じの理屈で動いていたのだ。
――ああ、昔を思い出して、なんだか、すごく爽快な気分ですわ!
久しぶりの本領発揮に、ミーアの顔はつやつや輝いていた。
「ああ、それと、あの土地のことで、お父さまに相談したきことができましたので、しばし、木々の伐採や軍を動かすことを控えていただきますわ」
「馬鹿なっ! あ、ああ、いえ、ですが、それはいささか危険に過ぎます。軍の派遣なくして、いかにしてやつらの暴虐を防げというのですか?」
「あら? 領都の守りさえ固めておけばよろしいのではなくって? 近隣の村など捨て置いても何も問題はないでしょう?」
きょとん、と首を傾げるミーア。顔に浮かぶのは、小悪魔じみた意地の悪い笑みである。
ミーアが口にしているのは、普段であれば、子爵自身が考えていることだった。と同時に、一般的に貴族が持っている価値観でもある。
それを覆してしまうと、何かしらの“特別な思惑”を持ってることが露見しかねない以上、ベルマンは黙る以外になかった。
「では、そういうことなので、よろしくお願いしますわね」
半ズボンの裾を、ちょこんと持ち上げて、慇懃無礼な礼をしてから、ミーアは子爵の部屋を出た。
そうして、もろもろの後始末を終えて、子爵邸の貴賓室についた時、ミーアは重大なことを知らされた。
「あれ? ミーア様、髪飾りはどうしたんですか?」
着替えを手伝ってもらっていたアンヌにそう問われ、ミーアは慌てて自分の頭に手をやった。
「あら? ホントですわ……。変ですわね」
領都に帰って以降、着替えるのはこれが初めてだ。
前線の駐屯地でもそんな機会はなかったし、髪飾りを取った記憶もない。
小さく首を傾げつつ、記憶を整理したミーアは、次の瞬間、すぅっと青くなった。
――あの時、あの弓矢で狙われた時に、落としたんですわ……。
あるいは、木につまずいた時かもしれないが、いずれにしても、あの森の中にあるのは間違いなさそうだった。
――まっ、ままま、まずい、まずいですわっ!
ミーアは、焦った。
ここで起こるはずの紛争は、おおむね止められたという実感はあった。けれど、あの髪飾りは森に由来の物である……。
紛争に関係の深いもの、と言えるだろう。
そんなものを落としてしまうのは、なんとも不吉なことだった。
ちょっとしたきっかけで紛争が起こってしまい、革命に飛び火する可能性がある。
そして、ギロチン……、首コロコロ…………。
――そっ、そんなのは……、ごめんですわ!
それに、もう一つ、あの髪飾りを取り戻したい理由があった。
それは、あれをくれた子どものため。
ただのプレゼントであれば、さほど気にはしないのだが、あれが母親の形見だった、と聞かされると、さすがのミーアも落ち着かない。
せっかく大事なものをプレゼントしたのに、それを無くしたなどと聞いたら、きっとあの子は悲しむに違いない。
怒りも買いたくはないが、ガッカリされたり、悲しそうにされたりするのは、なんだか嫌なミーアである。
――好意を無下に扱って、いいことなんか一つもございませんわ。
そうなると、ミーアがすべきことは一つである。
「取りもどしに戻らなければ、いけませんわ」
「どうかなさいましたか? ミーア様?」
「アンヌ、すまないのだけど、ルードヴィッヒを呼んでもらえるかしら」