第四十一話 ……かげんの海月、ミーア姫
港に到着した一行は、そのままそこで解散になった。
サンテリらは、他の釣り場の様子を見るために散っていき、隊長ベルを筆頭に特別初等部の子どもたちは、焼き魚料理体験授業へと移行する。
随伴するのは、シュトリナはもちろんのこと、熾火での焼き料理には定評があるリオラや、みじん切りには定評があるティオーナ。さらに、無言でキースウッドが付き従う。
アベルとシオンも、どうやら、そちらに参加するらしい。
一方で、湖に落ちたキリルとオウラニアは体を温めるべく、学園の大浴場へと連行された。こちらは、キリルの付き添いとしてユリウス先生が。そして、オウラニアのほうには、ミーアとアンヌ、ラフィーナ、クロエ。
さらには、キリルを待つ間のついでということで、ヤナとパティが同行することになった。
一通り体を洗い流してから、オウラニアは湯の中に身を浸ける。じんわりと湯の熱さが肌にしみこんできて……思わず、ふぅっと吐息が漏れた。
――思ってたよりも、体が冷えてたみたいねー。
暑さが残っているとはいえ、今は秋だ。泳ぐには、当然、気温が低いわけで……。
ほんのりと顔を赤くしながら、はぁ、っと息を吐く姿は、ちょっぴり色っぽくって。
誰とは言わないが「おふぅっ!」などとアレな吐息を零すどこかの姫君とは大違いであった。同じ姫殿下なのに、大きな違いであった。まぁ、誰と比べてとは言わないが。
――あーあ、魚釣りの大会なのに、ぜーんぜん、楽しくなかったわー。
お湯の中、ぼんやーりと天井を眺めながら、オウラニアは思う。
――というかー、どうして、私が、海賊の子どもなんか助けなきゃいけなかったのかしらー?
今、考えてもまるでわからない。どうして、自分があんなことをしなければならなかったのか……。いや、どうして、あんなことをしてしまったのか……。
「うーん……」
オウラニアは膝を抱え、丸まるようにしてお湯に浸かる。顔の半分までお湯に沈めて、ブクブクと泡を吐きながら、ムーっと唸り声を上げる。
頭に響くは、先ほどの言葉……。
『オウラニアさん、あなたがいてくれて、良かったですわ』
『キリルは、あたしの唯一の家族なんです。だから、本当に、ありがとうございました』
ミーアの言葉と、ヤナの、素直で真っ直ぐなお礼……それを思い出すたびに、なんだか……。
バシャバシャとお湯を顔にかけて、オウラニアは、再びため息。
――あーあ、やっぱり、ミーア姫殿下に近づくんじゃなかったわー。
その要注意人物ことミーアは、今、ちょうど頭を洗っていた。しかも、自分のじゃなく、特別初等部の少女のを、である。確か、パティとかいう名前だっただろうか……。
――ミーア姫殿下にどこか似てるけど、親族の子かしらー。それにしたって、お姫さまなのに洗ってあげるなんて、変なのー。
ミーアのそばでは、あの、ヴァイサリアンの少女、ヤナが、ミーアのお付きのメイドに頭を洗ってもらっていた。ギュッと目を閉じ、体を固まらせるヤナに、やっぱりオウラニアは首を傾げる。
――水が嫌いなんて、あの子も、やっぱり変だわー。海賊のくせにー。というか、あの子の弟も情けない。泳げないし、釣りだってできない。あんなんじゃ、生きていけないじゃないの。
船を使い、各地の港を襲い、人々を攫って行く。それこそが恐ろしい三つ目の海賊ではないか。それなのに泳げなかったら、船から落ちただけで死んでしまう。いったい、あの子たちはどうやって生きていくつもりなのだろう、と少し心配になりかけたところで、オウラニアは、首を振った。
――って、そんなの私には関係ない話だったわー。どうでもいいわ。うん。ともかく、釣りだけしていたかったのに、こんなの、ぜんっぜん、楽しくない、楽しくない、楽しくない!!
確認するように……あるいは、自分に言い聞かせるように、つぶやく。
そう、楽しくない……そのはずなのだ。まったくもって楽しくなんかなかったはず……なのに……だというのに……。なぜだろう……?
その胸にあるのは、満ち足りた感覚だった。
体験したことがないような……いや、でも、遠い昔に感じたことがあるような……どこか懐かしい充足感……。
その正体がなにか、と考え込んだ、その時だった。
「オウラニア姫殿下、少し、よろしいかしら?」
見上げると、そこに立っていたのは、ラフィーナ・オルカ・ヴェールガであった。
聖女ラフィーナは涼やかな笑みを浮かべたまま、オウラニアの隣に身を沈める。
「ええとー」
「少しお話をしようと思ったのだけど、構わないかしら?」
――あんまり、気は進まないんだけどー。
なにしろ、相手はミーアの親友を公言してはばからない人である。
できれば、あまりお近づきになりたくはなかったが……。
無意識に体を離しかけたオウラニアであったが……反対側には、いつの間にやら、クロエが座っていた。
お風呂の中だというのに、眼鏡をかけたままだったため、そのレンズは思いっきり曇っている。それを、お湯に浸けて湯気を取ってから……、改めてクロエが見つめてきた。
――あら、これってー。
オウラニアは、知らなかった。
水の上が、ガヌドスの姫君たるオウラニアのテリトリーとするならば、この大浴場が誰のテリトリーなのか……。
この大浴場こそが、(いい湯)下弦の海月ことミーアの絶対的縄張りであることなど……オウラニアは知る由もないのであった。