第四十話 いい話風にまとめると……
キリルの落下と後を追うようにして湖に飛び込んだオウラニア。
事態の急転に、ミーアは目をぐるぐるさせるばかりだった。
――こ、これは、どど、どうすれば……。あっ、そうですわ。ヌシを釣り上げかけたわたくしの腕前を持って、キリルとオウラニアさんを釣り上げれば……。
などと、間違っているような、でも、微妙に間違っていないような? ことさえ考えてしまうミーアである。
一方で、
「だっ、だめ。ヤナちゃんまで、溺れちゃいますよ」
慌てた声。視線を向ければ、そこには、ヤナを後ろから抱いて止めるアンヌの姿があった。
さらに、別の場所では……。
「王子殿下は、どうかこちらでお待ちを。上から引き上げてください」
素早く、男子勢に指示を与え、華麗に飛び込んだのは、釣り師サンテリ・バンドラーである。
オウラニアとキリルのもとにすぐさま飛び込んでいく勇ましき湖の男の姿が、そこにあった……のだが……? そもそも、彼は、釣り師だっただろうか……? なにかもっと、重要な仕事に就いていたような気がしないではないのだが……。
ともかく、サンテリと船の船員が湖に飛び込んでいく。
っと、そこで、キリルを抱きかかえたオウラニアが、水面に浮上した。
少し流されたのか、船からやや離れた場所だった。
キリルの頭を自分の左肩の上に乗せるようにして抱きかかえ、背浮きのまま、こちらに近づいてくる。
その横にサンテリらが近づいていき、サポートしていく。
さらに彼らを、船上からアベルとシオン、キースウッドが引き上げる体制を整えていた。
一方で、令嬢たちは、その様を固唾を飲んで見守っていた。
手伝えそうなことはなにもなかった。なにしろ、貴族のご令嬢というのは、基本的にそこまで泳げないわけで……。
かつて、人魚姫の肖像画のモデルにもなったラフィーナにしても、仮想仮装させられただけで、別に泳ぎが得意というわけではない。むしろ、水浴びぐらいしかしたことがないので、泳げない疑いが強い。
なんと、ご令嬢たちの中で泳げそうなのは、下弦の海月ミーアぐらいのものだった。ミーア万能説なる珍説が生まれてしまいかねない事態である。
そうこうしているうちに、オウラニアとキリルが船の上にあがってきた。
けほ、けほっと小さく咳き込み、水を吐いているキリルだったが、意識はあるらしく、どうやら無事のようだった。
一方で、オウラニアも、はぁはぁ、と息を切らしているが、こちらも問題なさそうだった。
ふぅー、っと安堵のため息を吐くミーアである。
「これを……」
っと、素早くティオーナとリオラが拭き布を持ってくる。それで水を拭いながら、オウラニアがキリルのほうを睨んだ。
「泳げないのに、あんなふうに船から身を乗り出したらダメよー。今日は温かかったからまだよかったけど、もっと寒い日なら体が固まって動けなくなってしまうんだからー」
ちょっぴり厳しめの注意をしてから、今度はヤナのほうに目を向ける。
「あなたもよー。海賊のくせに水場での振る舞い方がなってないわー。弟から注意を逸らすなんて、言語道断なんだからー。もっと気をつけなさい!」
ぴしゃり、と怒気のこもった声で言う。
「ごっ、ごめんなさい……」
ヤナが、首をすくませて、頭を下げた。
熟練の釣り師による、釣り初心者へのお説教には、実にまっとうな説得力があった。
――ふむ、正論ですわね。姉には、幼い妹弟の面倒を見る責任というものはあるのでしょうし、注意を怠れば大変なことになる……うん? 責任……?
ふと、そこで、ミーアの頭に冷静さが戻ってきた。
つい先ほどまでは、キリルが落ちたことで、それを助けることだけで頭がいっぱいになっていたが……彼が船の上に引き上げられたことで、思考する余裕が出てきたのだ。
そうして、ミーアは考える。
被害が出なかった、誰の命も損なわれなかったから問題ない……はたして、本当にそうだろうか?
子どもが湖に落ちて、それを助けるために一国の姫君が水に飛び込んだのだ……。
そこに、本当に問題はなかっただろうか……?
無論、言うまでもなく、そんなことはない。責任問題は生じるのだ。
では、それは、誰の責任か……?
今回の準備を整え、なおかつ危険な釣り場に案内したサンテリの責任はあるだろうが、大本を正せば、この釣り大会の主催を主導した……。
――あら、もしや、これって、巡り巡ってわたくしのせいにされるやつなんじゃ……?
そのことに気付いた瞬間、ミーアの背中に冷たい汗が流れる。
セントノエルで、危険な水難事故を起こしかけた責任、それを追求されたらどうなるか……。まして、飛び込み、体を張ったのは、ミーアとはあまり友好関係にないオウラニアである。追及される可能性は極めて高い!
――ふむ、これは、先手を打つべきですわね。
刹那の決断、ミーアは即座に動き出す。
ヤナのほうを見て、まだ、プリプリお説教をしているオウラニアの手をそっと握って……。
「オウラニアさん、あなたがいてくれて、良かったですわ」
ミーアは、静かに、穏やかに言った。
「え……?」
驚くオウラニアの、その瞳を真っ直ぐに見つめて、ミーアは続ける。
「あなたがいなければ、キリルが溺れて大変なことになっていたかもしれませんわ。姫の身でありながら、躊躇なく飛び込み、無垢なる子どもを助けるその思いやり、わたくし感動いたしましたわ。泳げて、なおかつ、そのような心の持ち主であるあなたがこの場所にいた……これは、まさに神の配剤と言っても過言ではないのかもしれませんわ。本当に、感謝いたしますわ」
そんな、ちょっぴり大仰な言葉を、熱量を込めて語るミーアである。
そう、ミーアの狙いは、ずばり……いい話風にまとめて、責任の追及を有耶無耶にしてしまうこと、である。
ちょっとしたアクシデントが起きたが、その場に居合わせた泳ぎ名人の姫オウラニアの活躍で事なきを得て、良かったね……と、まぁ、こんな具合でまとめてしまいたいのだ。
オウラニアは、なにやら、口をもにゅもにゅさせつつ……。
「べ、別にー? わ、私は、お礼なんか言われることをしてないしー。た、ただ、私は、そう。あのヌシを私の手で捕まえてやろうと思って飛び込んだだけでー、海賊の子どもがどうなろうと、全然、興味も何にも……」
などと早口に言うオウラニアである。その口調は、嬉々として魚の説明をしている時と同じぐらい早口だった。
っとその時だった。ヤナがオウラニアに頭を下げて……。
「それでも、ありがとうございました。弟を助けてくれて……。キリルは、あたしの唯一の家族なんです。だから、本当に、ありがとうございました」
「だっ、だからー、海賊の末裔にお礼なんか言われても―」
と言いつつも、オウラニアの頬は赤く染まっている。それを見て、周りの者たちは、穏やかな、優しい笑顔を浮かべていた。
とても……いい雰囲気だった。
本当であれば、そこで終わらせても良かったのだが……。
「とはいえ、今後、こうした事故が起こる可能性も、考慮に入れておくべきですわね。今回は、オウラニアさんのおかげで何事もありませんでしたけれど、次またオウラニアさんのような方がいてくれるとは限りませんし……」
ミーアは、それからラフィーナに視線を振る。と、ラフィーナは一つ頷いて。
「ええ、ミーアさんの言う通りね。今回は、イレギュラーの事態で、危険な釣り場に来てしまったとはいえ、同じようなことが起こるかもしれない。泳げる者の随伴はもちろん、危険地域への立ち入り禁止は厳にすべきだわ」
穏やかなラフィーナの声に、サンテリが深々と頭を下げるのであった。
と、まぁ……このようにして。
起きてしまった事故の責任をいい話で有耶無耶にしつつ、今後の事故防止への対策をきっちりやるよう指示を出すことで、責任を果たした風を装うミーアなのであった。