表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
847/1477

第三十九話 オウラニアは楽しいことのためだけに生きる

「いい? オウラニア、あなたは、立派な姫になるのですよ? そうすれば、あの人は……私を愛してくれるでしょう」

 それは、オウラニアが幼き日、母から言われ続けた言葉だった。

 オウラニアの母は、夫からの愛に飢えた人だった。

 夫からの愛を欲し……渇望していた人だった。

 それは、普通の夫婦にとっては当たり前のようでいて、王家に嫁いだ者にとっては贅沢な願いだった。

 王侯貴族にとって、結婚は家と家との結びつき。自らの家にとって、国にとって、それがどれだけ有利になることか……合理的なメリット、政略こそが重要であって、そこに感情は必要なかった。

 けれど、オウラニアの母は、夫からの愛を求めた。

 政略結婚で結び合わされた縁なれど夫は夫。妻として愛されたいという強い想いが、彼女の胸を焦がしていた。

 彼女は高貴なる身分の女性として家のためにその身を捧げ、義務を果たし、そのうえで夫からの愛を求めたのだ。

 だから、それは当然の権利だったろうが……、彼女が愛を得ることは叶わなかった。

 彼女の夫、ガヌドス国王は、どこまでも妻への無関心を貫いた。

 別に、嫌ったのではない。憎んだのでもない。

 ただ……関心を示さなかった。

 ゆえに、彼女は考えた。

 良き後継ぎを生み、育て上げれば、きっと夫は私を愛するに違いない……と。

 オウラニアは物心ついてから、しばらくの間、そんな母の期待を背負って、日々を過ごしていた。

 辛くはなかった。むしろ、母から期待されることは誇らしかったし、父に褒められるよう立派に振る舞うことも、やりがいがあった。

 けれど、そんな日々は唐突に終わりを迎える。


 母が、いなくなった日に。


 ……と言っても、別に死んではいない。

 オウラニアの母は悲劇の女性ではなかった。

 オウラニアが十歳になった日、母は、父から離縁された。

 そのうえで、他国の貴族の男を紹介された。

 そして、彼女の新たな夫となった人は適度に優秀で、温厚で……なにより、情に深い男だった。

 かくて、オウラニアの母は、新たな夫からの愛を得て幸せになった。

 遠回りはしたものの、彼女は幸福を得て、今では二児の母として、家族と共に幸せに暮らしている。

 オウラニアによって得ようと思っていた愛を、惜しみなく与えてくれる相手と、無事に出会えたのだ。

 それは、完璧なハッピーエンドで……。

 ただ一人……取り残されたのはオウラニアのみ。彼女に残されたものは、母の願いの残滓のみで……。

 幼き日の彼女は、それをギュッと握りしめたまま、父に問うた。

「お父さま、私は立派な王女になれるように頑張ります。私は、どうすればいいですか?」

 どこかの国から有能な王族を婿として迎えればいいだろうか? 

 それとも、どこかの国の有力者と婚儀を結び、国に殉じようか?

 父が、母の代わりに新たな王妃を迎え入れれば……そして、男児が生まれれば、そういう未来だってあり得るかもしれないが、それはそれで構わない。

 それも王家に生まれた者の務めだろう、と。

 オウラニアは自らの役割を父に問うた。

 生き方を……存在意義を、父に問うた。

 そんな彼女に父は言った。

「オウラニア、お前は……なにもしなくていい」

「……へ?」

 不意を突かれ、オウラニアは、パチパチと瞳を瞬かせた。

「なにもしなくて……いい?」

「そうだ。なにもする必要はない」

 曖昧に頷くと、父は、オウラニアから視線を外した。まるで彼女から興味を失ったかのように……。

 否、オウラニアは、気付いていた。

 この、ひときわ観察眼に優れた少女は……、とっくの昔から気付いていた。

 父がそれ以前からずっと、ずっと……! 娘になんの興味も抱いていないということ。

 それだけではない。この世界に対しても、彼は、なんの興味も抱いていないのだ。

 かつての妻にも、オウラニアにも、愛を注ぐことはない。さりとて、放棄もしない。王宮から追い出すようなこともしない。

 ただただ無関心で、なにもしない。

 ただ、黙って成り行きを眺めるのみ……。

 それこそが、父、ガヌドス国王、ネストリ・ペルラ・ガヌドスであるということ……。オウラニアは理解していた。

 知っていたのに、見ないふりをしていたのだ。

 いつか、父が自分を見てくれる日が来るのではないか、と。そうすれば、母はきっと喜んでくれるに違いない、と……。

 それだけを導に生きてきた彼女は……その瞬間、生きる意味を失った。

「王族の義務など果たすことはない。なにができようができまいが、関係ない。このガヌドスの次の統治者はお前になるだろうが、だからといって、なにかをする必要はない」

 オウラニアの耳に父の言葉が届く。

「好き勝手に生きるがいい」

 酷く冷淡で、乾いた言葉が……。

 ――それはー、私が必要ないっていう意味ですかー?

 心の中に浮かんだ問いを口にすることなく……。

 オウラニアは、迷子になった。

 今まで彼女の指針としていたものは幻のように消え……どう生きればいいのか、わからなくなった。

 周りの者たちも、彼女に生きる目的を与えることはなかった。

 彼女は、自由になんでもできたし、なにをせずとも注意されるようなこともなかった。

 いてもいなくても同じものとして、無関心の中を、ただ無為に過ごした。

 そうして……、いつしか、オウラニアは思うようになっていた。

 なにもしなくていいのなら……なにも求められていないのなら、楽しいことだけのために生きていこう、と。

 なにも期待されず、自分が生きることになんの意味もないのであれば、好き勝手に生きてなにが悪い……と。

 だけど……楽しいことのためだけに自由に生きる日々は、あまり楽しいものではなかった。


 ――なーんで、そんな昔のこと思い出してるのかしらー?

 湖に飛び込んだオウラニアは、沈んでいく男の子に向かって、懸命に泳いでいく。

 ――っていうか、どうして、私、こんなことをー?

 そうは思うものの、手を止めることはない。

 ――そもそもヴァイサリアンなのに泳げないとか、どういうことかしらー? 海賊の子なのに泳げないとか、ほんと、どういうことなのかしらー?

 手足をバタつかせながら、湖に沈んでいく男の子。

 体の力さえ抜けば、難なく浮くというのに、そんな簡単なことすら知らぬ……馬鹿な、ヴァイサリアンの子ども……。海に生きる民のくせに、釣りの仕方一つ知らない仕方のない子……。

 恐ろしい海賊を助ける必要などない。

 そんなもの、放っておけばいいのに……気付けば、体は勝手に動いていて……。

 ――さっき、笑ってありがとうって言われたのが嬉しかったからとか……。まさか、そんなことでー? 私、ちょっとチョロすぎないかしらー?

 頭の中にモヤモヤ浮かぶ疑問の答えも出せないまま、オウラニアはキリルに懸命に、手を伸ばすのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 休み明けなのに更新されていない。 なんか休みの予告でもあったかなと思ったんですが、それもありませんでした。 事故とかにあって居ないことをお祈り致します。
[良い点] オウラニア姫の回想を通して異常性が明らかになった、あまりに人の心に無関心なガヌドス王、 はっきり言ってこれは酷い。 いささか過干渉気味の自分の父親とは対照的過ぎて実際に会ったらミーアも困…
[一言] オウラニアの母も母でおかしい人だった。 いや、一応生んだ娘を散々洗脳じみた事やって、自分だけとっとと幸せになってるって凄いモヤモヤするわ…… オウラニアの妹か弟をまともに育てられる気がしない…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ