第三十七話 煽れや煽れ! 起死回生の一手!
「しょ、勝負ですの?」
突然のオウラニアの申し出に、ミーアは思わず頬を強張らせる。
「あー、えーっと……」
目を逸らそうとするが、オウラニアは……逃がさないようにミーアの顔を覗き込んできて……。
「もしも、ミーアさまが勝ったら、ちゃんとお話ししてあげますよー。お父さまのことも、ガヌドスのこともー。会食でしたっけー? なにか、協力してほしいことがあるなら、しますよー?」
「いえ、まぁ、その、それは、あの、焦らなくっても……」
などと、もにゅもにゅ言って、なんとか逃げようとするミーアであったが……。
「そのかわりー、この勝負を受けてもらえないんだったら、二度と、私に話しかけないでくださいねー」
――う、ぐ、ぬぬぬ……。なぜこんなことに……?
今日は、のんびーりと釣りをしつつ、親睦を深める会であったはず。勝ち負けで物事を決めようなどと、乱暴なことをするつもりは、まったくなかったのに……。
――くぅ、しかし……。
ミーアは改めてオウラニアのほうを見た。
理由はよくわからないが……オウラニアは機嫌を損ねたらしい。こちらを見る目は、どこか冷たく、鋭い。
――これは、やってしまいましたわね……。お断りするのは難しそうですわ。いったい、なにがまずかったのかしら……?
考えるも、後の祭りだった。
こうなってしまえば、周りの力を頼るわけにもいかない。ラフィーナ辺りにお説教してもらったとしても、おそらく効果はないだろう。
――となると、最善は勝利することか、負けてもできるだけ被害を少なくすることですけど……。今回はそれも難しそう。勝つしかなさそうですわ。ぐぬぬ、しょ、勝機は……? 勝機はありますの? この、釣りマニアを相手に……。
幼き日より、ガレリア海で慣らした腕前に、バリバリの初心者が勝てる可能性は……ミーアの見たところ、あまりにも低かった。
――うんっ……? 相手は……釣りマニア……? 競争……。あ、そうですわ!
その時だった! ミーアの脳内に起死回生のアイデアが閃く!
思いついたアイデアにニンマーリとほくそ笑みつつ、ミーアは言った。
「なるほど。選択肢はなさそうですわね……。その勝負、受けて立ちますわ」
重々しく頷くミーアを見て、オウラニアは、勝ち誇った笑みを浮かべかけたが……、そのタイミングで、ミーアは人差し指を立ててみせた。
「ただし……少しだけ、勝負の内容を修正したく思いますわ」
「なんですかー? 大きさ勝負じゃなくて、数で勝負にしますかー? それでも負けませんけどー」
白けた顔で言うオウラニアに、ミーアは静かに首を振り、
「いいえ……。ただ、そのような勝負で雌雄を決するなど、味気ないにもほどがありますわ」
ミーア、あえて悪い笑みを浮かべて、煽るように……、
「勝負の内容は『どちらが先に、この湖のヌシを釣り上げるか』にいたしましょう」
堂々と言い放つ!
「この湖の、ヌシ?」
「ええ、そうですわ。先ほど、港で言っておりましたの。このノエリージュ湖には、ヌシがいると……」
しかつめらしい顔で頷いてから、ミーアは続ける。
「釣りで勝負というからには、そのぐらいしたいですわ。それに、せっかく、子どもたちもいるのですから、ヌシと呼ばれるほど大きなお魚、見せてあげたいとは思いますの」
断りづらい理由を付け足しつつも、ミーアはオウラニアを見つめた。
これこそが、ミーアが考えた起死回生の一手だった。
勝機が薄いと見て取ったミーアは、勝ち負けに加え、もう一つの逃げ道を用意したのだ。
すなわち、ドロー。あるいは、釣られなかったヌシの勝ち、という落としどころを。
オウラニアが、ミーアより大きな魚を釣り上げる可能性は極めて高い。けれど、ヌシと呼んでも差し支えがないほど巨大な魚を釣り上げられる可能性は……それほど高くはないのではないか?
――それに、仮に、オウラニアさんが巨大な魚を釣り上げたとして、それをヌシだと認めなければ、結果を有耶無耶にできるかもしれませんし……。
などと悪いことを考えていると……。
「それってー、ミーア姫殿下がヌシって言わなかったらー、勝負がつかなくなるっていうことじゃないですかー?」
ジトっと上目遣いで見つめてくるオウラニア。
痛いところを突かれたミーアは、思わずヘンテコな呻き声をあげそうになるが……。
「それは……ミーアさんに失礼なのではないかしら?」
涼やかな……けれど、ちょっぴり背中がゾクリとするような声が、横から聞こえる。
見れば、ラフィーナが笑顔を浮かべながら……怒っていた! 激怒していた!
ミーアにはよくわかる。ラフィーナの中の獅子が、のっそりと起き上がったのが……!
「ミーアさんが、そのようにズルいこと、インチキなことを考えるはずがない。そうよね、ミーアさん?」
確信に満ち溢れた声に、ミーアは……刹那の判断!
――オウラニアさんは、割と鋭い感じがしますわ。となれば、嘘は見抜かれる不安がある。であれば……!
咄嗟に、悪戯っぽい笑みを浮かべて、ミーアは言った。
「うふふ。そんなことありませんわ。ラフィーナさま。わたくしだとて、清廉潔白ではありませんから、そのようなインチキを考えてのことだったかもしれませんわよ?」
冗談めかして肩をすくめつつ、
「けれど、見抜かれてしまったのでは仕方ありませんわ。ここは大人しく、審判員を置くのが良いのではないかしら……ええと……」
辺りを見回す。そうして、その役に最適の人間を選び出す。それは!
「サンテリさん、お願いできるかしら?」
「私、でございますか?」
意外そうな顔をするサンテリに、ミーアは静かに頷いた。
「ええ。サンテリさんが、この中では最も釣りに詳しい方ですわ」
釣りに詳しい釣りマニア、ということは……。
――きっとヌシにだって大変なこだわりを持っているはず。ヌシに関して最も厳しい基準を持っているのは、おそらくこの方ですわ!
計算しつつ、ミーアは念押ししておく。
「ぜひ、あなたの釣り人としての誇りにかけたジャッジをお願いしたいですわ」
気を使い、中途半端な魚にヌシ判定を与えることは、あなたの釣り人としてのプライドを傷つけることになりますよぅ! と暗に伝えつつ、ミーアは微笑みかける。っと、サンテリは静かに頭を下げて……。
「かしこまりました。公正なジャッジをお約束いたします。我が、釣り人魂にかけて……」
実に、毅然とした口調で言った!
「うーん……」
その様子を見て考え込むオウラニアに、ミーアは、駄目押しとばかりに……。
「もしかして、オウラニアさん……ヌシを釣り上げる自信が、ないのかしら?」
煽る! 煽る!
「そういうことでしたら、仕方ありませんわね。確かに、どちらもヌシを釣れなかった、となる可能性も十分にありますし? オウラニアさんが、ヌシを釣る自信がないというのなら、仕方ありませんわね?」
大いに煽る!
ノエリージュ湖には、ヌシと呼ばれる、巨大なお魚がいるらしいけど……それを狙わなくって、いいの? 釣り好きなのに? 本当にいいの?
なぁんて、実にイラァッとする顔で、煽っていく!
「ああ、せっかく、子どもたちに、大きなお魚を見せて喜んでもらおうと思ったのですけど、まぁ、オウラニアさんが無理と言うのであれば、仕方ないですわね」
やれやれ、と肩をすくめたところで……。
「いいですよー。ヌシ釣り勝負、受けて立ちますよー」
オウラニアは、剣呑そのものの目つきで、ミーアを睨みつけてくるのだった。