第三十四話 真友(アースワームメイト)の夜明け
「ほら、大丈夫ですわよ? ちょっぴり気持ち悪いですけど、こんなの余裕ですわ」
針先にウミミズをつけて、得意げにミーアは言った。
基本的にミーアは……、実は、普通の令嬢と変わらないセンスの持ち主である。
ごく当たり前のことながら、ウネウネした虫だの、ムカデだのミミズだのは、好きではない。もちろん、触るのもごめんである。
けれど……釣りのために必要と聞けば、話は別だ。生存術に関わる技術と聞けば、ミーアの頭の中で、意識が切り替わる。
有事の際、割と断頭台送りにされがちなミーアとしては、いついかなる時にも、脱出する準備はしておきたいところ。
水を確保しながら、食料も得られる釣りというのは、ぜひとも身につけておきたい技術の一つである。
――ふっ、お腹が減ることに比べれば、この程度の気持ち悪さなど、どうということもございませんわ。
などと笑うミーアである。
その姿勢を見たベルが「おお、さすがミーアお祖母さま! いついかなる時でも、冒険に出られるための生存術……。あれこそが帝国の叡智の根幹なのですね!」なぁんて冒険家魂を燃え上がらせているわけだが……。まぁ、それはともかく。
「おお、さすがでございます。ミーア姫殿下。てっきり、針につけるのは我々の仕事とばかり思っておりましたが……」
意外そうな顔をするサンテリに、ミーアは静かに首を振ってみせた。
「いいえ……。気持ち悪いことだけ従者にさせて、楽しいことだけは自分がするなどと……それは都合の良い話ですわ」
貴族の中には、汚れ仕事はすべて従者に押し付け、自分はいいとこどりをしよう、などという考えの者がいる。けれど、ミーアは、できるだけそういうことをしたくなかった。
アンヌにすべて押し付けて、自分は美味しいところを取るなど、もってのほか、と思っているミーアである。
それに、そういうことは、きっとラフィーナだって嫌いだろう。
ラフィーナへのアピールがてら……あるいは、ラフィーナが味方であることをオウラニアに誇示するために、ミーアはラフィーナのほうに目を向けて、
「そうですわよね、ラフィーナさま?」
話を振ると、ラフィーナ、一瞬、ピクンッと体を震わせて、それから静かに瞳を閉じた。まるで祈るように、お腹の当たりでギュッと手を握り合わせて……。
「……ええ。そのとおりだわ、ミーアさん」
それから、そっと目を開ける。
そのかすかに潤んだ瞳は、何かを訴えかけてくるように、切実な輝きを宿していた。
はて? ラフィーナさま、どうかされたのかしら? と首を傾げつつも、ミーアはサンテリのほうを見た。
「それに、それでは本当の意味で釣りを楽しむことにはならないのではないかしら? 餌をつけるところから、釣り上げるところまで、一連の動作をしてこその釣りではないのかしら?」
「なるほど。それは大変、素晴らしいご意見です」
サンテリは、熟練の釣り師のような表情で、深々と頷いた。
「確かに、餌をつけるところから、一人でやってこそ、釣りの醍醐味と言えるでしょう。みなさまも、ぜひ、挑戦してみてください」
「でも……サンテリ? 子どもたちには、少し難しいのではないかしら? ほら、それを手に取るのは、少し気持ち悪い……」
などと、ラフィーナが気遣うようなことを言いかけたが……。
「みんな、冒険家になるには、釣りは必須の技能。しっかり自分でつけられるようにならないとダメですよ?」
その言葉に食い込むように、元気の良い声が聞こえてきた。
後の世に、冒険学の第一人者として知られるベルに率いられ、特別初等部の子どもたちが元気よく「はーい!」と返事をした。ヤナを始めとした女の子たちは、キャーキャー言いながらウミミズを摘まみ上げているが……なんだか、とっても楽しそうだ。
「……ええと、ラーニャさん、やはり、王族の方がするのは、難しくないかしら?」
優しげに、気遣うように話を振るラフィーナに、ラーニャはニッコリ笑みを返した。
「お気遣いありがとうございます。でも、畑に行けば、もっと気持ち悪いのとかたくさんいるので」
っと、ラーニャはティオーナに視線を向ける。っと、ティオーナも笑顔で頷いて、
「そうですね。作物について悪さをするものもいますから、よく捕まえてぷちっとやりますよね」
「はい。森にも、似てるの、よくいる、です」
うんうん、っとリオラが頷く。自然豊かな地域で暮らす令嬢たちは、楽しげに地元トークで盛り上がっていた!
さらにラフィーナは、涼やかな笑みを浮かべたまま、王子たちのほうへ視線を送る。が……。
「無人島では機会がなかったが、今日は釣りの腕を存分に競い合うとしようか」
「先日の鍛練では後れを取ったからね。今日は意趣返しさせてもらおう」
王子たちもノリノリである。それを見て、キースウッドが、やれやれ、と首を振っていた。
ラフィーナは、さらに、そのまま視線を巡らせる。まるで、助けを求めるように……っと、その視線が向いた先にいたのは、可憐な笑みを浮かべる少女、シュトリナだった。
視線を受けたシュトリナは、なにかを察したような顔をして……。
「あ、ええと、リーナは、そういう虫とかは、ちょっと……」
などと、言いかけるも……。
「え? リーナちゃん、そんなんじゃ、一緒に冒険いけませんよ?」
ベルの言葉に押されるように、シュシュっと、その手を動かして!
「なんか、苦手かと思ったけど、やってみたら、案外、簡単だったみたい」
あっさりと、針にミミズをつけた。実に洗練された手際だった!
「…………」
ラフィーナは、一瞬、裏切られたような、ショックを受けた顔をしたが、すぐにいつもの笑みを浮かべ直し、視線を転じて……。
「く、クロエさんは、部屋で本を読むのが好きなんじゃなかったかしら……? だったら……」
「この、ウミミズで人面魚って釣れるでしょうか?」
「人面魚―? そんなのいるのねー? 私も釣ったことがないから、わからないけどー」
などと、オウラニアと談笑するクロエを見て、ラフィーナは、言葉を呑み込んだ。
もう……ほかに声をかける人物はいない。
「ラフィーナさま……もしや……」
っと、そこで、ようやく気付いたのか、気遣いの人、ミーアが声をかけようとしたのだが……。
「えいっ!」
気合の声と同時にラフィーナがミミズの入った箱に手を伸ばした。そのまま、ほっそりとした指でミミズを摘まみ上げる。ひっ、と息を呑み込みつつ、鬼気迫る顔で、震える指を制し! ウミミズを針に突き刺して!
「どっ、どど、どう、かしら? ミーアさん……! ほら、私も!」
などと、涙目ながら、ドヤァッとした顔をするラフィーナに、ミーアは、気圧されつつも、なんとか頷いてみせて、
「え、ええ。お見事ですわ、ラフィーナさま」
などと言ってやる。っと、ラフィーナはほわぁっと、無邪気な笑みを浮かべて、
「案外、簡単だったわ」
ちょっぴり胸を張るのだった。
――ううむ、これ……なんか、どうでもいいですけど、怪しげな秘密結社の入会式みたいになってますわね……。
それは、セントノエル学園に人知れず、魚釣りの秘密結社が生まれた……その夜明けの瞬間だったのかもしれないが、酷くどうでもいい話であった。
「まぁ、それはさておき。釣りますわよー」
竿を持ち、意気揚々と船の縁に出て、ミーアは湖面を覗き込んだ。
「おお、ここからでもお魚が見えますわね」
ノエリージュ湖の水は、とても澄んでいて……。だから、湖の底までが良く見通せた。
「本当はー、あまり水が澄んでないほうが、警戒心を持たれないんだけど、こればっかりはしょうがないかしらー」
オウラニアは、ちょっぴり残念そうな口調だったが、
「うふふ。でも、それはそれで、魚との勝負が楽しみかも―」
などと笑っていた。
「さぁ、釣りますわよ! この湖の主を釣って差し上げますわ!」
ミーアの号令を合図に、釣り友たちは、一斉に船の各所に散っていった。
伝統校だとソウルメイトとか、お約束で萌えますよね!




