第三十三話 犯人は……?
――キリル、ナイスですわよ。
美味しいジュースを飲んだミーアは、満足げに頷く。
別に、美味しいジュースを持ってきてくれたから、ではない。いや、それもあるのだが、それ以上に、オウラニアに親切にしたことが大きかった。
――見ず知らずの子どもたちに釣りを教えろというより、さっき親切にジュースを持ってきてくれた子に釣りを教えて、と言ったほうが断りづらいはずですわ。
ミーアは、キリルに指示を出したパティのほうにも目を向ける。っと、パティは、無言で頷いた。いつも通り、表情のうかがい知れない顔ながら……心なしか、胸を張って得意げな様子がうかがえた!
――ふふふ、さすがは、わたくしのお祖母さま。きちんと、なにも言わずとも、連携が取れるところが素晴らしいですわね。しかし……。
っと、そこでミーアは自らの孫娘のほうに目を向けた。そこには……。
「ふっふっふ、今日はこの湖の主を釣りますよぅ! 釣りスキルは、冒険家としては必須のスキルですから、諸君もきっちりと身に着けておくように!」
「おー!」
などと、特別初等部の子どもたちを、冒険家の暗黒面へと誘いこもうとしているベルの姿があった。
――ベルは……どうしてこう……いえ。でも、まぁ、あれはあれで、場を盛り上げるのに必要な人材と言えないこともない、はずですわ。うんうん。
そう、誰かと誰かを比べては良くない。
ミーアは知っているのだ。人にはそれぞれ役割があるのだということを。
ルードヴィッヒは優秀だが、全員がルードヴィッヒでは息が詰まる。気の抜けた、それこそ、ベルのような存在が必要なのだ。
――そう考えると、わたくしもあまり気を張り詰めてルードヴィッヒのようになるのは避けないといけませんわね。意識的に肩の力を抜くようにしておきませんと……。さておき、ベルにだって、相応しい役割と言うものがございますわ。もっと、こう……その……ええと、まぁ……。
ミーアは、思わず腕組みして、考え込んで……。
「ベルがこなすべき重要な役割って、なにかしら……」
なんぞと、思わずつぶやいてしまう。
まぁ、それはさておき……。
オウラニアの目が子どもたちに向いたタイミングで、ミーアは親しげな微笑みを浮かべて、オウラニアに言った。
「子どもたちに釣りを教えてほしいのですけど……」
「なっ、どうして、私がー?」
ものすごく断りたそうな顔をしているオウラニアだったが……ミーアは気付いていた。
オウラニアの視線に、どこか、恐怖の色が混じっていることに……。
――ふふふ、そうですわよ? その恐怖は正しいこと。下手なことは言えませんわよ? なにしろ、ここには、ラフィーナさまがいらっしゃるのですから……。
そうして、ミーアは振り返る。っと、ラフィーナは、
「うふふ、楽しみだわ。釣りに来るなんて、はじめてだから……」
なぁんて、上機嫌にニッコニコしていた。頬をちょっぴり赤らめて、無邪気な少女の笑みを浮かべる。
――今は、あの笑顔に隠されてはいますけど、時折見える獅子のオーラが恐ろしいのですわ。そう、ラフィーナさまはその身の内に怒れる獅子を秘めた方。それが目覚めた時を恐れるのは、とても正しい認識ですわ。それに、シオンやティオーナさんだって、子どもたちに酷い扱いをしたら、きっと怒るはずですわ。
自らの背後に控えるものを確認してから、ミーアは、ゆっくり、じっくりと、逃げ道を塞いでいく。
釣りを教えられる人があまりいないから、手伝ってほしい、と、きちんとやむにやまれぬ理由を伝えつつ、あくまでもお手伝いでいいですよ、と責任を軽減させ……。さらに!
「ぜひ、オウラニア姫殿下の素晴らしい腕前をご披露いただきたいですわ」
必殺、ヨイショで締めくくる。
やはり、ヨイショだ。世を潤滑に回すもの、それこそが、ヨイショなのだ。
そんなミーアのヨイショに押されるようにして、オウラニアは静かに頷いた。
――ふふふ、計算通りですわ。ああ、これほどまでに計画通りに事が運んだことがあったかしら? うふふ、なんだか、絶好調過ぎて怖いぐらいですわ。
などと上機嫌なミーアに、アンヌが釣り竿を渡してきた。
「ミーアさま。これをどうぞ」
「ほほう。これが釣り竿……。わたくしも手にするのははじめてですわね」
「この糸を押さえながら、竿をお持ちください。糸の先に針がついておりますので、お気をつけて」
「針……?」
ゴクリ、と喉を鳴らしつつ、ミーアは糸の先についた針を見つめて……。
「あら、この針……、この先っぽのところが……」
「それは返しといいます。一度、刺さったら抜けづらいような造りになっているのです。間違って指にでも刺したりしたら大変ですので、お気をつけください」
横から、サンテリの注意の声。ミーアは真剣そのものの顔で頷いて……。
「気をつけますわ。しかし、釣りがこれほど恐ろしい道具を使ってするものとは思いもしませんでしたわ」
恐々と、その針を眺めていると……。
「この餌を針に刺すんですよー」
ふと見ると、オウラニアが、なにかの入った箱を差し出していた。
どうやら、無事に手伝ってもらえるらしい。
内心でニンマリ笑うミーアであったが……、直後……、
「ふひゃあっ!」
とヘンテコな声をあげた。
「はっ、針に刺すんですの? そそ、その気持ち悪いのを?」
箱の中、ウニョウニョと蠢く赤いもの……その不気味な姿に、ミーアはゾゾッと背筋を寒くする。
「はいー。ウミミズと言って、とってもいい餌なんですよー」
オウラニアは、特に気にした様子もなくソレを手に取り、躊躇なく針に刺してみせた。
「ほら、簡単でしょう?」
「なっ、なるほど……。や、やってみますわ」
ゴクリ、と生唾を飲みつつ、ミーアは……ウミミズを指先で摘まみ上げる。にゅるん、っとした手触りは、実になんとも気持ち悪かったが……。
「こ、これも、美味しい魚料理のためですわ……えい!」
などと、我慢して針に刺す。っと、
「ひっ……」
不意に、息を呑むような、可愛らしい悲鳴が、後ろのほうで聞こえた。
振り返ると、ミーアの手元を覗くようにして、パティとヤナ、それにラフィーナが立っていた。
――はて、今の声は……?
ラフィーナと目が合うと、ラフィーナは、ニッコリ、涼やかな笑みを浮かべていた。いつもと同様、否、いつも以上に透き通るように白い肌が、陽の光に輝いていた。
――ふむ、ラフィーナさまは、このぐらいで動揺するような方ではないでしょうし……。パティは、こういうのあんまり気にしなさそうですし、そうなると、ヤナかしら。うふふ、可愛い子どもの反応ですわね。
ミーアは、安心させるように、ニッコリとヤナに微笑みかけておくのだった。