第三十一話 ミーア・ヒロイン・ティアムーン
港に係留されていたのは、それなりの大きさを持つ船だった。さすがに馬車ごと乗せて運べるほどには大きくなくとも、おそらく、二十人ぐらいまでならば乗れるのではないだろうか?
――さて……撒き餌は仕込みましたし、オウラニアさん、来てくれるかしら……?
先ほどの開会宣言で、船釣りの存在を強調しておいたが……はたして、オウラニアは上手く食いついてくれるかどうか……。
そんなことを思いつつ、ミーアは、ふーぅ、とため息を吐いた。
「しかし、暑いですわね……。日差しがとっても強いですわ」
じーわじーわと、肌を焼く日の光に、じっとり汗が染み出してくる。
額の汗をハンカチで拭きながら、ミーアは、獲物がかかるのをじっと待っていた。けれど、待ち時間は、それほどかからなかった。
獲物……オウラニア姫が、いそいそと船のほうに向かってきたためだ。
――ふふふ、かかりましたわね!
計算通りだった。釣り好きなオウラニアが、素人向けの釣りスポットに行くはずがない、と。来るならば、船に違いない、と。
そんなミーアの予想は見事に的中した!
ミーアは、満足げな笑みを浮かべて、オウラニアに声をかけた。
「ご機嫌よう、オウラニア姫殿下。やっぱり来ましたわね?」
声をかけつつ、逃げられぬように、と素早くオウラニアに歩み寄る。
「さ、早く乗ってくださいな。ともに、釣りを楽しみましょう」
「ええーと、でもー」
キョロキョロ、とほかの船に目をやるオウラニア。その腕をがっしり、ミーアは捕まえる。
「ささ、行きますわよ。オウラニアさん」
にっこり微笑みかけてやると、オウラニアは諦めたように、ため息を吐いた。
船が港を出たところで、ミーアはほうっと安堵の息を吐く。
――とりあえずここまでは計画通りですわね。
これで、港に帰るまでオウラニアが逃げることはできない。一安心である。
サンテリから、楽しそうに釣り場の情報を聞くオウラニア。そんな彼女を見て、ミーアはうんうん、っと頷き……。
――嬉しそうでなによりですけど……一人で釣りを楽しませてしまっては、意味がありませんわ。次なる策を早々に打たねば……。
そうして、ミーアが視線を向けるのは、特別初等部の子どもたちのほうだった。
大軍師アンヌの「殿方は趣味を褒められると嬉しいものみたいですし、そこで培われた技を頼られると、さらに喜ぶ……と書いてありました」という進言を受けて、ミーアが立てていた作戦……それは……。
「オウラニアさんに、子どもたちが釣りをする、お手伝いをしていただくのはどうかしら?」
というものだった。
「殿方だけでなく、ご令嬢であったとしても自分の技術を褒められるのは嬉しいもの。頼られれば、悪い気持ちはしませんわ。たぶん……」
もちろん、オウラニアとしては、一人でじっくり釣りを楽しみたいのだろうが、それでは、ミーアの目的を達成するのは難しい。
「仲良くなるためには、わたくしと話しをしてもらわなければなりませんけれど、露骨にわたくし、避けられておりますし。なんとかして隙を作る必要がありますわ」
そのための、子どもたちである。
子どもたちのお手伝いをしがてら、話をする機会は、きっと増えるはず。素人を手伝う煩わしさは、自らの技術と知識を披露する喜びで緩和し、楽しい雰囲気を維持する。
――それに、オウラニアさんに、ご自分の危うさを自覚してもらうためにも、子どもたちと接することは意味がありますわ。
実際に、貧しい民の子どもたちと接することで、オウラニアが少しでも、自己の行いを反省する機会が作れれば……と。
そんなことを考えるミーアである。
過去の自分と似たオウラニアに……あの日、かけてもらえなかった言葉をかけるのだ。
『あなたのそれ、今のうちに、ちょっと悔い改めたほうがいいですわよ』
と。
さて、それじゃあ、子どもたちを紹介しよう……っと、ミーアが振り返った瞬間だった。
びょうっと強い風が吹いた。船が揺れ、ミーアはよろけないよう、ふんぬっと足を踏ん張る。
「おお、すごい風ですわね……。ふぎゃっ!」
突如、顔にぶつかってきたものに、カエルが潰されたような悲鳴を上げるのは、ミーア・ヒロイン・ティアムーンである。
手をバタバタさせつつ、顔に張り付いた布のようなものをはがす。
「なっ、何事ですの? これは……」
それは、可愛らしい帽子だった。
「もっ、申し訳ありません。ミーアさま!」
慌てた声に目を向ければ、そこには、顔を真っ青にして立っているヤナの姿があった。
「ああ。風で帽子が飛ばされたんですのね」
手の中の帽子をヤナの頭に被せてあげて、それから、彼女の乱れた前髪をすっすっと整えてあげてから、ミーアは小さく笑みを浮かべた。
「風が強いですし、飛ばされないように気をつけて。今日は日差しも強いですし、帽子は必須ですわよ?」
そうして、頭を撫でて上げた……その時だった。
ふと視線を感じて、振り返る。と、オウラニアが、ビックリした顔でこちらを見ていた。
――はて? どうかしたかしら?
首を傾げるミーアから、オウラニアは、そっと目を逸らすのだった。




