第三十話 蛇の毒、あるいは、海月の一刺しのような…・・
「釣りとは、まさに、高貴にして典雅な趣味。これは、貴族の嗜みといっても過言ではないのではないかしら?」
そのオーバーな物言いを、オウラニアは冷静に聞いていた。
「んー、どうして、ミーア姫は、あんな風に媚びるようなことを言っているのかしらー?」
彼女は……ミーアの演説を、どこかわざとらしい、作為的なものとして受け取っていた。わざとらしく釣りに興味がない、などと言って、人々の注意を惹き、その後で釣りを褒めたたえる。
下げて上げる、波のような演説。見事なご機嫌取り(ヨイショ)だったが……。
「釣りを褒めることで、魚に特別な思い入れのあるヴェールガの民の好感を買うのが目的かしらー? それとも、ラフィーナさま? あるいは、私かしらー?」
なんと、ミーアの狙いを完全無欠に看破するオウラニアである。極めて鋭い洞察力を有するオウラニアなのである。
「まぁ、やっぱり、一番はラフィーナさまかしらー。ヴェールガの聖女だし、ああ言っておけば、ご機嫌取りができるっていうのが、一番大きな理由ー? んー、でもそれって浅ましくって、俗物っぽいわー」
そうして、無知の姫の、その鋭い観察眼が、叡智の皮を被ったミーアの正体を見透かそうとした……まさに、その時だった!
「でも……お父さまは、そんな人と私をお近づきさせたいはずじゃないのかしらー?」
生じたのは……小さな疑問。
父の言動に覚えた違和感だった。
普通に考えれば、浅ましく俗っぽい人物と娘とを遠ざけようとするのは、親としては当たり前のことかもしれない。あるいは、ミーアの権力に惹かれるような親ならば、ミーアの浅ましさに関わらず、お近づきにさせようとするだろうが……。
でも、オウラニアは知っている。
自分の父は、そんな人間ではない。
俗人から遠ざかり、健やかに育つことを望みもしなければ、ミーアの権力目当てに犠牲にしようとも思わない。
父は、自分にそんなことを望みはしない。
――そもそも、あの人は、私にはなにも……。
と考えかけたところで、オウラニアは、うーんっと声を上げる。
「ともかく、お父さまの口調は、明らかにミーア姫殿下を警戒するようなものだったわー。あの、お父さまが警戒する? あーんな見え透いたお世辞を言う人のことを?」
頬に手を当て、オウラニアはつぶやく。それは、あり得ない、と。
「ということは……ミーア姫殿下のあの宣言はフェイク……。あんなことをやった理由が、ほかにあるってことかしらー?」
出発前に見た父の態度が、その言葉が、オウラニアの思考に、じんわりとした違和感を広げていく。
それは、さながら蛇の毒のよう……否、どちらかといえば、海月の一刺しのように……。彼女の思考を侵し、麻痺させて……曇らせる!
「うーん、まぁ、どうでもいいかしらー。別に、ミーア姫殿下の思惑も、お父さまの思惑も、私には関係ないしー。うふふ、今は釣りを楽しみましょう」
などと、そこで思考を切り替えるオウラニアである。
彼女がミーアの真意(……どこかの聖女たちによる解釈による)に直面し、打ちのめされるのは……もう少しだけ先のことになるのだった。
さて、改めて、オウラニアは今日の釣り大会の釣り場を確認する。
指定されている釣りスポットは、港近くの旧大橋跡か、森を抜けたところにある砂浜など。船釣りも選択肢に入っているらしく、学園で借り受けた船が三艘、港にとまっていた。
「船釣り……」
オウラニアは、感極まった声でつぶやいた。
釣りスポットに関しては、正直、面白みに欠ける。というか、一人でも行ったことがあるところばかりだ。
釣りはいつどこでやっても楽しいものだけど、せっかくだから、こういう時しかできないことをしたい。
――ガヌドスでは、毎日のように船を出させて釣りを楽しんだものだけど、ここではそういうわけにはかないからー。うふふ、楽しみー。
ということで……オウラニアが選んだのは、船釣り一択だった。
意気揚々と船に乗り込もうとした、まさにその時だった……。
「ああ、オウラニアさん、やっぱり来ましたわね」
ニコやかな笑みを浮かべるミーアが、船の上で手を振っていた。
「なっ……!?」
彼女の周りには、生徒会の面々と特別初等部の子どもたちの姿があった。
「さ、早く乗ってくださいな。ともに、釣りを楽しみましょう」
「ええーと、でもー」
っと、慌てて別の船に目をやるも……。
「ささ、行きますわよ。オウラニアさん」
いつの間にかそばに来ていたミーアに手を掴まれてしまっては、もはや逃げることはできず……。
――うーん、まぁ……いいかー。
オウラニアは、結局、その結論に落ち着く。
すべてのことは、どうでもいい。
考えても疲れるだけだし、考えてもどうにもならない。
今日を楽しめればいい。目の前の船釣りを楽しめれば重畳。
それこそが、オウラニア・ペルラ・ガヌドスの基本理念。
「それで、この船は、どこを回るつもりなんですかー?」
「ええ。それなのですが……」
スチャッと一歩前に出たのは……ヴェールガの釣りマニア代表こと、サンテリだった。
キリリッとした顔をした彼は、地図を広げ……。
「島からでは行きづらいのですが、船だとちょうど良い釣り場が……」
「あー、そこ、私も行ってみたいと思ってたところよー」
ニッコニコとご機嫌な笑みを浮かべるオウラニアだった。