第二十九話 ミーア姫の釣り宣言!
「ラフィーナさま、ご苦労されているのですわね……人魚のような肖像画」
ミーア、思わず、それを想像し……。
「……大変な、ご苦労ですわ。おいたわしや」
歩み去るラフィーナに同情の視線を送りつつも、ミーアは気持ちを切り替える。
「まぁ、それはそれとして、開会宣言ですわね。しっかりと盛り上げないといけませんわ」
今日の釣り大会において、ミーアの一番の役目は、それだった。
実のところ、ミーアは、それをそこまで大事な役割とは思っていなかった。
なにしろ、今回の釣り大会の目的は、オウラニアとの仲を深めることにある。この開会宣言で、ミーアがどんな失敗をしたとしても、この釣り大会自体がなくなることはないだろうから、特になんの問題もないわけで……。実に気楽なものだった。
戦争を止めるためのものやら、生徒会長に相応しいものやら、子どもたちの居場所を守るためのものやら……。今まで幾度も修羅場を潜り抜けてきたミーアである。
たかが、学校行事の開会宣言程度、どうということもないのだ。
そのはずだったのだが……。会場の雰囲気を見て、ミーアは考えを変えた。
――これは、もしや、なにかの波が来ているのではないかしら……?
っと……熟練の波乗り海月ミーアのセンサーが、反応しているのだ。
ミーアは腕組みして、ふぅむ、っと唸る。
――今日、わたくしは、オウラニアさんと仲良くなって、できれば味方につけたい。けれど、同時に、少し彼女の耳に痛いことも言わなければならないかもしれませんわ。
先日のオウラニアの言葉が、ミーアの胸に残り続けていた。
『やっぱり、人生、美味しいものをたくさん食べて、たっぷり遊んで、楽しく生きないとダメですよねー』
あの言葉……あれは、まるで……。
――わたくし自身の言葉のようでしたわ。過去の、わたくしの……。
今のミーアは知っている。美味しいものをたくさん食べることも、遊ぶことも、楽しく生きることも大切だけど……ものすごーく大切だけど! でも、それ以上に大切なことがあるということ。
否、正確に言うなら、幸せな生活を守るためには、相応にしなければならないことがあるのだ、ということを、知っているのだ。
――そうしないと、楽しく生きていたはずが、気付けば断頭台の上だった、なんてことになりかねませんし……。ここは先達として、しっかりと警告をしておいてあげるべきですわ。
断頭台にかけられることに関して語らせれば右に出る者のいない、断頭台の姫ミーアだからこそ語れることがきっとあるはずなのだ。けれど……。
――お説教しつつ仲良くなるのは、まぁまぁ大変なこと……。なんとか、お説教で痛くなった耳が気にならなくなるようにしなければなりませんわ。
そのために、参加する職員たちの士気を上げ、イベントを盛り上げるのは大切だ。
ミーアから多少お説教臭いことを言われたりもしたが、全体としては楽しい一日だった……と、そう思わせられれば重畳。楽しさの中に教訓がある一日だった、みたいになってくれれば言うことなしである。
――とすると、この開会宣言でも手を抜くことはできませんわね。
「ミーアさま、そろそろ……」
声をかけられたミーアは一つ頷いて、アンヌのほうを見る。
「どこか、おかしいところはないかしら?」
念のために、服装と髪型のチェック。
アンヌは、すっす、っとミーアの髪を梳き、それから一歩後退。顎に手を当て、むむむ、っと唸った後、
「はい。完璧です。ミーアさま!」
厳正なるアンヌチェックを終えたミーアは、力水ならぬ、力ジュースをコクリと一杯。うーん、甘くて美味しい! もう一杯!
そうして、脳みそに栄養を注ぎ込んだうえで、満を持して演壇の上に登った。
「ご機嫌よう、みなさん」
その声に、思い思いの場所で談笑していた生徒たちが、一斉に姿勢を正す。
「ああ。かしこまらず、気楽に聞いていただいても構いませんわ。今日は楽しい日ですもの」
朗らかな笑みを浮かべて、周りを見回してから、ミーアは言った。
「さて、本日は、このように素晴らしい会を開くことができて、とても嬉しいですわ。この会は、たくさんの方の協力で、開催にこぎつけることができた。まず、はじめに、今日の釣り大会の準備に携わってくださった方々に、感謝したいですわ」
そう言って、ミーアはそっと頭を下げた。
それから、ミーアは、サンテリの同志たちに目を向ける。どこか誇らしげに胸を張る彼らに向かい、ミーアは……。
「しかし、ここで白状いたしますけれど……わたくし、実は釣りにはなーんの興味もございませんの」
冷めた顔で、いささか演技めいた仕草で、ゆっくりと首を振ってみせた。
それは、いわば釣り針……。釣り好きならば、噛みつかぬわけにはいかない、でっかい釣り針だった!
当然、自分たちの愛する趣味を馬鹿にされたと思った人々は、一斉にミーアに鋭い視線を向けてくる。それを一身に受けたところで、ミーアは表情を崩し、
「ふふふ、正確には、興味がございませんでした、と過去形で言うのが正しいかしら。幼い頃は、あんなことして何が楽しいのか、なんて思ったものですけど……。ある時、それが食べ物を得る手段だと知って、少しだけ興味が湧きましたわ」
その言葉に嘘はない。革命軍からの逃避行で使える、食料の獲得方法の一つとして。ミーアは釣りを調べたのだ。
「それにね、実はわたくし、先日、無人島で遭難しかけましたの」
その言葉に、聞いていた者たちは一瞬、ギョッとした顔をする。それを見て、ミーアは悪戯っぽい笑みを浮かべて続ける。
「まぁ、大したことはなかったのですけど、その時、同行していた方たちが釣りで魚を獲ってきて……。それで、ますます興味が湧いてきましたの。これはなかなか、趣深いと。今回も、準備をすることで、ますます釣りの奥深さを知って、心から驚かされましたわ」
注目を集めたうえで、すかさず、ヨイショする。
人は、自分の趣味を褒められると嬉しいもの。そして、今日一日、生徒たちの面倒を見てくれる釣りマニアな職員たちのテンションが上がれば、今日の会はより盛り上がるだろう。
それに、釣りが趣味のオウラニアや、魚に親しんでいるラフィーナも、悪い気はしないだろう。二重、三重に考え抜かれた、熟練のヨイショ芸を披露するミーアである。
「もちろん、わたくしが、その奥深さのすべてを知れたなどとは思っておりませんけれど、それでも、その一端に触れられたことは大いなる喜びですわ」
それから、ミーアはセントノエル島の住民へと目を向けた。
商店街から駆り出され、露店の準備を進める者、学園から依頼を受けて、船を出そうとしている者、その他さまざまな人々が、今日の大会に関わっている。
そして、その住民のほとんどは、ヴェールガ公国の出身なのだ。
その証拠に、彼らは、みな、ミーアのほうに視線を向けて話を聞いていた。釣りを礼賛するミーアの宣言を聞き、熱い表情を浮かべていた。
――ふふふ、事前にヴェールガの釣り人事情をお聞きしておいて良かったですわ。
サンテリとの会話を思い出しながら、ミーアは思う。
――言われてみれば、確かに、神聖典の中でも、魚は役割を与えられておりますし、ヴェールガの方たちの思い入れが強いことも頷けますわ。釣りマニアの職員たちのみならず、彼らにも気合を入れることができるならば、この開会宣言にも意味があったというものですわ。
自分を押し上げる強力な波を感じながら、ミーアは切々と訴えかける。
釣りは楽しく、それ以上に、貴いものなのだ、と。
「釣りとは、まさに、高貴にして典雅な趣味。これは、貴族の嗜みといっても過言ではないのではないかしら?」
ヨイショヨイショ―! とばかりに、ぶち上げてから、ミーアは優しい笑みを浮かべて。
「とまぁ、あまり長く話すのも気の利かぬことですし、わたくしからは、このぐらいで。では、みなさん、今日一日、釣りを楽しみ、ぜひ、その良さを知っていただきたいですわ」
最後に、セントノエルの学生たちに目を向けて、ミーアは言った。
「島内の指定されたスポットで釣るのもよし。船に乗って湖の深みに漕ぎ出して釣るという、熟練者の仕方を試してみるのもよし。場所を選んだり、移動したりも釣りの醍醐味ということですから、ぜひ、いろいろ試してみていただきたいですわ」
ミーア、そこで、チラリとオウラニアのほうに視線を送ってから……。
「さぁ、釣り竿と魚籠を受け取って、今日の釣り大会を楽しみましょう」
そうして、一礼してからミーアは演壇を降りるのだった。