第二十八話 第一回 大釣り大会……第一回?
『……どうして、こんなことに……? なぜ、誰もわたくしに、言ってくれなかったんですの?』
耳の奥、聞こえた声。それは、前の時間軸、セントノエルで一人ぼっちになっていた頃の、自分の声で……。
釣り大会当日の朝……。ミーアは、珍しく朝早くからパッチリ目を開けていた。
「ふぅむ……やはり、オウラニアさんには、しっかりと教えて差し上げなければならないかしら……」
ベッドの上、寝転がったまま腕組みして、ミーアはつぶやく。
「言ってわかるものでもありませんけれど、言って聞かぬはあちらの罪。言わずにおくのは、わたくしの罪でしょうし……。下手をしたら、オウラニアさんにお尻を蹴っ飛ばされてしまいますわね……よし!」
気合の声を一つ上げ、それから、ミーアは起き上がった。
着替えを終えたミーアは、朝食をのんびり楽しんだ後、部屋に戻ってベルを起こし。それから、アンヌを伴って釣り大会の会場を訪れた。
晴れ渡る青空からは、さんさんと、豊かな日の光が降り注ぐ。まるで、夏がぶり返したような、暑い日だった。
否、冷夏であった今年の夏には、これほど暑い日はなかったのではないか、というぐらいに、素晴らしい快晴の日だった。
「晴れましたわねぇ……。少し暑すぎるぐらいですわ」
「そうですね。ミーアさま。どうぞ、これを……」
そう言って、アンヌが差し出してきたのは、真新しい帽子だった。
「ありがとう。アンヌ。あなたも気をつけて。とっても暑いですから」
帽子を被りながら、ミーアは、釣り大会の会場である港に目をやり……。
「はて……奇妙ですわね……」
小さくつぶやいた。
ミーア発案の釣り大会の準備は、サンテリを始めとした釣りマニアたちの手により、順調に進められていった。実に順調だった。それはそう、言ってしまえば、雪山の上から、雪の玉を転がし落とすような……そんな感じで。
コロコロ、コロコロ、転がり始めた雪玉は、周りの雪をくっつけて……大変、大きな、大きな雪玉になっていき……。そして。
「実に、奇妙なことですわ。この、盛り上がりはいったい……」
港には、たくさんの露店が並んでいた。
そこから感じられるのは、いつぞやの剣術大会や馬術大会を上回る熱気! 大変な熱気である!
「……なんだか、こう……思ったより遥かに大変なことになっているような……」
ミーアのイメージとしては、もっとこじんまりというか……、もう少し内輪の集まりのつもりだったのだが……。
「ちょっとした学校行事ぐらいのつもりでしたのに、なぜ、こんなに盛り上がっているのかしら?」
ふと、視線を向けた先には、
『第一回 セントノエル学園、大釣り大会』
などという、巨大な横断幕が揺れていた。
「第一回……」
ミーア、それを見て、思わず、クラァッとする。
――第一回ということは、二回目以降も行うことが前提となっている、ということかしら……? そんなつもりは、まるでないのですけど……。
これは、なかなか面倒なことになってきたぞぅ、とミーアは頭を抱える。
そもそも、声をかけた釣りマニアたちが、まずかったのだ。
騎馬王国で乗馬大会を開く、などと口にすると、トンデモないことになってしまうように……。ノエリージュ湖近辺で、あるいは、ガヌドス港湾国の関係者の前で、釣りの大会を開く、などと言ったら大変なことになるのだな、ということを、ミーアは遅まきながらに気が付いた。
「こちらでは、釣った魚の大きさを競うコンテストを開いています。証拠として魚拓を取った後は、こちらで調理して食べられまーす」
なぁんて、元気のいい声が聞こえた。
「あれは……魚の大きさコンテスト……?」
その男の隣では、同じように、学園の職員が声を上げている。
「ノエリージュ湖には、たくさんの種類のお魚がいます。そのレア度で、順位を……」
「あちらは、レア度……っていうか、あそこに貼ってある魚リストは、オウラニアさんにまとめていただいたものでは……?」
さらにさらにさらに! そのすぐ隣には……。
「さぁさぁ、ノエリージュ湖の主を釣り上げた者には賞品として、ラフィーナさまの肖像画を進呈……おや? ラフィーナさま、視察に来られたのですか? へ? 裏に行くのですか? それはいったい……はぇ?」
なんだか、最後に、チラッと獅子の気配をまとったラフィーナの姿が見えた気がするが……。まぁ、それはともかく……。
「勝負とか、そういうことにはしなくてもいいと言ったのですけれど……」
こうした催し物を開くと、やはり、勝負をしたくなるものらしい。人と言うものは、互いに、争わずにいられないものなのだな……などと、人間と言うものの悲しいサガを思うミーアである。
「いやぁ、素晴らしい盛り上がりですな」
声をかけられ、振り返る。っと、そこにいたのは、釣り衣装できっちり決めた、サンテリだった。その腰には、使い古された魚籠が結び付けられていた。
「あら、サンテリさん……。面白い格好をしてますわね」
確か、彼は、生徒が海に落ちたりしないように、監視する役だったはずだが……。
「ああ、これですか。なぁに、大会が終わった後で、夜釣りをしようと思いまして。いつでも釣りに行けるよう、準備してきたのです。ははは」
どうやら、釣りマニアの血が大いに騒いでいるらしい。
「それにしても、想像していたより盛り上がっておりますわね。学生たち以上に、この島の人たちや、学園の職員の方たちが盛り上がっているように見えますけれど……」
っと、首を傾げるミーアに、サンテリは、しかり、と頷く。
「ええ。その通りです。なにしろ、ヴェールガ公は、もともと漁師だったという伝説があるぐらいですからな」
「ああ。そうでしたわね。そういえば、ヴェールガの歴史的には、確かに漁師が大きな役割を果たしておりましたわね」
騎馬王国の建国神話があるように、ヴェールガ公国にもまた、それが存在している。
羊飼いの末裔である騎馬王国に対して、ヴェールガの初代領主は、ノエリージュ湖で魚を獲る者であったと言われている。
「ええ。それにちなんで、中央正教会の中心となる教義を魚の頭文字で作るなど、ヴェールガ公国では、とかく、魚は親しまれた存在なのです」
サンテリは、穏やかな笑みを浮かべて続ける。
「さらに、ヴェールガ公オルレアンさまも、魚がたいそうお好きな方で。食べるだけでなく、あの形がとてもお好きだとか。それで、ある時、同じように大切にされている愛娘、ラフィーナさまと合わせてみたらよいのではないかと、伝説の人魚の肖像画をモチーフに……」
「サンテリ……。少し、いいかしら?」
唐突に……音もなく現れたラフィーナに、ミーアは、思わず息を呑む。
「ら、ラフィーナさま……?」
ミーアのほうを見たラフィーナは、涼やかな笑みを浮かべて……。
「ああ、ミーアさん。後で、一緒に釣りをしましょう。私もしたことがないから、楽しみね」
なぁんて言いつつも、
「じゃあ、サンテリを借りていくわね。あ、それと、開会の挨拶も、楽しみにしているわ」
そうして、むんずっとサンテリの腕を掴んで去っていくラフィーナであった。