第二十四話 ヴェールガの釣りマニア(アングラー)
釣り大会の準備は始まった。
ミーアの召集によって生徒会室には、いつもの生徒会のメンバーに加え、特別初等部の教師ユリウスや、セントノエル島の警備を担当するサンテリ・バンドラーなど、主だった面々が集められていた。
「ということで、生徒間の親睦を兼ねた釣り大会を開こうと思っておりますの。子どもたちの教育のためにも、良いのではないかと思いまして……」
っと、そこでユリウスのほうに目を向ける。ユリウスはそっと頭を下げて、
「ありがとうございます。ミーア姫殿下。そのように楽しみながら、自然の知識を得ることは、子どもたちにとって財産になるでしょう」
そんなユリウスの承認を得て、ミーアは続ける。
「それで、みなさまにはいろいろとご協力いただくこともあるかと思いますけれど、どうか、よろしくお願いいたしますわね」
なにしろ、初めてのこと。全校生徒でやろうとすれば、釣り竿から餌から、準備はそれなりに必要だ。
さらに、大会と称する以上、いろいろなルールを話し合う必要もあるだろう。
「まぁ、とはいうものの、今回の大会は、あまり順位を競うようなものにしないほうがいいような気がしますわね」
ミーアの言葉に、生徒会の面々は、それぞれ納得の頷きを返した。
「そうだね。趣旨からいっても、魚の大きさを競うような会ではなく、純粋に釣りを楽しむ会としたほうがいいんじゃないかな」
そう言って、優しい笑みを浮かべるのはアベルである。
彼の応援を後押しに、ミーアは言った。
「勝敗を競うものも楽しいですけれど、今回は、みなで釣りをして、それから、釣ったものを食す。これを大切にいたしましょう」
みんなで思い切り遊び、美味しいものを食べて笑い合う。
ミーアの基本的な外交のやり方である。
――お腹が満ちれば、いろいろ面倒くさくなる。オウラニアさんには、なにかわたくしを避ける理由があるようですけど、それだって、たっぷり食べて眠くなれば、どうでもよくなるに違いありませんわ。
そんな確信を持つミーアである。
「とすると、魚をその場で、食べられるものかどうか判断する熟練者も必要になりますわね。それに、料理はわたくしたちで……」
などと、ミーアが言いかけたところで、すぅっと手を挙げる者がいた。
「あら、キースウッドさん、なにか?」
シオンの従者、キースウッドが主を差し置いて発言するのは珍しいこと。はたして、なにを言うつもりなのか? と興味津々、ミーアが見つめる先で。キースウッドは小さく一つ咳払い。それから、口を開いた。
「今回は、自分たちで料理するのではなく、しっかりとした料理人を手配するのがよいのではないでしょうか?」
「あら? でも、みんなで料理するのは、とても楽しいですわよ?」
「……ええ。ええ。それはもちろん、存じ上げております」
キースウッドは一瞬遠い目をして、なにかを噛みしめるように、グッと口をつぐんでから……すぐに小さく首を振り、
「けれど……ミーア姫殿下は、一つ大切なことを忘れているのではないでしょうか?」
「大切なこと……? はて、なんですの、それは」
キースウッドは、確信に満ちた顔でミーアを見つめる。
「それは、今回の釣り大会の楽しさは“自分が釣った魚を食べることにある”ということです」
「ほう……」
ミーアは腕組みをして、その言葉を吟味する。沈思することしばし、その正しさを見つめて、深々と頷く。
「それで?」
「つまり、自分たちで料理するとなると、どうしても失敗してしまう可能性が高いのではないでしょうか? 取り寄せた材料で料理するならまだしも、自分が釣ってきた魚で失敗するのは……どうでしょうか?」
「なるほど。自分の釣果を台無しにしてしまう可能性があると、そう言いたいのですわね?」
「はい。今回のお料理は失敗できない。そこで、専門の料理人を手配するのがよろしいのではないかと……」
「ふむ、それはなかなかに、説得力がありますわね」
それから、ミーアはラフィーナのほうに目を向ける。っと、ラフィーナは小さく頷いた。
「そうね。セントノエルの料理人たちと、他にも手配が必要かしら……?」
ミーアは、それから、キースウッドのほうに目を向けた。
「ありがとう。キースウッドさん。そこまでは思いが至りませんでしたわ。助かりましたわ」
「いえ、お役に立てたのであればなによりです」
満足げに目をつむるキースウッド。その……握りしめられた拳が、まるで歓喜に震えるように、微妙にぷるぷるしているのを見て、はて? と首を傾げるミーアだったが……。
その時だった。そこで、声を上げる者がいた。
「……そもそも、釣りというのは、いささか危険なのではないでしょうか?」
むっつりと、険しい顔をするのは、セントノエル島の警備を担う男、サンテリ・バンドラーだった。
「万に一つでも、湖に落ちれば大変なことになります。生徒の中には泳げない者もおりましょう」
その指摘に、ミーアは思わず眉根を寄せた。それは、実に筋の通った指摘だったからだ。
「確かに、サンテリさんの言うことも一理ありますわね。貴族の子弟で泳げるなどと言う者は稀有ですわ」
さて、どうしたものかしら……? とミーアは首を傾げる。
――生徒会と特別初等部の子どもたち、という限られた人員であれば、なんとかいけそうですけど。しかし、そこにオウラニアさんをお誘いするのは……。下手をするとお断りされてしまうかもしれませんし。
だからこそ、全校生徒のイベントにしたわけで……。などと、ミーアが真剣に悩みだそうとした、その時だった。
「やれやれ、仕方ありませんな……」
小さく肩をすくめ……サンテリは言った。
「ここは、わたくし、このサンテリ・バンドラーが……長年の経験を生かして、安全かつ、素人のみなさまでもある程度は釣れるような、釣り場をご紹介いたしましょう」
ものすごく……ものすごぅく! 得意げな顔で言った!
そうなのだ……。
騎馬王国ならぬ、ティアムーン帝国にウマニアがいたように……。
ガヌドス港湾国ならぬセントノエルにもまた、いたのだ。
海沿いの国の民に決して負けない釣りマニア……。サンテリ・アングラー……もとい、サンテリ・バンドラーが……。