第八十一話 目力姫(ハイパワーアイ・プリンセス)
「そうですわ、この木が悪いんですわ……、この木が」
「ミーア姫殿下?」
ぶつぶつとつぶやくミーアを、不審そうな顔で見つめるディオンだったが……。
「わたくしの足を引っかけるとは、生意気な木ですわっ!」
ヒステリックな声を上げると、ゲシっと音を立てて、ミーアが木の幹を思いっきり蹴りつけた。皇女らしからぬ、ちょっぴり品のない蹴り方だった。
直後、ディオンの背筋に緊張が走る。放たれた殺気の塊がミーアに殺到していくことを感じ取ったのだ。
「ちぃっ」
舌打ちと踏み込みと抜刀が、ほぼ同時だった。ミーアの前に躍り出て、かすかに聞き取った風切り音の方に視線を向ける。
うなりをあげ、飛んで来る矢は……四本。
「さすがは、狩猟民族、狙いが正確だ。だが、それ故に……」
ディオンは剣を振るう。
一閃、二閃、三閃。
三つの斬撃が、ほぼ同時に繰り出されたかのような錯覚を覚える、見事な剣技。
直後、彼の足元に切り裂かれた三本の矢が落ちる。
残りの一本は、と言えば……。
「…………え、あ……、え?」
きょとん、と瞳を瞬かせて、呆然としているミーア。その小さな頭のすぐ上の部分の木に、最後の一本が突き刺さっていた。
矢の軌道を読んだディオンが、あえて無視した一本である。
ゆっくりと、頭上の矢に目をやったミーアは、
「ひっ、ひゃあっ!」
ひきつるような悲鳴を上げて、その場に尻餅をついた。
その拍子に、彼女が頭につけていた髪飾りが、地面に落ちる。
そんなミーアを素早く小脇に抱える、と同時に、再度、飛んでくる矢を剣で切り落とす。
「隊長!」
遅れて、剣を抜いた副隊長、さらに近衛たちが駆けつけるが……、
「下がるぞ。森の外に退避する」
ミーアを片腕で抱えたまま、ディオンは走り出した。
「僭越ながら、ぶっ殺しますよ、姫様」
怒りに任せて、ミーアをにらみつける。
「ひっ、ひぃっ!」
ディオンの殺気じみた視線を受けて、ミーアは、先ほど矢に狙われた時以上に怯えを見せた。
「言いましたよね、不用意に森のものに触れるなって……」
涙目で、びくびく体を震わせるミーアは、かすれるような声で言った。
「にっ、にに、逃げますわよ!」
「言われなくても、すぐに駐屯地までお連れしますよ」
「領都までですわ。子爵邸まで下がらなければ、安心など、できませんわ」
ディオンの目を見つめながら、ミーアが言った。
それは、好都合、とディオンは頷く。
「ええ、どうぞ、近衛のお二人と自由にお下がりください。護衛に一部隊つけますよ」
しょせんは子ども……、わがままな子どもか。
ため息を吐くディオンだったのだが。
「そっ、それでは足りませんわ」
未だに、ミーアはディオンの目を見つめ続けている。その目に宿る力強さに、ディオンは小さく首を傾げる。
「どういう意味でしょう?」
「精鋭たる近衛たちならばいざ知らず、皇女たるわたくしの護衛が一部隊で務まると思っておりますの?」
「……何が言いたいのでしょうか?」
「全軍ですわ。すべての兵をもって、わたくしを護衛し、領都まで戻りなさい」
「いや、姫さん、そりゃあ、ちょっと、いくら何でも……ねぇ、隊長?」
普段ならば、傾聴に値する副隊長の声。
けれど、ディオンは、ミーアから目線を外すことはなかった。
その美しい瞳の中、宿る意志の意味を図ろうとするかのように。
「軍を動かすには、時間がかかるものなんですよ、姫殿下。陣を畳んだり、物資の輸送だって手配しなければ……」
「わたくしの護衛以上に大切なことが、ございますの?」
ディオンの目を、まっすぐに見つめ返し、ミーアは言った。その言葉を聞いて、ディオンは小さくため息を吐く。
それから、片腕で野良猫のように抱えていたミーアを、両腕を使ってお姫様抱っこの形に抱えなおす。
「ああ、なるほど、確かにその通りだ……。副隊長、聞いての通りだ。陣についたら馬と兵をできるだけ早く動かせるようにしろ」
「たっ、隊長?」
「ご命令とあらば、仕方がない。どうやら姫殿下は、我々の実力を過小評価されているようだから、栄えある皇女殿下の護衛に相応しく、一糸も乱れぬ隊列にて領都まで転進する」
それからディオンは、なぜだか安堵したように瞳を閉じているミーアに言った。
「しばし、ご辛抱ください、姫殿下。すぐに森を抜けますので」
――こっ、ここ、怖かったですわっ!
ディオンの腕の中、ミーアは、今さらながらに背筋に冷や汗が噴き出すのを感じた。
計画は、思いのほかうまくいったのだが……。
――まさか、本当に矢で狙ってくるなんて。
あの革命戦争の時だとて、まず警告と威嚇射撃があった。今回も、それと同じだと思っていたのだが……。
さらに、その後のディオンの反応である。
ミーアは確信した。
先に目を離したら、殺される!
ゆえに、ミーアは必死にディオンの目を見つめ続けた。目をそらさないことに、ミーアは、まさに、全意志力を使い果たしたのだ。
――し、死ぬほど、疲れましたわ!
頭上で、ディオンが何か言っているようだが、かまわず、ミーアは瞳を閉じた。
あまりに目を見開きすぎて、瞬きすら忘れていたので、目がちょっぴり痛くなってしまったミーアであった。